思い出の街角

日本キリスト教会大夕張教会 思い出の街角

日本キリスト教会大夕張教会

昭和40年代、千年町にあったプロテスタント系の教会の写真。  昭和31年8月22日、キリスト教社会運動家賀川豊彦(1888-1960)が、大夕張で講演会を開いたことを機縁に、大夕張在住の堀田正雄、大橋秀雄と清水沢在住の北沢晋を中心に、日本キリスト教会大夕張教会の設立の動きが起こり、昭和32年(195…
大夕張ダム完成による常盤町の水没家屋  思い出の街角

大夕張ダム完成による常盤町の水没家屋 

 この『大夕張ダム完成による常盤町の水没家屋』の資料を作ってくださった岩田さんは、昭和24年に常盤町が建設された際、新しく完成した炭住に宝町から引越しました。    初代暁橋の入り口、左側の『No.266,50』の住宅。青い線で囲まれた住宅です。  ここから、大夕張幼稚園、鹿島小、鹿島東小、鹿島中に…
三菱バス  大夕張営業所 思い出の街角

三菱バス 大夕張営業所

  昭和43年頃、新塗色のバス(左)と、旧塗色のバス(右)  炭砿(ヤマ)内を走るバスは。山内線、山内バスと呼ばれ、『中学校前行』と『明石町行』があった。  自分の記憶の中では、山内バスというと、写真にある右側の『灰色』中乗りのバスを連想する。    もともと始発は、『礦業所前』だった。小さい頃は、…
明石町14丁目の広場 思い出の街角

明石町14丁目の広場

昭和45年 夏には盆踊りも行われたという広場 明石町の浴場のとなりにあった広場に、マイクロバスの車庫があり、マイクロバスで、一番方、二番方、三番方の送迎をしていたという。 ここの広場がその場所であるかはわからない。   白黒写真に着色した画像   広場でボール遊びをする女の子たち…
協和会館前から大夕張駅前通り 思い出の街角

協和会館前から大夕張駅前通り

 正面に大夕張駅。協和会館前あたりから撮影した写真だろう。    左手前の大きな建物が,大夕張炭鉱労働組合の事務所。建物の前には三台の自家用車が停まっている。    駅に向かって、順に、北海道労働金庫大夕張支店、『東芝カラーテレビ』の看板がかかる高橋電器店、谷野書店の建物が続く。   白黒写真に着色…
駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂- 思い出の街角

駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂-

長谷川さんの『食憶』に残る駅前商店街を含む「あいば」さんの思い出から。 閉塞的社会環境の食文化論  【長谷川 潤一】(1999年7月26日) 「バクダン」の匂いで、私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。 ・あいばさんの5円アイス。 少し辛目のカレーやカツ類などが美味しかった。 ・池田屋…
北海道労働金庫 大夕張支店 思い出の街角

北海道労働金庫 大夕張支店

戦後、発足した北海道労働金庫大夕張支店。 大夕張炭砿労働組合事務所のとなりにあった。協和会館がそばにあり、駅前通りに面していた。 このあたりも大夕張のもうひとつの『顔』だった。 大夕張支店は、昭和49年10月5日、清水沢宮前町に夕張支店に新築移転した夕張支店に統合された。 夕張市史の記述によると、昭…
大夕張駅頭 見送り 思い出の街角

大夕張駅頭 見送り

昭和32年4月26日 大夕張駅にて。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅ホーム、見送る人たち 大夕張駅 見送り風景  【飯田雅人】(2020年11月27日)  この写真は、祖父が鹿島小学校から転任して同じ夕張市内の富野小学校に向かう時のものです。  この日は、4月下旬だというのに天候はよくなかったよう…
駅前商店街 サンワ・十八番 思い出の街角

駅前商店街 サンワ・十八番

 鹿島小学校郷土室の写真の中の一枚。  鹿島小学校郷土室の中には、多くの写真が保存され、展示されていた。  その中に、大夕張の街並みを写した一連の写真のシリーズがあった。  そこには、「炭鉱が閉山になると聞いて、昭和48年の夏、鹿島小学校の先生たちが、街がなくなってしまうかもしれなという気持ちで、写…
大夕張生協 思い出の街角

大夕張生協

 昭和48年閉山の夏。  閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。  郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。…
岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 思い出の街角

岳富町の坂 (緑町から岳富町方面)

昭和48年頃、岳富町方面。  ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。  父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。  昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通…
駅前商店街から大夕張駅 思い出の街角

駅前商店街から大夕張駅

 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。  昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。  写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。  右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡…
昼下がりの駅前風景 思い出の街角

昼下がりの駅前風景

昭和45年頃、左手前に消防署。正面にズリ山、栄町商店街。    やっぱり人々が写っている大夕張がいい・・・。  買い物かごを下げたエプロン姿のおばさん達がなつかしい。夏の太陽が照りつける日の昼下がり、遠方に見えるアスファルトの端がゆらめき、そこには逃げ水が出来きている,  逃げ水を追いかけた道路を、…
明石町より白金方面 思い出の街角

明石町より白金方面

 明石町の高台、夕張東高校のグラウンド付近(現大夕張眺望公園)から、白金方面をみた写真だろう。  この方角でみると、シューパロ湖から上流のシューパロ川が、曲がりくねって蛇行していたことがよくわかる。写真右下に、明石町にあったサイレンらしきものが見えている。  明石町にあったサイレンについては、高橋正…
開校四十周年記念パレード#1/7 思い出の街角

開校四十周年記念パレード#1/7

昭和43年、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレード。 #1 大夕張駅前 白黒写真に着色した画像 鹿島小学校を出て大夕張駅前を礦業所方面に向かう  40周年開校記念誌では、昭和43年9月27日「記念鼓笛パレード」が行われることになっています。9月27日は金曜日です。強い西日を浴びている…
『堀田牛乳店』と『堀田牧場』 思い出の街角

『堀田牛乳店』と『堀田牧場』

 夕張文化『NO.43』(1998年夕張市発行)に、栄町にあった『堀田牛乳店』の堀田正昭さんが, 「大夕張・・・我がふるさと」  と題して原稿を寄せているので、そこから昭和のはじめ頃の堀田牧場について紹介します。  三菱大夕張炭砿が出来てまだまもない昭和4年、堀田さんのご両親が千年町の川沿いに、牧場…
展望台付近を行く列車 思い出の街角

展望台付近を行く列車

昭和45年11月 シューパロ湖畔の展望台付近を行く大夕張炭山行の列車。手前のぬかるんでいる辺りが展望台前の駐車場にあたる。 白黒写真に着色した画像 『山火事注意 大夕張営林署』の看板の向こうに『湖畔亭』と小公園等の施設がおぼろに見えている。…
千年町市街 思い出の街角

千年町市街

 昭和4年の大夕張炭砿の北部(現鹿島)開砿に伴い,南大夕張の商店が移転してきました。  三菱が土地を区画し,一戸当たり,間口4間,奥行き12間として営業地および営業種目を指定し、1商店3戸分まで借地することができたそうです。  ちなみに当時の地代は坪当たり6銭3厘だったということです。  入植当時の…
池田屋食堂と鹿島旅館 思い出の街角

池田屋食堂と鹿島旅館

昭和45年頃 白黒写真に着色して修正した画像 右手荒川商店、駅前通りで大夕張駅をみる 池田屋食堂 大夕張最後の思い出 【飯田雅人】(1999.7.20)  中学生の頃,他愛もない話ですが,当時人気のあった青空晴夫,明夫という漫才コンビが大夕張にきて,その時、「池田屋で飯を食べていたのを見た」という友…
冬景色  崖上から礦業所方面 思い出の街角

冬景色  崖上から礦業所方面

昭和30年頃か  冬。シューパロ川の向こう。会社方面をのぞむ。 白黒写真に着色した画像 栄・代々木町の崖上のあたりから官行、工場群をのぞむ 見慣れた光景【Masami Kawauchi】(2021年3月27日)  春日町から 鉱業所へ 向かう 坂を登った 辺り  遠くに ズリ山の 見える 通勤で見慣…