父の無念と別れ |森田伸一

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 私は昭和37年大夕張の栄町で生まれました。

 その後、春日町に引越し、小学校3年生まで大夕張に住んでいました。

 今は、山梨県に住んでいます。

 
 閉山を前に炭坑夫の父は、右目に重傷を負い失明してしまい、炭坑夫の生命を絶たれてしまいました。

 
 鹿島を断腸の思いで、離れることになったのです。

 

 父の無念な表情は、今も忘れません。

 

 
 汽車に乗って大夕張の駅を発つ時の寂しさ

 

 見送りに来てくれた正木先生、

 クラスのみんなの思いは、27年の月日がながれた今も、鮮明に覚えています。

  

 7月25~28日に両親を連れて、沈む前の大夕張へ行ってきます。

 

(1998年7月18日 記)


随想

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