思い出の街角 清明寮(春日町) 昭和30年頃。雪どけの頃だろうか、男の子たちが寮の前の畑で、相撲をとっているようです。 春日町 清明寮 【よっちさん】 (2006/09/05(Tue) 16:34) この写真は清明寮の調理場の方の入口と思われます。写真で見えている玄関直ぐ向えが春日町,同級生が沢山いました。子供達が相撲をとっている… 続きを読む
思い出の街角 代々木アパート 昭和30年に代々木アパートは、完成しました。まだ完成後、間もない頃でしょうか。道路を挟んだ協和会館側から撮影された写真のようです。 二棟のうち、北側にたっていたアパートの様に見えます。ちょうど下で泊川さんが書いた『雪の城』は、このあたりに作られたものでしょうか。 町内掲示板のそばで男子高校生ら… 続きを読む
思い出の街角 春日町住宅から坂の上の代々木町 昭和35年頃 春日町の北側の住宅地の一角だろうか。軒先で遊ぶ子は、兄弟なのか、ご近所さんなのか。年の離れた中学生と小学生のようです。そしてそれを見守る煙草をくわえているような姿のおじさん。 ご近所同士、兄弟を入れて、自然に、年齢の離れた小集団を組んで遊んでいたものでした。 よく見えませんが、何… 続きを読む
思い出の街角 春日町から代々木町 昭和30年頃 白黒写真に着色した画像 春日町から代々木町方面を見上げる。 以前、私はこの写真をみて上の住宅は弥生町だと思っていましたが、下の小林さんや阿部さんののコメントにあるように代々木町の住宅です。 そして、『春日町住宅から坂の上の代々木町』には、夏に撮影されたと思われる写真が掲載されてます… 続きを読む
思い出の街角 明石町駅 地下歩道 昭和40年頃 昭和33年11月4日、明石町駅に旅客用地下歩道が完成したという。 昭和35年に明石町の高台に鹿島高校(のちに夕張東高校)が建設された。 大夕張鉄道で通学し、この地下歩道で線路の下をくぐり、再び踏切で線路を渡り、高台にある高校を目指して坂道を登っていった高校生達も数多い。 白黒写真に着色… 続きを読む
思い出の街角 栄町児童公園 昭和40年頃 正式には、『栄町児童公園』というのだそう。 健保会館、健保会館の庭、といった方がとおりはいいのかもしれない。 写真を見ながら、あの時、家庭から聞こえた夕餉の仕度の音を聞きながら、佇んでいた自分の姿を想像できるだろうか。 白黒写真に着色した画像 写真右、通りから、左の健保会館武徳殿… 続きを読む
思い出の街角 栄町アパートから 昭和30年代。最盛期の町。健保会館武徳殿の庭の様子が、よくわかります。そして、正面には、三菱大夕張幼稚園の玄関のある中央の建物と東西に伸びた立派な園舎全体が写っています。この頃は、この規模の園舎にさえ収容しきれなかったのか、私たちは、2部制の一日交替で幼稚園に通っていました。 奥には、園庭の一部… 続きを読む
思い出の街角 代々木アパート 白黒写真に着色した画像 鹿島小郷土室にあった写真。背景から閉山時に撮影したものと思われる。昭和30年の建設以来、平成の住民立ち退きまで存在した建物でもある。 大夕張における最高層建築物。 昭和30年暮に1棟24戸,鉄筋コンクリートづくりで建てられました。 間取りは,6畳,4畳半,台所,物置,そして大… 続きを読む
思い出の街角 明石町 教員住宅前の坂道 昭和43年明石町 教員住宅前。春先の雪解けの頃。 道路に両脇に積み上げられた雪が、冬の間投げ捨てられた「せきたんがら」とともに溶け出し、道路にきざんんだ溝を流れていく。坂が多かったまちのそんな春の光景が目に浮かぶ。 踏切を渡って東高にのぼる坂道の右手に続く住宅。坂の中程には、赤く塗られた火… 続きを読む
思い出の街角 大夕張の積雪(春日町) 昭和40年頃、春日町 冬 白黒写真に着色した画像 雪に埋れる水道小屋の前で 足下が吹雪く 兄ですが 後ろの水道小屋の屋根の雪がすごい。 足下から風で巻き上げる雪もすごいですね、道路の脇にも背の高さくらい、あるいはそれ以上の雪が積もっていたかもしれません。夜に風が強く吹いた日の翌朝は、吹き溜まりができ… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年 歩道橋 昭和45年、岳富町方面から歩道橋 まだ春先。歩道橋には「春の交通安全運動」の横断幕。山には、雪が残り、道行く人もコートを羽織っている。 白黒写真に着色した画像 歩道橋の向こうに大夕張駅前を発車する三菱バスと、栄街商店街が見えている。… 続きを読む
思い出の街角 戦後間もない 栄町商店街 昭和25年頃 白黒写真に着色した画像 通称、大夕張銀座。街の人々がさまざまな顔をみせる 写真の中に写り込んだ人たち 【飯田雅人】(2021年1月28日) かつて大夕張銀座とよばれた、この場所。 中央奥の、健保会館の武徳殿、遠くに富士見町あたりの住宅もぼんやり見えています。 戦後、バラック小… 続きを読む
思い出の街角 北の零年 ロケ地 (大夕張礦業所跡地) 2004年(平成16年) 夕張市鹿島1番地 大夕張礦業所跡地で『北の零年』の映画が、撮影された。 昭和53年の三菱大夕張礦業所跡地写真。このころ、まだ建物はいくつか残っていた。左下ゲート(入り口)(国土地理院空中写真) セット入り口からみる(かつての礦業所ゲート前) セット奥から入り口に向かって 商… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ川から、 まくら長屋 昭和40年頃 代々木町 白黒写真に色付した画像 マクラ長屋【長谷川潤一】 シューパロ川の向こうに見えている家並みは,代々木町の「まくら長屋」と呼ばれていた炭住です。 その先は春日町です。 代々木町の長屋は道に沿って、縦に建てられていましたが、ここは横に建てられていて、 縦の長屋の枕のような位… 続きを読む
思い出の街角 理容フレンド (栄町) 昭和48年 三菱大夕張炭砿、閉山の年。こころなしか閑散としているようだ。第二聖心幼稚園の前には横断歩道が描かれる。『フレンド』前には、一台の自転車。散髪中だろうか。 白黒写真に着色した画像 昭和48年 栄町理容『フレンド』前の通り。人通りも少なく、遠くに自家用車と子どもらしき人物が。 「坊ちゃん刈り… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 代々木町 バス通り 昭和40年頃、代々木町のバス通り。正面に詰所。住宅と共に外便所が並んでいる。この昭和40年代前半、この通りも舗装された。 写真のすぐ右手には、写っていないが、二棟の代々木アパートが建つ。 白黒写真に着色をした画像 代々木町詰所の屋根には、日の丸の旗のようなものが掲げられている。祝日だろうか。 長… 続きを読む
思い出の街角 泉町から大夕張駅 昭和45年頃、雪の大夕張。泉町の方向から撮影されたもの。 歩道橋と写真には写っていないが、鹿島小学校との間に、この写真ではまさに先頭のSLが通過しているあたりになるが、そこには、遮断機と踏切が設置されていた。 雪に埋れた鹿島小学校下。夏のお祭りやお盆の時期には出店で賑っていた 町ごと消えた大夕張炭山… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖畔(道立自然公園) 昭和37年に道立公園に指定され、当時は、観光による集客が期待されていた。大夕張鉄道のシューパロ湖駅が設けられ、食堂、公園などの施設が湖畔に作られた。開業当初は、観光への期待もあり、多くの人出で賑わった。 昭和30年代。夕張市の観光絵葉書より。小公園中央に立っている石碑は、清水沢-大夕張間が全面開通… 続きを読む
思い出の街角 昭和38年シューパロ湖駅ホームから シューパロ湖駅ホームからシューパロ湖を望む。 遠くに三弦橋、右手前に湖畔亭が見える。シューパロ湖の駅名標も映り込んでいる。 白黒写真に着色した画像 手前にシューパロ湖畔の小公園。整備の途上にあるような様子が見える。 https://ooyubari.com/2021/02/10/s38syupa… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋 昭和30年頃 白黒写真に着色した画像 この写真の橋は桜ヶ丘開拓地(シューパロ湖駅対岸)と大夕張方面を結ぶ橋だっだようです。昭和32年まであった鉄道の『農場前臨時乗降場』から、この橋を渡って対岸に渡ることができました。 奥鹿島には、1951年に鹿島開拓団が設立され、入所後、つり橋を建設し共栄橋と名… 続きを読む