運んだ、石炭を人を 遠幌駅改札 昭和35年頃 遠幌駅の改札。なんとも懐かしく心地よい陽だまりのホーム。この改札を何人の人が往来したでしょうか。遠幌駅のみならず、当時は当たり前に見ることのできた駅の光景も今はもう見ることができません。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を フジキ式 石炭ストーブ 昭和62年 さよなら列車直前のだるまストーブです。 この石炭ストーブは、昭和62年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止になってからも、南大夕張に置かれていた列車内にあります。 この石炭ストーブは昭和51年の春から登場した「フジキ式」と呼ばれるもので、蒸気機関車時代に活躍したダルマストーブは「たこストーブ」… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄道切り替え工事 昭和30年代、二股ダム(大夕張ダム)建設にあたり、鉄道の山側への切り替え工事が行われていました。下に見えるのは、鉄橋のあとだろうか。 山史に移設工事の記述があります。 https://ooyubari.com/2020/04/18/yamasi-8/… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和56年 遠幌駅 昭和56年11月 遠幌駅 【奥山道紀】 2000年03月28日(火)21時29分36秒 遠幌駅の建物は他の駅と異なり北炭からの寄贈でした。 いまでも駅跡の近くに残る休園中の「遠幌保育園」の建物は 旧北炭遠幌炭鉱の事務所であり、周囲の住之江町や岳見町も 北炭の炭住街でした。 遠… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 清水沢方面 昭和40年頃。 この写真は、左手に遠幌駅の駅舎があり、ホームの向かい側から清水沢方面に向かって撮影されたもの。 線路の先には清水沢清湖町のアパート群が立ち並んでいます。 昭和48年『塩狩峠』(三浦綾子原作・松竹映画)の撮影が三菱大夕張鉄道を舞台に行なわれました。その際,映画の冒頭遠幌駅ホームが… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 南大夕張駅方面 昭和40年頃。 南大夕張駅方面を写した写真。 昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。 それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込み… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和48年 『団結』列車 No.4 発展する町 南部 【飯田雅人】 この場所は南部若美町の住宅群の前を走っている列車。昭和48年は,大夕張の閉山の年ですが,南部は,昭和45年出炭以来,新しい住宅もでき町としても発展していった時期でした。 昭和46年ころ,南部に引っ越した友人の家に遊びに行った時に,大夕張では,新築の住宅というもの… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 運転台の親父 昭和30年頃 No.3 運転台の親父 【小林光志】 親父の若いころ・・多分1955年前後(昭和30年前後)。 このあと まもなく機関庫の管理職になったので 運転台の親父の写真は これしか無い。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 明石町付近 眼下の列車 昭和48年 崖の上からシューパロ湖、道道、列車を見下ろして撮影。右手に白銀橋が見え、明石町駅付近。閉山提案の年、黒い鋼鉄に白字のペイントが激動の大夕張を感じさせ、事実この年の12月には、この区間は、廃線となってしまった。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張駅の『NO.4』 昭和30年代 №4 【奥山 道紀】 『№3』と共に三菱鉱業が自社発注したSLです。 昭和16年日立製作所で製造され、美唄鉄道を経て、昭和22年より三菱大夕張鉄道で活躍しました。 バック運転しやすいように特注されたC56形テンダが特徴です。 前照灯も横に№が入るアメリカ形の大型のものを装着し… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅構内 昭和35年頃 遠幌構内積下 【本間正雄】 遠幌駅構内積下は昭和35年前後で、この時期大夕張炭鉱の奥部立坑が、八百五十の近くに建設中で、遠幌からエンホロカベツ川沿いの林道から建設資材を運搬しました。 遠幌駅構内はその時の骨材の積み下ろし作業です。… 続きを読む
思い出貼 湖畔を行く列車 昭和47年頃 穏やかで満水のシューパロ湖。鏡のような湖面は周囲の山と列車を映し出しています。 湖岸を列車がゆっくりと進みます。 閉山の頃 【ヒロ みうら】本当に鏡のよな湖面ですね・・・自分は宝塚市で仕事を始めた頃かなもう閉山の話題が出ていた時期でしょうか列車の姿が、少し寂しそうに感じるのは自分だけで… 続きを読む
思い出貼 SL揃い踏み (大夕張炭山) 昭和47年 大夕張炭山駅 機関庫 おじさんの写した写真 【真由美だよ!】( 2006/09/05(Tue) 18:34) おじさん さっそく開いて両親に見せる為に「お気に入り」に入れました。 今日 メールも送りました。が、正直届いてるか心配(?)です・・・・。 何だか おじさんの意外な一面を見た… 続きを読む
思い出貼 機関庫 昭和47年頃 SL揃い踏み 【奥山道紀】 大夕張炭山機関区での9600形SLの揃い踏み(昭和47年頃)。 左から「NO.5」「NO.6」「NO.7」「NO.8」「NO.2」、昭和46年6月に閉山間近の三菱美唄より「NO.8」が転入。 昭和47年の「C1101」転出の後、9600形が「NO.2」~「N… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和40年 バス車内風景 昭和40年頃 中扉で車掌さんがいる三菱バス。懐かしいです。後ろの二つ窓がついているタイプのバスも強く印象に残っているバスです。マイクのコードが伸びています。団体の慰安旅行でしょうか。 想像を膨らませて、この写真を見てみることにしましょう。 今バスは、乗客を乗せて、車庫前を出発するところです。窓… 続きを読む
思い出貼 大夕張駅 倉庫 昭和45年頃 大夕張駅ホームの向,鹿島小グランドのすぐわきに古い倉庫が2棟立っていました。その倉庫の向こうに鹿島小学校が見えています。写真を拡大してみると,この日は祝日だったようです。校舎前の国旗掲揚塔には日の丸が翻っているのがわかります。… 続きを読む
思い出貼 昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ 大夕張駅から大夕張炭山駅方面へ向かう列車と見送る駅員さんの後ろ姿・・・。大夕張の風景に溶け込んでいます。向こうに見えるのは富士見町の住宅。ホーム脇に伸びた雑草が晩年の大夕張を感じさせせつなくさせます。… 続きを読む
思い出貼 吉野沢公園と石炭列車 昭和48年、吉野沢【明石町駅~シューパロ湖駅間】 新緑の萌え出す初夏の吉野沢公園。周囲の景色を映し出す湖畔の穏やかな池。その吉野沢公園付近を走る列車・・・はじめこの写真を見たときはなんて美しく平和な光景だろうとため息がでました。しかし黒い車体にペインティングされた『閉山反対』の文字が遠目にもはっきり… 続きを読む
思い出貼 蒸気機関車と火の見櫓 昭和45年 大夕張駅の9600『No.6』と火の見櫓 蒸気機関車と火の見櫓 【飯田雅人】 大夕張駅、蒸気機関車は停車中のようです。消防署の建物、火の見櫓とかねがはっきりうつっています。 大夕張で火事は一度だけ、近所の家でありました。富士見町の啓心寮と、倶楽部の近くだったと思います。紅… 続きを読む
思い出貼 昭和39年 栄町商店街を行くバス 商店街を行く、三菱(鉱)バス。この先、炭砿病院の横に三菱バス車庫がありました。山内線の始発、終点は礦業所前でしたが、その後、車庫前、始発・終点になりました。 昭和39年栄町商店街三菱(鉱)バス… 続きを読む