戦後間もない 栄町商店街

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昭和25年頃  

白黒写真に着色した画像
通称、大夕張銀座。街の人々がさまざまな顔をみせる

写真の中に写り込んだ人たち 【飯田雅人】(2021年1月28日)

 かつて大夕張銀座とよばれた、この場所。

 中央奥の、健保会館の武徳殿、遠くに富士見町あたりの住宅もぼんやり見えています。

 戦後、バラック小屋が建ち並び、そこから昭和30年代にかけて、街の商店街が整えられていったといいます。大夕張の街で一番変貌が激しかった場所かもしれません。

 その通りの人々、いろんな人がいます。上の写真から切り取ってみましょう。

通りに立つ電柱の上で作業をしている電気技師
勤め帰りだろうか、鞄を手に通りを行く人々
店先の買い物客
通りの一角で、人々が集まり、何かを見ている様子

 それぞれの場面に、想像をめぐらせていると、聞こえてくるような気がしませんか、街の人の声が・・・・・。


『大夕張』新聞販売所【saitouさん】

 昭和30年頃、母が新聞配達をしていましたが、その頃の新聞販売店は高橋商店と日本通運の間の狭い路地を奥に入った左側にありました。
 母は北海道新聞の後、北海タイムスの新聞配達もしていたので、その販売店が北海道新聞なのか北海タイムスだったのか、こんがらがって思い出せません。

 看板は『大夕張新聞』販売所ではなく、『大夕張』新聞販売所の可能性が大きいのではないでしょうか。
 昭和32年前後、新聞販売店の手前に小さな貸本屋ができました。


ほぼ同じ場所でとられたメーデーの写真。 真ん中に立つ高い電柱と、同じ建物がいくつか写っています。こちらには、新しい購買会の写真が写っています。

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