思い出の街角 昭和40年 南部貯木場事務所付近全景 南部貯木場から事務所付近をみたパノラマ写真。 今回あらためて気がついたのだが、写真奥、正面のやや上の位置には、南部小学校の校舎が見えていた。 そして、正面の積み上げられた丸太の上には作業をしているらしき人物の姿もいることがわかる。 右手のモルタルの建物は当時、矢板医院だったらしい、今も南… 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その4 『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。四枚目。 以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』と同じように、大夕張営林署の貯木場から事務所付近にむけて写したもの。 遠目にだが、事務所建物には「災害絶滅」「安全第一」の標語の看板がかかっているのが見える。 … 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その3 『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。三枚目。 貯木場から遠幌方面、貯木場の東側半分をみたところ。 白黒写真に着色した画像 次は、昭和40年以来、38年ぶりに南部を訪れた『大阪の小林』さんの訪問記。 https://ooyubari.com/2020/06/29… 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その2 『懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林』に掲載の写真4点のうち、一枚。 この写真は、以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』の位置関係でいうと、同じ山を背景に視点を右に振ったかたちになる。 おそらく写真を撮影した人は、その1の写真を撮ってから、数十メートル右に歩いて山側を背景にふ… 続きを読む
思い出の街角 鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997 鹿島小学校6年竹組の教室前の廊下に立ち、窓から休み時間に、グラウンドで遊ぶ大勢の小学生や街をぼんやり眺めていた一人の小学生が、30年後同じ場所に立った。 子どもたちが走る度に砂埃がまいあがる乾いた赤茶けたグラウンドは、緑の絨毯に敷き詰められたグラウンドに変わり、眼下から湧き上がるにぎやかな歓… 続きを読む
思い出の街角 旧フレンド美容院の角 1997 前回、前々回の投稿した写真をつなぎ合わせて一枚の『作った写真』 合成写真。だからパノラマとも違う、遠近感もおかしなことになっているかもしれない。 子どもの頃、富士見町の家に帰る・・・ここは右に行くのが馴染みの道だった。 だからこの写真を見ていると、どうしても右に向かう道が気になってくる。… 続きを読む
思い出の街角 理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物 小さい頃から通った床屋の建物が目の前に。見覚えのある建物が残されていて懐かしかった・・・。 反面、人家の形跡はあるものの、すでに人が住まなくなってかなり立つらしく、玄関と窓に打ち付けられた木枠もすでに朽ちかけて荒れ果てるその姿にはなんとも言えない気持ちになった。 建物手前の道を右手に行… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から 『大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街』の写真の左側奥に、青い屋根をした建物が見える。 そこから反対側(南側)に向かっての写真。 青い屋根をしたその建物が、かつての理容パーマ『フレンド』の建物で、商店街の北の端にあたり、『まち』の終わりだった。 ここでは、右… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街 おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。 自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。 商店街の方に行く時には… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅ホームと改札口跡 旧ホーム跡の方に入ってみた。 それまで毎年のように何度か訪れていたが、さすがに他人の家の裏庭に勝手に入るような気持ちがして、入ったことはなく、できなかった。(実際、診療所の施設の一つとして使用されていた) この時、そうさせたのは、失われるものへと哀惜の情だったのだろう。 長大な石… 続きを読む
思い出の街角 グラウンドから駅舎と夕張岳 1997 鹿島小学校グラウンドからは、大夕張駅のホームと、停車中の石炭列車がよく見えた。 前回、『大夕張駅 大夕張に残った建物 1997』の写真にある駅舎から改札を抜けてホームがあったところ。 完全に建物の『裏』として使われている様子。 廃線から20数年、ホーム跡は縁石に名残をとどめ、この… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年 1997年から始めた『ふるさと大夕張』に、長谷川潤一さんが提供してくれた初期の頃から掲載していた写真の内の一つ。 だから覚えているという人も多いでしょう。 以下の文章も1998年当時のコメントに多少手をいれながら、再度掲載します。 『ふるさと大夕張』を作成していた頃も、なつかし… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅 1997 大夕張に残った建物 旧三菱大夕張鉄道の大夕張駅の駅舎。 1997年当時は、この建物の南側に鹿島生活館(地域のコミュニティセンター的な建物だろう)と、大夕張診療所が一つの建物に入り、駅舎の建物自体は、大夕張調剤薬局として使われていた。 写真では切れてしまっているが、右側の入り口に看板がかかっていたような記憶がある。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その6 1997 以前、『大夕張駅前の移り変わり』と題して投稿した記事で使用した写真の一枚。 そこではモノクロにして使った。 かつての駅前から弥生町・春日町方面にむかう通り。 1997年5月撮影 この視点で撮影したにぎやかな頃の街を写した写真は、数多く残るが、ここではそのうちの一枚、大夕張炭労の解散記念誌… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その4 信金跡 1997 『大夕張』バス停周辺。 夕張信用金庫大夕張支店だった建物。 旧支店だった建物には、『庶路建設』の看板が掲げられ、裏に続く住宅には住民が住んでいた。 1997年5月18日撮影… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その3 1997 旧大夕張駅舎前から南側。 ここに写っていないが右手に大夕張駅の駅舎(当時は大夕張診療所として使用)、そのすぐ南隣のかつて警察分署のあった跡地に建つ鹿島生活館の看板が見える。 人も住宅も少なくなったとはいえ、街の面影は残していた。 1997年5月18日 撮影 北側の商店街の方に… 続きを読む
思い出の街角 千年町 バス停1997 夕鉄「千歳町」美鉄「千年町」のバス停が立つ。 大夕張-千年町の間には、山内線「岳富町」「宝町」のバス停があった。 夕張、札幌に向かう時、山内線で停車するはずのその二つのバス停に止まらずバスは走った。 都会で走る『特急』『急行』という言葉の意味を、大夕張で学んだ瞬間だった。 1… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖畔 道路開通の頃 まだ未整備なシューパロ湖畔の様子は、昭和37年の道路開通の前後の様子だろうか。 湖畔に設置されたボート乗り場には、モーターボートで湖面を遊覧する当時の若者たちの姿がある。 昭和30年代に夕張市から発行された絵葉書には、湖畔亭そばの小公園完成後の姿や、「シューパロ湖畔・職場対抗ボート大会」… 続きを読む
思い出の街角 1997.5.10 大夕張のまち その2 『1997.5.10 大夕張のまち』から、大夕張郵便局と向こうの商店街を拡大した部分 https://ooyubari.com/2022/02/14/19970510machi… 続きを読む
思い出の街角 土手から旧駅舎と夕張岳 1997 1997年5月の大夕張訪問時に、前回、小学校のグラウンドからの夕張岳の景色は撮っていなかったと書いた。 しかしそのあと別のアルバムの中から、同じ日に撮影したこの写真がでてきた。 場所は、バックネットと鹿島小学校校舎のちょうど中間。 イタヤカエデの木、そして大夕張駅の駅舎や消防署が夕張岳を… 続きを読む