回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

拝啓 『ふるさと大夕張』様 | 鈴木一郎 随想

拝啓 『ふるさと大夕張』様 | 鈴木一郎

 はじめまして、私は大夕張で生まれ、中学3年の春まで住んでいました。  このホームページはいつも楽しく拝見させていただいております。  大夕張が実質的になくなった今は、このホームページが唯一の「ふるさと」であるような気がします。  『住民登録窓口』、『大夕張掲示板』などで、昔の仲間を見つけると懐かし…
雪虫(ユキムシ)|西山正男 随想

雪虫(ユキムシ)|西山正男

今日、一人で家に居る時に 「雪虫」を思い出しました。🤔 雪が降り出す直前に降って来る「雪虫」 本当に美しい故郷大夕張です😂 (2020年1月8日 記) 晩秋 10月半ばから11月にかけて あらわれる 冬の使者   髪についたり ヤッケに止まったり あけてる口に 飛び込んできたり 油断ならないやつだが…
鹿島小学校と鹿島東小学校の学級数|高橋正朝 #65 続・大夕張つれづれ

鹿島小学校と鹿島東小学校の学級数|高橋正朝 #65

 先日、田中( 旧姓 )敏子 さんと、久しぶりに電話で話した。  彼女は鹿島小学校の出身で、私は東小学校である。       彼女とは、鹿島中学校の1年 F 組で初めて同級生になり、入学時には、私の前の席に座り、その隣席は、苗字だけしか覚えていないが、小池 という女子生徒で、やはり鹿島小学校出身だっ…
遙か遠い大夕張 |KM 思い出ばなし

遙か遠い大夕張 |KM

   明石町で生まれ、小学5年生まで鹿島東小に通っていました。  小学2年生頃までは、千年町まで汽車で通学していましたが、その後徒歩で通学してました。  今、思い返すと片道3キロ以上を、ひたすら歩いて通学していたんですね。  常盤町を過ぎると、明石町までは、人家も何もない砂利道を歩いて通学するのが当…
神戸田舎者物語 | 斎藤敏幸 随想

神戸田舎者物語 | 斎藤敏幸

 所用があり、昨日神戸へ行き、その夜、同級生の加藤(旧姓)美代子さんに会ってきました。  彼女は、僕と同じ栄町ブロックに、新築時から入居し、18になって大夕張を後にするまで、上と下に住んでいました。   小学校から高校まで一緒で、幼なじみというよりは、兄弟姉妹の感覚で付き合ってきました。  中学・高…
鼓笛隊 |石原賢治 思い出ばなし

鼓笛隊 |石原賢治

 思い出帖の中に鼓笛隊の写真が掲載されています。  私も、昭和43年当時所属していました。  確か4年生から入部出来たのではないかと思います。    低学年の頃は、運動会ですとか、何かの行事ですとかで、パレードする姿を見て、とてもまぶしい気持ちで眺めていました。  子供心ながらに、クリ-ム色のベレー…
北海道弁••••••じょっぴんかう、じょっぴんかる |高橋正朝 #64 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••じょっぴんかう、じょっぴんかる |高橋正朝 #64

 北海道弁、〘 じょっぴんかう 〙もしくは〘 じょっぴんかる 〙は、ネットで調べたら、東北地方でも使うようである。  この言葉のルーツも、やはり東北だろう。 ただ、この〘 じょっぴんかう 〙〘 じょっぴんかる 〙の検索結果の件数は少ない。       我が家では、〘じょっぴんかう 〙という表現だった…
炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami 思い出の記

炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami

    嘘か本当かは分かりませんが、私の兄、次男が言っていたことです。  まず、  三菱の職員住宅は、後ろが山で、暴動が起きても責められ難いとか、  大夕張の街には、鉄道でしか行けず、道が無かったのは、昔、タコや朝鮮人が連れて来られて、逃げられない様にしていたとか、  戦争が終わった、終戦後、引揚者…
米沢先生訃報に接して|小林光志  思い出ばなし

米沢先生訃報に接して|小林光志 

 昭和27年鹿島小学校入学で、小学校3年生頃、担任ではありませんでしたが、一緒に遊んでくれた思い出があります。   米沢先生のクラスに、友人がいましたので良く遊びました。   深夜、米沢先生が宿直の時、鹿島小学校でお化け遊びと称して、何人かの友人たちと学校内を探検しました。  ある日、先生が私たちを…
夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史 思い出ばなし

夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史

 高校3年の修学旅行時(何度か書きましたが、私は小学4年の時に大夕張を離れましたので、当然夕張の高校ではありませんが)、函館→青森の青函連絡船内で、同じく修学旅行中の夕張北高の一行と、偶然にも一緒になったのでした。   その時の状況を詳しくは思い出せませんが、「夕張」ということで、多分私がその中に知…
北海道弁••••••もちょこい、もちょこす | 高橋正朝 #63 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••もちょこい、もちょこす | 高橋正朝 #63

 東京にきてから、この〘 もちょこい 〙〘 もちょこす 〙は、比較的早く忘れた北海道弁である。       この〘 もちょこい 〙〘 もちょこす 〙は、くすぐったり、くすぐられたりしたときに発する言葉なのは、皆さんご存知のとおり。  ま、たいてい、相手とふざけ合って、くすぐったりくすぐられたりしたと…
ひたむきに・生きた・君 | 斎藤敏幸 思い出ばなし

ひたむきに・生きた・君 | 斎藤敏幸

 私が、栄町アパート( 栄町2丁目14番地の8)に住んでいた頃、二つ向こうの棟のアパートに「佐藤ひでみ(秀美)」君という同級生が住んでいました。   彼は、何事にも真面目で、ひたむきさを持った少年でした。   家が近所のこともあり、互いの家に遊びに行ったこともありました。    彼との思い出で、いつ…
学のあるはなし(その2)|丸山直記 思い出ばなし

学のあるはなし(その2)|丸山直記

  わたしが好きな音楽での思い出をひとつ。   前にも書きましたが、私は音楽が好きでしたが、生の交響楽団を聴くチャンスは、大夕張ではありませんでした。  しかし中学校の時に、札幌交響楽団が、鹿島中学校の体育館で演奏会を行いました。   音だけは知っていたが、見たことも無い楽器を大勢の音楽家が目の前で…
私の故郷 | ゆかり ジャーモン 随想

私の故郷 | ゆかり ジャーモン

 私は今アメリカのテキサス州ダラス市の会社からこの手紙を書いてます。   私の旧姓は藤井ゆかりです。私は昭和36年に夕張市で生まれました。   私が物心ついた頃は、夕張市花園町(その後、遠幌町に変わったかもしれない)に住んでいました。  私の叔母や叔父や祖父母は大夕張に住んでいて、そのうちの猪野泰次…
袋田滝|久々湊真一 随想

袋田滝|久々湊真一

 紅葉の季節ですね。  内地に比べると、大夕張の紅葉は鮮やかさが違います。ただ、期間が非常に短いのでタイミングが悪いと、見損なう恐れもある。  内地に住んでの感想は以前書きましたので割愛しますが、印象的な事柄として、車があります。  交通量の多さには、勿論驚きましたが、車の色の違いに感慨深かったので…
夕鉄バスの記憶|乗田功一 思い出ばなし

夕鉄バスの記憶|乗田功一

   子供の頃、冒険心を起こし親に内緒で一人で、夕張へ行ったことがあります。    当然、お金もないので、清水沢までは汽車で(当時、回数券が会社より支給されていたのでタダで乗車できました)行き、そこからバスに乗り換え夕張へ。     適当に町をブラついたあと、帰りは逆のコースをとるべくバスへ乗車しま…
《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny 随想

《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny

 私の大夕張から旅立ちの光景。  今から42年前の3月、大夕張を朝7時過ぎでしたか、大夕張駅前のバス停で、バスケの仲間からケネディ大統領の文庫本を渡され、送られた記憶。  地面は雪でガリガリ。  札幌まで、今は亡き親父が送ってくれました。   バスの中で、小川知子の「初恋の人」が流れていたのが、今も…
最後の記念写真 |斎藤敏幸 思い出ばなし

最後の記念写真 |斎藤敏幸

   栄町アパートには、東高を卒業するまで住んでいました。    当時の住所は、栄町2丁目14番地の8です。    ここには、元木造の八軒長屋が建っていましたが、それらを取り壊して立てられたものでした。    私は、小学校に入る前年に、新築時に入居しました。  コンクリートブロックの住宅は、当時とし…
夜空を見上げて |石原賢治 随想

夜空を見上げて |石原賢治

 私の住む所は、最近晴天続きで、晴れ晴れしております。  夕方の帰宅の頃、空を見ますと、大きな月が出ておりました。  満月のようですが、ちょっと欠けてるのかな? という感じで、カレンダーを見ると、確かに旧暦の15日でした。  そういえば、最近夜空を見ても、月明かりはあっても、星を見る機会がないなと思…