閉山を迎える街 昭和48年の街 その8 上村さんが、昭和48年に撮影という写真のシリーズから。 自分が住んでいたのは昭和46年3月までだったのだが、その当時と街並みはほぼ変わらないだろう。 栄町から富士見町方面を見渡した部分。 自分が富士見町6丁目に住んでいたのは、山のすぐそば、山の近く。 家の裏の沢を越えて道なき急な坂を登る、そ… 続きを読む
大夕張の全景 大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1 『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。 大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。 彩色していきな… 続きを読む
大夕張の全景 八百五十 山の向こうへの思い 昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像 八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日 私は昭和23年6月… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その7 大夕張神社からの風景。 大夕張駅構内。購買会裏、倉庫などの貨物、石炭置き場など、住民にとっての物流の拠点を中心に置かれた写真。 二枚の写真を合わせたため中心でわずかにズレが生じている。 拡大して閲覧できるように高解像度のまま掲載。 大夕張神社から https://ooyubari.com/2… 続きを読む
大夕張の全景 南部 全景 昭和の初め、炭砿の中心が南部から北部大夕張へ、そして昭和48年以降ふたたび石炭で栄えた南部の街の全景。 中央に、三菱南大夕張炭砿と営林署の貯木場。 夕張岳を背に奥に大夕張ダム。 ダムから下流、夕張川が流れる。シューパロ川というのは二股より上流の呼び名だった。 一番手前が『菊水町』、右に橋… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その6 昭和48年(1973年)の大夕張の街。 その3(富士見町の山の方の住宅地)から、ずうっと、その4(北栄町-官行の工場地帯)、その5(大夕張を中心にした駅前)と視線を巡らせて、足下には、神社の登り口でもある鹿島小学校のグラウンドが見える。 下の様子が手にとるようにわかる。 バックネ… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その5 昭和48年の街。 山懐に抱かれた街並みの様子を大夕張駅中心に、神社からの風景。 あの日、あの時、神社から見た街のように、駅前通りを行く人、学校のグラウンドで遊ぶ子どもたち、家のそばの空き地、写真の中に新しく見つけたものはあるだろうか。 昭和48年大夕張… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その4 昭和48年(1973年)の街なみ。 手前、スキー場と周辺の富士見町2丁目の住宅。 健保会館プールの向こうに栄町1丁目から炭砿病院。 そして向こうには、官行が工場群が見えているという大夕張神社からの見慣れた光景だが、この後、ほんのわずかな期間でこの光景は一変したことだろう。 小学校の頃、左下の青い屋根… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その3 昭和30年代、最盛期には、山の上の方まであった住宅も、空き地が目立つ。 その空き地のあたりも子どもの頃のいい遊び場になっていた。 昭和48年(1978年)の富士見町方面。 今は、このあたりを国道が通っているようだ。… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その1 「思い出帖-パノラマ」に掲載している『昭和48年 大夕張 街並みの』の写真は、閉山直前のにぎやかな街の最後の姿ですが、一連の写真を一枚ずつ掲載していきます。 夕張岳の麓。大夕張の街。1973年(昭和48年) 『昭和48年 大夕張 街並み』のパノラマ写真はこちらから。 https://ooyuba… 続きを読む
大夕張の全景 昭和30年頃 繁栄の街 一面の雪に包み込まれた街。 日が沈む頃、手前の山の影が街全体を先に覆いはじめる。 町から見える夕張岳が沈む夕日を浴て輝く時間。 冬のある日、街に急に訪れる一日の終わり。 白黒写真に着色した画像 白一色の世界に炭住が整然とならぶ… 続きを読む
大夕張の全景 台地にひしめく炭住群 昭和36年大夕張上空を北から南に向けて撮影した全景写真 昭和36年8月6日 北海道新聞空知版掲載写真 (※この写真も高精細な解像度で掲載しているので、PCでは、画面をクリックしたあと、あらわれる画像をもう一度クリックすると、詳細に閲覧することができます。) この大夕張を俯瞰した写真のポイ… 続きを読む
大夕張の全景 雪どけ大夕張 昭和39年 鹿島小学校グラウンドが雪解け水でいっぱいです。泥水の中を長靴を履いて走り回っていた子供時代の記憶は遠い昔。この時期街はそんな泥水でいつも汚かったような・・・。夕張岳は陽をいっぱいに受けて輝いています。 昭和39年4月大夕張神社より… 続きを読む
大夕張の全景 昭和31年冬 神社から 昭和31年、このころ、まだ緑町と弥生町には大きな寮らしき建物が見えている。緑町には、緑?荘という寮が保養所のそばに建っていた。鹿島小学校もまだ木造の校舎。 白黒写真に着色して画像処理 大夕張神社から。鹿島小学校グラウンドから緑町・弥生町の住宅が一面びっしりと建ち並ぶ。最盛期の街並。… 続きを読む
大夕張の全景 昭和47年 常盤町全景 昭和47年5月2日の常盤町全景 常盤町全景写真 常盤町の全景を三枚に分割した写真。一枚ずつ拡大してみることができます。 心に残る風景 【森健二】(2012.1.12) 昭和47年に、兄と北海道を旅行した時に、大夕張に立ち寄って撮影した常盤町の全景です。 撮影日は昭和47年5月2日。 写真の管理… 続きを読む
大夕張の全景 明石町全景 東高の丘から 「東高の丘から」という表題を付けましたが、たぶん夕張東(鹿島)高のグラウンドから見ている写真だと思います。 大夕張労組の解散記念誌に掲載されていた一枚。ここの角度での風景は、『GoogleEarth』や、『Googleマップ』で『鹿島眺望公園』に行くと、簡単に見ることができます。 『鹿島眺望公園… 続きを読む
大夕張の全景 昭和30年代 明石町 「春は線路からやってくる」こんな詩を思い出しました。線路や道路の脇には溶けきらない雪が残っているようです。季節は5月の上旬あたりでしょうか。 マッチ箱を並べたような(古い表現!)明石町の炭住。中央を東西に延びる道路のそばに、詰所や浴場の建物が見えています。 手前にあった夕張東(鹿島)高校の教員… 続きを読む
大夕張の全景 昭和42年 雪の大夕張(全景写真5枚) 昭和42年頃、冬の大夕張。雪に覆われた町は、建物がよく見える。さて、あなたはいったい何を見つけるでしょう。 その1(礦業所・富士見町方面) 手前に会社の啓心寮(独身寮)、倶楽部とその庭、周囲の富士見町の住宅街。向こう初音沢方面まで見える。左手の雪面には、昭和30年代、山に沿ってもっと高いところまで住… 続きを読む