ギャラリー

故郷への思い。絵画・写真

追分グラウンドにて ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

追分グラウンドにて ~祖父のスケッチ帖から~

10月28日の記載。描かれたページの順番から昭和15年から昭和21年までの頃であることは間違いない。 戦争の時代。 大夕張尋常高等小学校(鹿島国民学校)の高等科女子を受け持っていたという。 遠足の時の昼ご飯の風景だと思われる。   見てのとおり、「追分グランドに於て」と書かれてある。   大夕張目線…
鹿島小学校グラウンド 写真

鹿島小学校グラウンド

2022年5月6日   何もない 林の風景・・・。 でもここは、旧鹿島小学校グラウンドの北東の角。 汽笛の代わりに小鳥のさえずりがきこえる。   『旧鹿島小学校跡地』にて…
遠足 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

遠足 ~祖父のスケッチ帖から~

  昭和21年10月22日遠足と祖父の字で記入がある。 調べるとこの日は、火曜日。 子どもにとって遠足は、前日の夜はリュクサックに詰めた荷物を枕元に置いて、次の日が待ち遠しくて眠られなかったものである。 そして、遠足といえば、天気が気になる。   気象庁のサイトで、地域から年月を遡って過去の天気を調…
桜と夕張岳 写真

桜と夕張岳

先日、2022年5月6日の大夕張行。 大夕張に向かう夕張市内は桜が満開だった。 ここからは夕張岳本体が一番よく見える。 場所は、清水沢から大夕張方面に入って直ぐ旧北炭清水沢発電所の手前あたり。   住んでいた頃ここから見える夕張岳の姿は見たことはほとんどなかった。   この姿は、大夕張に「もどる」記…
ふきのとうと夕張岳 写真

ふきのとうと夕張岳

 先日、2022年5月6日に大夕張に行った際、札幌では散り始めている桜が、夕張市内は満開だった。  白い辛夷の花もあちらこちらに見られた。  ふきのとうの草地は、蕗が葉を広げ、イタドリが勢いを増してきている我が家の近所。     「春を見つけてきました」ということで、植物と夕張岳が一緒に写るところを…
水仙と夕張岳 写真

水仙と夕張岳

現地からの投稿です。 眺望公園に来ています。 5月の風に心地よく吹かれています。 風にのって鳥たちのさえずりが聞こえてきます。 穏やかな日です。   (2022年5月6日)…
朝の夕張岳   ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

朝の夕張岳   ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月23日 朝 とのメモ。 日付が出てくると、つい曜日まで知りたくなるのは性分である。   昭和14年(1939年)のスケッチに出かけたこの日は、木曜日。 今なら『勤労感謝の日』で祝日だが、当時は・・・。   昔の人なら覚えているかもしれない、「新嘗祭」(にいなめさい)(しんじょうさい)…
旧白銀橋から新国道(富士見橋方面) 写真

旧白銀橋から新国道(富士見橋方面)

 2012年7月22日に佐々木さんという方が、『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』の写真掲示板に貼ってくれた写真を転載する。当時は複雑な心境で眺めた写真だったが、今となっては過去と現在をつなぐ貴重な写真になった。      当時、次のような文章とともに投稿された。 『白銀橋を渡って夕張岳ヒュッテの入り…
働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~

  看護婦さんという言い方から看護師さんというようになって久しいが、当時の看護婦さんの働いている姿をスケッチした三枚。 思い出しながら自宅で、あるいは病室の中で時間を持て余しつつスケッチ帖を手に描いていたのだろうか。日時の記載はないが、昭和14年の病院の絵の続きのページに描かれていた。 キャップと、…
大夕張神社 桜日和 スライドショー

大夕張神社 桜日和

五月には、ようやく大夕張で桜が咲く。   一枚の写真から大夕張の春をイメージしてみましょう。     神社の丘に立って、眼下の街を眺め    神社の丘に立って、耳を澄ませば   いったい 何が聞こえて いたでしょう   ほらあなたにも聞こえていた   忘れることのないあの声と街の音       ht…
病室にて ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

病室にて ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月19日。 『病室に於いて」とある。 どこかの炭鉱住宅を思い出して描いたのか、窓から見える風景を描いたのか。   昭和40年代自分が、父を炭砿病院の病室に見舞った時、病院の窓から見えた景色はよく覚えている。 病室の窓からは、東には隔離病棟そして東南方面の住宅地が見えた。 その頃と同じで…
明石町 バス停 1997 写真

明石町 バス停 1997

1997年5月18日。 もと大夕張鉄道明石町駅舎の前に立つ夕鉄バスと美鉄バスのバス停。 夕張・札幌方面に向かうバス停留所。 10000万人以上人口を数えた昔と同じように、過疎化が進んだ当時も、変わらず最後まで二つのバス会社が乗り入れていたことに驚く。 向こう側が、大夕張・千年町方面。 旭沢にかかる明…