回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

『安田のおばさん』の味|飯田雅人 思い出ばなし

『安田のおばさん』の味|飯田雅人

 今日,母がTV番組の道産子ワイドでやっていたからといって、『おふくろ煮』というおかずを作りました。  キャベツをあぶらげと一緒に煮たしょうゆ味の食べ物です。   これを食べるといつも思い出すのは『安田のおばさん』と呼んでいた一人の女性です。    昭和40年前後,父が北大病院に入院し、母が付き添い…
ミカン箱のそり | 内川准一 随想

ミカン箱のそり | 内川准一

 みかんの箱のふたを取ると、下から現れる絵柄のセロファン。    産地によって、いろいろと趣向を凝らしたみかんの絵だったり、凝った模様がセロファンの縁を飾っていたりしたものでした。   きれいなものは、南国に思いをはせながら、集めましたよね。  そして、箱の方は、最後には手作り「そり」になったもので…
雪の降る夜の大夕張|高橋正朝 #71 続・大夕張つれづれ

雪の降る夜の大夕張|高橋正朝 #71

   H という男性に出遭ったのは、私がリビアから帰国してから、3〜4ヶ月した春のことである。 だから、38年前にさかのぼる。     私が所属していた会社が、私を、ある商社に出向させた。 その商社の本社に行って担当者に会ったのは、そのとき1度だけだった。      その後は、その商社が一部分賃借し…
教会のクリスマス |千古のみどり 思い出ばなし

教会のクリスマス |千古のみどり

河村先生のステンドグラス  教会の行事があるごとに、河村先生は、色とりどりのセロファンを型どって、教会の窓硝子に貼り付け私達に、ステンドグラスとはこんなものなのかと見せてくれました。  作業は決して人に見せないで、夜中にこっそり仕上げて、私達を驚かせ、喜ばせてくれました。    キャロリング  クリ…
雪の思い出|上村正樹 思い出ばなし

雪の思い出|上村正樹

雪で思い出すのは、鹿島中を卒業してから高校入学式までの間、除雪のバイトに行った事。 確か日当が600円だったように記憶しています。 他にバイトなんて無かったと思います。 昭和45年の高校入試は大雪で、交通機関がストップして、試験が延期になりました。  東高の行事で雪祭りがあり、製作中に崩れて下敷きに…
土屋先生|成松泰彦 随想

土屋先生|成松泰彦

『2001年10月28日 私のふるさと物語』 昨日のロケで鹿島小学校グランドに行ってまいりま した。 終日、夕張岳が僕らを雨から守ってくれ顔を出してくれていました。 お祭りの時に、でみせが出店していたように体育館の下の道端には久しぶりに車・ 車・車・・久しぶりに賑わった大夕張。その数100名。 そし…
幼き記憶の大夕張|三浦浩信 随想

幼き記憶の大夕張|三浦浩信

 私は、昭和39年に、代々木アパートというところで生まれました。  祖母は当時 "たつみ" という焼き鳥屋を経営しており、私は、祖母の家に幼い頃しばらく滞在していた記憶があります。    母は男1人・女2人の3人兄妹の長女で、旧姓「山田秀代」と言います。    私の記憶の中に、今でも当時の事で憶えて…
窓に迫る雪山|斎藤敏幸 思い出ばなし

窓に迫る雪山|斎藤敏幸

栄町ブロックでも良く雪はねをしました。 雪をはねる場所がなくなると、段はねをするのですが、その度に向かいの棟の1階の窓に雪山が迫り、大変だったのではと、今頃痛切に思っています。 1階に住んでいる人たちは、雪山で外は見えないし、暗いし、早く春になって、雪が溶けるのを待っていたのでしょうね。 あんなに雪…
新型コロナのワクチン接種 | 高橋正朝 #70 続・大夕張つれづれ

新型コロナのワクチン接種 | 高橋正朝 #70

一昨日( 2021年12月16日 )に、第2回目の新型コロナワクチンの接種をしてきた。    接種会場は、BKK のバンスーという駅である。 新しい駅で、まだ開業していない。  だからこそ、ワクチンの接種会場にしたのだろう。    BKK から、タイの東北地方への玄関口になる。 広さは、上野駅、新宿…
ドカ雪 |ziny 随想

ドカ雪 |ziny

空を、上を、見あげて 電信柱に降る雪は、いつまでもきれいに降る雪でした。 (周りは闇) (80ワット?オレンジ色の電球に降る雪) (体感温度、マイナス13度かな。鼻が紅く、少しふっつく。) ただ、・・・白いものが・・雪が降っていました。   とけて、煤をうけてくろくなる・・・当然・・・生活の色でした…
宝町の標語塔 | 湯浅純人 思い出ばなし

宝町の標語塔 | 湯浅純人

わが故郷大夕張・・・。 駆け回った野山、泳いだ川、遅くまで遊んでいてよく親に家から出されたっけ。 生まれてから中学校を卒業するまで住んでいた大夕張は、私にとっての原風景です。   ところで宝町の岳富町に下りていく所の広場にあった、   「子は宝 錦のこころ 千年まで」   という標語が書いてある塔(…
大夕張でのスキー|山本栄子 思い出ばなし

大夕張でのスキー|山本栄子

私も60年前(小学生迄)、冬は毎日の様にスキー場に行ってました。 確か神社があり、そこから転ばぬ様に、かなりのスピードで滑り降りるのがベスト。 ロープリフト ロープにつかまって上がり、神社のある上迄行き滑り降りる単純な繰り返し。   手袋も雪がいっぱい、鼻水も。   今のようなスキーウェアも無く、寒…
昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami 思い出の記

昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami

 昭和 50年ごろ、8mmが欲しくて迷っている時、世の中にビデオカメラが出てきました。  直ぐ買いました。 昭和53年の時です。  その時はカメラが28万円。しかし ビデオデッキが無ければ使えませんでした。ビデオデッキも28万円しました。  でもカメラに覗き窓だけで、ピントはテレビの画面見て合わせま…
雪に埋まりました!|ziny 思い出ばなし

雪に埋まりました!|ziny

 いやぁー、あの頃は本当に雪が降りました。  もうー半世紀・・50年も前ですね。  昔は家の前に、雪はねの場所を先に作ってから、雪かきでした。    前の家が見えなくなってました。    玄関先のつららは、2~30cm位の太さでぶら下がってました。    当時、私は家の裏に回っていたところ、突然、屋…
大夕張の教会 |山本栄子 随想

大夕張の教会 |山本栄子

 今から60年以上も前、初めて大夕張カトリック教会のクリスマス会に行きました。  シナモン味のドーナッツだと思うのですが、ニッキ味とは違い、生まれて初めてのシナモン (多分その当時はシナモンすらわかってなかった?)  この世の物か?と思いました。    6年生の冬、捻挫をしてしまい病院に行く為、母を…
汽車にハネられそうになった小型トラック|高橋正朝 #69 続・大夕張つれづれ

汽車にハネられそうになった小型トラック|高橋正朝 #69

   この話は、私が10年ぐらい前に、鹿島中学校の1年生のときと2年生のときに同級生だった女子生徒に、バンコクから電話した際に聞いた話しだった。      そのときは、大して気にも止めずに聞いていたのだが、〘 ふるさと大夕張 〙にそのことを投稿せんがため、それを了解してもらうことと、不確かだった内容…
南大夕張の選炭機|Kawauchi Masami 思い出の記

南大夕張の選炭機|Kawauchi Masami

  私が勤務していた南大夕張の選炭機のはなしです。  運転の時、操作盤のランプテストあとに、工場内に2回のベルの合図、3回目で運転です。 運転は両手で、同時に2つの運転スイッチを押します。   順番に運転していきます。  石炭が上がってきました。 水槽で煽りながら、比重の違いで石炭とズリを、分けてい…
採炭から選炭へ(後編 選炭)|Kawauchi Masami 思い出の記

採炭から選炭へ(後編 選炭)|Kawauchi Masami

  選炭機 石炭の選別  選炭機では『1号炭』、『2号炭』、『ズリ』に分けられます。 コンベアにのって石炭が運ばれてきました。  水に入れて煽っていきます。  水は流れています。その中でズリは沈み、ズリ山へ運ばれます。     少し軽い石炭は2号炭になります。  2号炭の荒目は家庭に配られます。細い…
採炭から選炭まで(前編 採炭)|Kawauchi Masami 思い出の記

採炭から選炭まで(前編 採炭)|Kawauchi Masami

 石炭とズリが選炭機にくる前の、現場の話を書きます。    私は、掘進現場と採炭現場の機械も、修理していました。   炭鉱の事を、採炭現場から選炭機まで知ってる人は、少ないと思います。  思い出しながら書きます。 採炭現場 大夕張 採炭現場 南大夕張 採炭現場  まずは、採炭現場から。  ドラムカッ…
T の後頭部の傷 |高橋正朝 #68 続・大夕張つれづれ

T の後頭部の傷 |高橋正朝 #68

 今から7〜8年ぐらい前だから、2014年ぐらいのときだったように思う。  用事があってバンコクから帰国した際、札幌で、鹿島東小学校の4〜6年生の菊組で同級だった、苗字のイニシャルの U という男性と会った。  娘さんが2人いて、それぞれ子どもがいる。        U…