八年ぶりの大夕張 | 結城雅司
8月31日。大夕張に行ってきました。
正確に言うと「通り過ぎて」しまいました。
な~んにも残ってませんでした。
遅い夏休みをとり、予てからリクエストされておりました「北の国から」三昧旅行を、やっと決行したのであります。道東に入り、オホーツクを見、国後に思いを馳せ雲丹・イクラなど賞味しつつ富良野に行きたい。
はたまた、十勝に入り、大平原に包まれ、開拓の時を感じながら、ジャガバターを堪能しつつ、富良野に行きたい。
などと勝手なことを言っておった我が女房子供を、「大夕張です。」の深く静かに響き渡る一言で、新千歳に向かったのであります。
(本当は、台風16号のおかげだす。悪天候でど~なるかわからん。ここは、素直に千歳に降りよう。ちゅーことです。)
八年ぶりの大夕張にはびっくりです。
ななな~にも無いもの。
なんせ、シューパロ湖もダムも無かったもの。
シューパロ湖は水を抜いており、長男が一言「汚ったね~グランドキャニオンだね。」
(って、お前、本物のグランドキャニオン見たこと、ね~だろうが~。)
ダムサイトもトンネルに隠れちゃって、気が付かないしまつ。
「もう、そろそろ千年町?」と言ったとき、なんと年老いた母が、故郷を思う一念か、「鹿島小学校跡地」の看板を発見したのであります。
「千年町は、キリ助は、駅は、どこなんじゃ~。」
と騒ぎながら、グランド跡地に昇りついたのであります。
石碑を拝見しておりますと、なななんと母が、母校校歌を歌っているではありませんか。
次男が「おばあちゃん、なんでこの歌知ってるの?」と、不思議な顔をしていました。
跡形も無くなった大夕張でしたが、二つだけ、炭鉱の女神様はプレゼントをくれました。
ずっ~と雨模様で霞んで見えなかった夕張岳が姿を現してくれました。
(なつかしくもうれしくも、ゴジラ山が、再び私の前に現れたのです。(私は幼少のころ何故か夕張岳はゴジラだと信じていたようです。))
もう一つは、グランド近くの国道沿いに、蝦夷鹿がヒョイと、顔を出してくれたのです。これには女房子供もびっくり。
東京じゃ絶対味わえないハプニングなのです。
炭鉱と街は無くなったものの、自然は確実に返って来ていることを確信しつつ、麓郷の地へ向かいました。
(2004年(平成16年)09月06日 記)
結城さんの投稿から16年後、今年、平成20年にグーグルのストリートビューで、初めて大夕張にドライブしてみました。
南部をスタートし、夕張岳を右手に国道453号を進み大夕張『眺望公園』にたどり着きました。
白金に向かう、新白銀橋へのルートを確認し、さて鹿島小学校グラウンドへと、向かいました。
・・・・・・
そこから何度も通りすぎました笑。
上空から確認して、あたりをつけて、看板を発見。
よくやく鹿島小学校への入り口にたどり着きました。
でも、ストリートビューはそこまで。
いった方の話では、そこの入り口を入ると、水たまりがあって足場が悪くて難渋するそうな。
・・・
実際に足を運ぶのは、まだ先のことになりそうです。