回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

私の故郷 | ゆかり ジャーモン 随想

私の故郷 | ゆかり ジャーモン

 私は今アメリカのテキサス州ダラス市の会社からこの手紙を書いてます。   私の旧姓は藤井ゆかりです。私は昭和36年に夕張市で生まれました。   私が物心ついた頃は、夕張市花園町(その後、遠幌町に変わったかもしれない)に住んでいました。  私の叔母や叔父や祖父母は大夕張に住んでいて、そのうちの猪野泰次…
袋田滝|久々湊真一 随想

袋田滝|久々湊真一

 紅葉の季節ですね。  内地に比べると、大夕張の紅葉は鮮やかさが違います。ただ、期間が非常に短いのでタイミングが悪いと、見損なう恐れもある。  内地に住んでの感想は以前書きましたので割愛しますが、印象的な事柄として、車があります。  交通量の多さには、勿論驚きましたが、車の色の違いに感慨深かったので…
夕鉄バスの記憶|乗田功一 思い出ばなし

夕鉄バスの記憶|乗田功一

   子供の頃、冒険心を起こし親に内緒で一人で、夕張へ行ったことがあります。    当然、お金もないので、清水沢までは汽車で(当時、回数券が会社より支給されていたのでタダで乗車できました)行き、そこからバスに乗り換え夕張へ。     適当に町をブラついたあと、帰りは逆のコースをとるべくバスへ乗車しま…
《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny 随想

《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny

 私の大夕張から旅立ちの光景。  今から42年前の3月、大夕張を朝7時過ぎでしたか、大夕張駅前のバス停で、バスケの仲間からケネディ大統領の文庫本を渡され、送られた記憶。  地面は雪でガリガリ。  札幌まで、今は亡き親父が送ってくれました。   バスの中で、小川知子の「初恋の人」が流れていたのが、今も…
最後の記念写真 |斎藤敏幸 思い出ばなし

最後の記念写真 |斎藤敏幸

   栄町アパートには、東高を卒業するまで住んでいました。    当時の住所は、栄町2丁目14番地の8です。    ここには、元木造の八軒長屋が建っていましたが、それらを取り壊して立てられたものでした。    私は、小学校に入る前年に、新築時に入居しました。  コンクリートブロックの住宅は、当時とし…
夜空を見上げて |石原賢治 随想

夜空を見上げて |石原賢治

 私の住む所は、最近晴天続きで、晴れ晴れしております。  夕方の帰宅の頃、空を見ますと、大きな月が出ておりました。  満月のようですが、ちょっと欠けてるのかな? という感じで、カレンダーを見ると、確かに旧暦の15日でした。  そういえば、最近夜空を見ても、月明かりはあっても、星を見る機会がないなと思…
父の事故 |内川准一 随想

父の事故 |内川准一

 昭和35年の夏のこと、採炭夫の父は2度目の事故にあった。  大夕張の夏祭りの夜のことだった。   代々木町のアパートの間に架けられた巨大スクリーンで、屋外映画を見ていた私と妹は、会場内放送で呼び出された。   何故呼ばれたのかは、炭鉱の子供にはわかる。    詰所の人が、 「お父さんが(発破)事故…
北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61

   ピーマンは、私の好物な野菜だ。  たしか、『 クレヨンしんちゃん 』のマンガだったと思ったが、ピーマンを食べない『 しんちゃん 』に、食べさせようとする母親の『 みさえ 』とのバトルがあった。       子どもが、ニンジンが嫌いだの、ホウレン草が嫌いだのという場面を、マンガやテレビのホームド…
母の大夕張への思い|二木 晃 随想

母の大夕張への思い|二木 晃

 私の母は、当時、炭砿病院の隣にあった「家政塾」の和裁と料理の先生をしていました。  平成十二年に、名古屋のわが家で亡くなりましたが、時折、大夕張の生活を懐かしみ、短歌に記しておったようです。  先日、遺品を整理していたところ、大夕張への思いをつづった短歌数編が出てきましたので、拙いものですが、供養…
MY HOME TOWN | J 随想

MY HOME TOWN | J

 最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。  「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。   聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。    宣伝ではありませ…
大夕張を訪ねて|森雄司 随想

大夕張を訪ねて|森雄司

 三重県生まれで、三重県育ちの僕が、大夕張を訪ねたのは、9月中旬で偶然の出来事でした。  僕と妻は、「幸せの黄色いハンカチ」のファンで、そのロケ地を訪ねた後、富良野に向かい国道452号線を走っていました。  除雪車のような機関車が置いてある所を少し走ると、人気の無い町があり、カーナビはそこが鹿島であ…
八百五十の歌詞など | 早坂治敏 随想

八百五十の歌詞など | 早坂治敏

 前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。  この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。   現在は富山に在住です。    転勤してから、立山連峰の山々に登っております。   浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。   夕張岳には昭和37年に登っています。    同じく八百五十にも昭和37年の…
サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄 思い出ばなし

サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄

「思い出貼」-「音の風景」の「サイレン」を聞くと、重苦しい雰囲気を思い出します。  鹿島小学校の授業中に、単発のサイレンを聞くと、定刻の知らせと安心しましたが、突如、連続して鳴りだすと、沈痛な雰囲気となりました。  定刻以外で連続して鳴りだすと、炭坑(ヤマ)が崩れたか、ガス爆発が発生したという合図だ…
見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami 思い出の記

見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami

  今日、片付け物してて写真を2枚見つけました。 その内の『C1101』の写真。 いつの頃か? 後ろに、三菱のラッセル車が見えます。 この汽車、見たこと有るような? 石炭の積む所が小さいので、印象に強く残っています。   番号の 『C1101』 覚えているような気がします。 大きく引き伸ばして有るか…
里見公園|宇良田彰 思い出ばなし

里見公園|宇良田彰

 「里見公園」というキーワードで検索すると大変な量のサイトがピックアップされてきました。  全国にはこれと同じ名称の公園が結構あるのだなと感心しました。    「里見公園(サトミ公園)」に関する想い出を一つ...。   高校時代に坂を下りた所に、確か「池田食堂」という屋号だったと思うのですが、そこで…
酸とアルカリ その2 |高橋正朝 #59 続・大夕張つれづれ

酸とアルカリ その2 |高橋正朝 #59

 以前書き込んだことだが、pH( ペーハー )の表を、鹿島中学校2年生の理科の教科書に載っていたのを眺めながら、強アルカリは、どういう現象を引き起こすのだろうか?と、疑問に思い、その疑問を持ち続けていた。       石けん液が目に入るとしみる。 これは誰でも経験して知っている。       鹿島東…
大夕張のこと| 内川准一   思い出ばなし

大夕張のこと| 内川准一  

 大夕張の最盛期は、たぶん、昭和35年頃だったように思います。   昭和37年、鹿島小学校卒業と同時に大夕張を離れた私にとって、昭和54年、17年ぶりの故郷との再会は衝撃的でした。   思えば、     町をあげての運動会。  メーデーの行進。  のど自慢大会。  ヘリコプターの校庭への飛来。  闘…