スキー場の思い出 |武田 出

19892

 

 もう30年たちますが、私は小学校2年の時から大夕張を離れる小学校6年の冬まで、富士見町1丁目22番に住んでおりました。

 冬休みともなると、今みたいにゲームボーイも、ベイブレードも無い時代ですから、毎日毎日、朝から晩までそのスキー場で滑ってました(上から降りてくるとその惰性で玄関まで入れるような近さでしたので)。

 

 たのしかったですね。

 特に女の子とおにごっこしたり(こっちがからかって無理やり追いかけさせるんですが)、ロープを左側(ゲレンデ中央)に大きく振って自分の前後にへっぴり腰でしがみついている女の子を転ばしたりと、国語の及川先生(スキー検定1級の腕前で、よくこのスキー場で滑っておられました)の目を盗んで、やりたい放題でした。。。

 
 そんな悪たれ子供の目付け役を兼ねて一緒に滑り始めた親父も、いつのまにか『スキー場の”管理人』みたいな仕事をボランティアでやり出しまして・・・。

 よくロープの乗り場付近にできる雪の『轍』というか『うねり』をスコップで平らに直したり、切れたロープの修理を手配したり、夜間照明を消しに行ったりしていました。

 
 お袋といえば、これまたお昼になると、当時発売された「日清カップラーメン」を自慢気に持って、なぜかウチにお湯をもらいにくる小中学生に、シュワルツネッガーも愛用の『巨大やかんで』お湯を注ぎまくっていたのを覚えています。

 

 今、自分の子供がその年頃になりましたが、「家でルビー・サファイヤばっかやってないで外で遊んで来い」と言っても、「寒いからやだ」とかぬかします。。。

 

 あの頃の自分(達)と比べるわけにもいかないのですが、「隔世の感」とはこのことです・・・

 

 久々湊先生には、ご自宅で国語を教わった(塾?)記憶があります。

 確か私が小学校4、5年の頃ですから、28年前、昭和50年頃の事です。

 

(2003年2月17日 記)


思い出ばなし

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