思い出の街角 雪降る鹿島小学校グラウンド その3 1990年代 雪の降り続く日 鹿島小学校のグラウンドの北東角方向を見る。 鹿島小の低学年だった頃は、ここにあった砂場から大夕張駅ホームを見ながら、砂山を作っててっぺんに棒をさし、倒さないように砂を取っていく遊びを二、三人でやっていた。 街から見ると一段高いところにあったグラウンドから… 続きを読む
思い出の街角 雪降る鹿島小学校グラウンド その2 周囲の山も街も一面真っ白となったこんな日、あなたはいったい何をして過ごしていただろう。 そこだけあたたかい部屋のストーブの周りで、じっとしていただろうか。 それとも、こんな日だからこそ雪の世界に飛び出して、全身雪まみれになって遊んでいただろうか。 1990年代、鹿島小学校グラウンドよりバックネッ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ カルピス、不二家ハイカップ、森永コーラス | 高橋正朝 #185 私が大夕張に住んでいた当時、飲んだことのある乳酸飲料は、標題に挙げたもののうち、カルピスだけだった。 他の2つは、カルピスに似たものであろうと想像していたが、実際に飲んだのは、東京に出てからだった。 カルピスを初めて飲んだのは、私が、鹿島東小学校の1年生の、春が過ぎるか夏に入る… 続きを読む
思い出の街角 雪降る 鹿島小正面玄関 冬 朝から降り続く日 正午を過ぎた頃に 上空を覆う雲が少し薄くなり、薄日をさすこともある。 鹿島小学校の背後の真南に来た太陽が見せた、そんな一瞬だろうか。 1990年代 … 続きを読む
思い出の街角 雪降る鹿島小学校 校門 雪降る日 神社山の向こうの八百五十の尾根もかすんで見えない。 雪模様のそんな一日。 初めて訪れた人は不思議に思うかも知れない。 校門からは、鹿島小学校の正面は見えない。 街の方を向いて建っていない。 かつてはここは東の門であり、正面には三階建の校舎に相ふさわしい二メートル以上の高さがある校… 続きを読む
写真 曇天の湖畔 森林鉄道橋 シューパロ湖畔から二号橋。 三弦橋よりにあった『短い』ほうのトラス形をした森林鉄道橋。 終日雲に覆われた冬の日、穏やかで静寂に包まれたモノトーンの世界となった。 2005年1月撮影 以下は同じ日に撮影した。 https://ooyubari.com/2020/08/12/syu… 続きを読む
訪問記 緑町1丁目の石壁 2002年 緑町は駅前の詰所を1丁目1番地とすると、そこから東は弥生町、南は、宝沢の方に伸びていた。 駅前から、道路は、埋め立てられた宝沢を底にゆるやか1ちょうな窪地になって宝町方面へ向かう。 その道路沿いに商店街が並び、戦後は、岳富町と呼ばれていた。 緑町の住宅地は、緩やかに傾斜する岳富町の商店街… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 不二家提供のアニメ〘 ポパイ 〙での広告商品|高橋正朝 #184 不二家のミルキーのペコちゃんのイラストを、飯田さんが添付していましたが、それを見て、少し印象が違うな?と思い、ネットでチェックしてみたら、ミルキー発売当時のイラストなんですね。 前回の書き込みは、100%記憶だけで書き込み、ネットでのチェックを怠ったので、記憶マチガイを是正できませんで… 続きを読む
思い出ばなし 長屋と共同浴場の思い出 | 山家直己 桜荘周辺に同期も多く、先輩や後輩・父母達も一緒になって卓球が出来て長屋人情物語です。 さらに共同の大きな風呂は、大人も子供も裸の付き合いで、知らないうちに仲間意識が出来て、誰にでも挨拶が出来るようになる教育の場だったかもしれないね。 ただ思春期頃は、母と一緒に、同期の女の子達とお風呂… 続きを読む
随想 小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己 富士見町の思い出は、1番はスキーです。 4年までは緑町に住んでいましたので、幼稚園からスキーしていました。 帰りは友達と神社側から小学校のグランドを抜けて(夕方暗くなりグランドの空にグレーの母船型のUHOを2人で見たよ)スキーを履いたまま線路と車道を渡り、家まで帰るのを恒例にしていた。 … 続きを読む
思い出の街角 富士見ヶ丘スキー場 『食堂』 スキー場のロープ乗り場のゲレンデには『山小屋風食堂』があった。 なんとよばれていたのかは、わからない。 昭和30年代、写真は『1961年~1971年 大夕張映像』のスクリーンショットから。 石野くんのお父さんが撮影した8ミリ映像にUHBがつけたキャプションでは、1961年となっている。 … 続きを読む
楽しかった日々 雪にまみれて 昭和35年頃。 炭砿病院近くの線路そばの富士見町。 全身雪まみれになったのか、されたのか・・・。 この写真に、大夕張らしさがあるのかどうかとふと考えた。 家の前の道の周りに積った雪を超えると、そこに広がる雪原や、空き地に積って周りの畑とつながって境目のなくなった一面の雪。 そこ… 続きを読む
映像 桜荘 みんなの卓球台|山家直己(やまかなおみ) 千歳町桜荘長屋2件隣同期の石野義明が、大夕張の昭和40年頃の8ミリデータを相模原自宅に送って頂き、弟、久和と見て石野先生が買った卓球台で子供達皆んなで楽しんだ想い出が写し出され、感動の一言。 猪俣も映っていてまだ太っていなかった笑笑 少年野球はピッチャー瓜田(小樽病院長)キャッチャー山家か… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 不二家のミルキー | 高橋正朝 #183 昭和26年(1951年)ミルキー発売。ペコちゃんの目玉は持って歩くとコロコロ動いた。 表題に入る前に、2024年2月2日に、〘 みた 〙さんから、『続・大夕張つれづれ # 143 北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる』 に書き込みがあり、不良ことばとしての例が書かれていました。 北… 続きを読む
思い出ばなし 記憶の中のお祈り |小野美音子 教会での劇を終えて帰宅する菅井さん親子 「昭和40年鹿島小学校前」の写真にジ~ンときたことがあります。 東方の博士役を終え満足そうな菅井さん。 3人を見守るように、お母様が身体を少しかしげ、かごを持つ姿にどこか聖らかで暖かいものを感じたからです。 そしてバックに映る美しい教… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 下校の行列 学期末だろうか。両手に荷物を抱えて、いっせいに下校する姿にも見える。 それとも、正装しているような子も見えるので入学式だろうか? 確かに学校前の道は雪どけ道のようではある、がそれにしても・・・4月の大夕張はこんなに雪が多かっただろうか。 男の子は黒いランドセルに女の子は赤いランドセルを背負い… 続きを読む