Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
森林鉄道の記憶 林鉄機関車3 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車3

  昭和35年、南大夕張貯木場。  当時の南大夕張営林署勤務の方たち。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』の写真に続く、機関車のノーズ部分のようだ。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』で機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと…
三本の映画 |丸山直記 思い出貼

三本の映画 |丸山直記

 この2年ほどの観た3本の映画の話です。  「ブラス!」(1996年イギリス・アメリカ)  「October Sky(邦題:遠い空の向こうに)」(1999年アメリカ)  「リトルダンサー」(2000年イギリス)  これらに共通しているのは炭坑です。   この3本の映画ではエネルギー政策の転換で取り残…
森林鉄道の記憶 林鉄機関車2 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車2

 昭和35年、南部貯木場の若者たち。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車1』に3人の男女が乗っているのがわかるが、流れからいうと、手前の席に座っていた男性が降りて真ん中と左はしの女性二人を撮影した写真のようだ。  カメラに向ける笑顔が楽しそうである。  機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北…
心に残る故郷”大夕張” | 阿久津 誠 随想

心に残る故郷”大夕張” | 阿久津 誠

 私は、東校5期生ですが純粋な大夕張の出身では有りません。  母方(故人)の実家が栄町(だったと記憶しています)でしたので、亡くなった小学校4年生の年までは、お盆・正月等何かにつけて良く行ったものです。   栄町商店街、代々木のアパート群、プール、教会、スキー場等々・・・頭の記憶に残る場所は、結構有…
森林鉄道の記憶 林鉄機関車1 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車1

昭和35年。   自分との関わりでいうと、ものごころついた昭和40年代日常の生活の中で森林鉄道の存在を意識したことはほとんどなかった。 あるとすれば、ダム湖畔から見える三弦橋その他のいくつかの橋梁たちを見たときに、木材を積み出す汽車が走っていたんだなあ、と思ったくらいだった。その頃は、すでに廃止にな…
東野英治郎と西村晃の、吉良上野介と水戸黄門 | 高橋正朝 #88 続・大夕張つれづれ

東野英治郎と西村晃の、吉良上野介と水戸黄門 | 高橋正朝 #88

     前回 # 87 で、千年町にあった大夕張劇場て、水戸黄門を観たことに言及しました。  水戸黄門に言及したついでに、大夕張とは何の関係もないが、黄門役をやった東野英治郎と西村晃に話しが跳びます。     黒澤明が、脚本に共同執筆者として加わり、監督をやった『 天国と地獄 』がある。     …
森林鉄道の記憶 トロッコ2 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 トロッコ2

昭和35年。 南部貯木場の若者。 トロッコにのって正面から写したショットを見ると、あの映画の名シーンを思いだす。 森林伐採の作業から脱獄計画に巻き込まれた主人公の橘が、ブレーキの効かない猛スピードで走るトロッコにのってひたすら雪原を逃げる。追いかけてきた保護司が猟銃を打ちまくり鬼気迫る迫力のシーン。…
昭和35年鹿島小学校3年生 見学旅行 |奥山道紀 随想

昭和35年鹿島小学校3年生 見学旅行 |奥山道紀

昭和36年7月13日【北海道新聞・夕張版】   『みんなで旅行うれしいな 鹿島小三年生模擬坑など見学』   今月は市内小、中学校の修学旅行・見学旅行の最盛期。  鹿島小学校の三年生も十一日、夕張市内や栗山方面の見学旅行を行った。  昨年は小児マヒの流行でどこへも出かけられなかったこどもたちにとって、…
森林鉄道の記憶 トロッコ1 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 トロッコ1

  昭和35年。 南部貯木場。 先頭に立ってポーズをとる青年の姿の後ろには、子どもや女性の姿も見えていて、これも当時行なわれた何かの行事の一コマだったのだろう。   白黒写真に着色した画像   左に見える気動車は野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと同型で、次のよう…
大夕張の商店街 その1 あらかると

大夕張の商店街 その1

【南部の商業地】  南部が『大夕張』で、大夕張が『北部大夕張』とよばれた明治から大正にかけての時代。  南部の大夕張炭炭坑に労働者が集まると同時に商売をする人たちも集まってきた。  その頃の話から始まる。      明治39年(1906年)、大夕張炭坑が開坑すると同時に、多数の労働者が入り込んだ。 …
森林鉄道の記憶「トロッコ」 思い出貼

森林鉄道の記憶「トロッコ」

昭和32年、今でいうと『森林鉄道一日体験イベント』みたいなものだろうか。 夕張南高校生、夕張工業高生、他にも小中学生が参加している。 白黒写真に着色した画像   元の白黒写真をみるには、こちらから↓ https://ooyubari.com/2020/07/05/sinrinkioku/…
ふるさとの匂い |久々湊真一 随想

ふるさとの匂い |久々湊真一

 匂いというものは、記憶と深く結びついている。  昨年の5月に大夕張に行った時である。    僕の顔を撫ぜている風の匂いに、なぜか立ち止まって、懐かしさで胸が一杯になった。  大夕張の乾いた空気の匂い。    まだ肌寒いけれど、確実に春がやってくる花々の匂い。  それらが、どっとやってきて、僕は立っ…
蒸気機関車『No_4』 銘板 交通関係

蒸気機関車『No_4』 銘板

夕張市石炭博物館にて余生を送っていた『No.4』 2003年頃SL館にて撮影。   形式 9600 昭和16年 日立製作所製造   山史によると、 『地方鉄道改組に備え、昭和12年8月12日、新製蒸気機関車9603号入線、更に、同年10月半鋼製2軸ボギー客車ナハ1号入線、客貨輸送に一新紀元を画せり。…
鹿島東小の誕生 1951年  あらかると

鹿島東小の誕生 1951年 

 終戦直後の国策である石炭増産により、鹿島の人口は急増し、鹿島小学校の児童数は増加の一途をたどった。  大夕張の町も、昭和14年以降、錦・宝・春日の各町が新設され、更に第一農場(明石町駅付近)、第二農場(桜ヶ丘付近)を含めた明石町、常盤町が昭和23年~25年にかけて開町するに及んで、学級数は40をこ…
南部貯木場 思い出の街角

南部貯木場

白黒写真に着色した画像   昭和30年代後半の南部貯木場 大夕張営林署南部貯木場 【奥山道紀】(2001年10月)  主夕張、下夕張、夕張岳の各森林鉄道で運び出された木材は、大夕張炭山(官行)や南部(南大夕張)の貯木場で大夕張鉄道の貨車に積込まれ、消費地へ運び出されました。  写真は昭和30年代後半…
千年町の教会|市橋 勝 思い出ばなし

千年町の教会|市橋 勝

 千年町にも確かに教会がありました。  所商店の斜め向かい側の東小学校寄りの所だったと思います。    すっかり忘れていたのですが、私は小学校の時に青葉荘の友人に連れられて、日曜日毎にその教会に行ったことを思い出しました。  私はクリスチャンでもなんでもなかったのですが、牧師さんが行う説教の後に出て…
閉山前の大夕張の映像 映像

閉山前の大夕張の映像

1997年から1998年にかけて「ダムに沈むまち大夕張」としての報道が各機関で取り上げられました。 その中に、昔の大夕張を紹介する映像がたびたび流されました。 ここの映像は、その中でも1997年7月6日(日曜日)に放送された『新・北海道中ひざくりげ』の「故郷を心に刻む旅」の中で流れたものです。 二木…
なつかしいです|高橋博美 随想

なつかしいです|高橋博美

私は昭和30年生まれで高校1年の時、美唄から栄町に越してきました。  夕張工業の機械課を昭和48年に卒業しました。 以前、小林俊二が出てたのでなつかしく思いました。 思い出は神社の上でシンナー吸ったり、もう時効ですので言いますが、お金なかったんで夜、ガソリンを抜いたりとか、色々バイクでやかましくして…
働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~

  看護婦さんという言い方から看護師さんというようになって久しいが、当時の看護婦さんの働いている姿をスケッチした三枚。 思い出しながら自宅で、あるいは病室の中で時間を持て余しつつスケッチ帖を手に描いていたのだろうか。日時の記載はないが、昭和14年の病院の絵の続きのページに描かれていた。 キャップと、…
水戸黄門と吉良上野介 | 高橋正朝 #87 続・大夕張つれづれ

水戸黄門と吉良上野介 | 高橋正朝 #87

     例によって、飯田さんの資料をコピペ。    大夕張劇場 映画の看板   ( 飯田さんの解説文を、一部抜粋 )    【 水戸黄門 】東映   同名の作品が、1940年・1957年・1960年・1978年に公開されているが、おそらく1957年のもの。月形龍之介映画生活三十八年を記念し、東映ス…