ギャラリー

故郷への思い。絵画・写真

同室患者 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

同室患者 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月20日. 炭砿病院の病室。「仝室患者」と書かれているが、同じ部屋の患者であれば、この時期、祖父も一時入院していたことになる。 祖父の書き残したものによると、 「昭和の初め頃、流行性眼病とか耳の障害、また外科では、自分の不注意から湯たんぽによる足のヤケド等で治療を受け短期間で回復」(長…
1997.5.10 大夕張のまち 写真

1997.5.10 大夕張のまち

平成9年(1997年)5月に大夕張を訪ねた時のかつての駅前。 どうということのない一地方の町の姿のようにみえるかもしれない。   自分が暮らしたあの盛んだった頃のまち・・・という名のフィルターがかかり、その落差にとまどった。 今から25年前のまち。 土曜の日のお昼頃、歩いている人の姿をほとんどみるこ…
雪庇 写真

雪庇

駅前だるま食堂だった建物の雪庇。 その昔、晴れた日にはせり出した軒先の雪庇を軒下から長い棒でつついて落とした。…
氷柱 写真

氷柱

その昔、吉井薬局となりのだるま食堂だった建物。 隣の建物とともに最後まで駅前に残った。   軒先に大きなつららが下がっていた。  …
炭砿住宅 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

炭砿住宅 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月20日と記されたスケッチ。 昭和14年は、当時祖父35才。弥生町から宝町に引っ越した年だった。 炭砿住宅をスケッチしたものだろうか。玄関、外便所など特徴ある建物。 けっこうな量の雪が積って見える初冬の風景。 場所は不明。 住宅地 初冬の大夕張 長谷川安造『流れのように』大夕張のくらし…
吹雪 三弦橋 写真

吹雪 三弦橋

雪が大きな粒となり、風にのって空を舞う。 風とともに吹きつけ、目が痛い。 あたり一面は真っ白になる。 顔についた雪が溶けて冷たく熱い。 そして凍り付く。   こんな日もある。…
住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月19日の記載があるスケッチ。小さなスケッチ帖の2ページに描かれた風景。 祖父長谷川安造が、沼ノ沢から大夕張に転勤となり、新築炭住の弥生町に引越したのは昭和13年(1938年)春。 翌14年(1939年)、宝町に新炭住が完成し、そこに引越した。 更に、昭和15年(1940年)、宝町に夕…
夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~

黒い表紙の小さなスケッチ帖を開くと、昭和14年11月19日の夕張岳が描かれている。 表紙の裏に鉛筆の粉がついて、ページ全体が黒ずんでいるが、描かれた線はしっかり残っている。 鹿島小学校(当時は大夕張尋常高等小学校)の木造校舎の屋根越しに見える夕張岳の姿だ。   かつて祖父の自宅仏間には、夕張岳の写真…
祖父のスケッチ帖    絵画

祖父のスケッチ帖  

祖父長谷川安造が沼ノ沢から大夕張の尋常小学校に赴任したのは、昭和13年春のこと。 34才の働き盛りの家族五人を抱えての引越しだった。 祖父は、絵を描くことが好きだったようだ。 秋の冷え込む頃に写生に歩き、土手や山野に腰をおろしてスケッチしていたため、肛門を悪くし入院し手術したという。 退職してからも…
千年町バス通りの鹿|高橋歌子 写真

千年町バス通りの鹿|高橋歌子

2010年6月、千年町のバス道路。 織田商店の前辺り 向かいにお寺(願正寺)が見えた。 道の両側には、千年町の商店街が見えた。 右手に織田商店。 今でも眼を閉じるとその光景がうかぶ。 当時は何もないと思っていましたが、木の電柱がここに街があったのだと教えてくれるようです。 新たに大夕張の住民になった…