回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

大夕張つれづれ■列車を止めた熊■|高橋正朝 #4 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■列車を止めた熊■|高橋正朝 #4

昭和39年だったと思いますが、 その年の2月、大夕張は大雪になり、明石町と南部の間が雪崩で汽車が不通になったことがありました。 期間はハッキリ覚えていませんが、一週間ぐらい汽車が通らず、野菜や他の食料品が鹿島に入荷しなかったことがあります。  ホント、鹿島というところは陸の孤島でした。 私は、 夕張…
大夕張つれづれ■北海道弁■|高橋正朝 #3 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■北海道弁■|高橋正朝 #3

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。 私が大夕張に住んでいた例年の今頃の季節(11月)は、 初雪が降るか降らないか、 という時期でした。   以前に比べると、 北海道も気温が高くなってきているようですが・・・・・・ 真冬に風…
大夕張つれづれ■アリ地獄■|高橋正朝 #2 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■アリ地獄■|高橋正朝 #2

私は昭和23年11月生まれですが、 子供のころは夕張メロンという名称はなかったと思っています。 そのかわり、 アジュウリというものがありました。  今考えると、 味瓜という漢字を当てていたのかもしれません。  メロンと同じ味がした記憶があります。  メロンの一種だったのでしょうか・・・ 。  小学校…
大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1

「大夕張つれづれ」について 「ふるさと大夕張(1丁目1番地)」に住民登録のコーナーがありました。高橋正朝(たかはしまさとも)さんは、2006年の初投稿以来、あしかけ11年、数十回にわたって、大夕張のことを念頭に、日々の生活について綴り、読む人を楽しませてくれました。 「ふるさと大夕張2丁目3番地」へ…
石炭のはなし|Kawauchi Masami 思い出の記

石炭のはなし|Kawauchi Masami

当時、あちら こちらに有った 石炭の彫刻です。  三菱大夕張の石炭は炭質が良く 手で触るとボロボロに崩れてしまい 彫刻出来ませんでした。 写真のものは 北炭登川炭鉱の 目無し炭と言う 崩れる目の無い非常に硬い石炭です。  残念ながら写真しか有りませんが 当時彫刻が流行っていて 鉱業所に 会社のお土産…
思い出ばなし 宝沢のトンネル 思い出ばなし

思い出ばなし 宝沢のトンネル

鹿島小学校の裏手を流れる沢がありました。宝の沢(宝沢)という沢です。緑町と宝町を結ぶため道路が出来て埋めたてられ、沢水を通すためのトンネルが出来ていました。そんな宝沢のトンネルのお話です。 昭和33年の大夕張の資料から。泉町の宝の沢の周辺に色づけ。緑ヶ丘と錦町をつなぐ橋は地図上にはありませんでした。…
たった一度の夕張岳登山|飯田雅人 思い出ばなし

たった一度の夕張岳登山|飯田雅人

昭和30年頃 夕張岳山頂での父の姿  たった一度の夕張岳登山。  夕張岳山頂。ここに初めてのぼった時、金山営林署と書いてあるのを見て、夕張側しか見たことなかった中学生としては、なんで大夕張でないの?と素朴に思いました。  残念ながら私の山頂写真はありません。ここにうつっているのは私の父です。北海道に…
ネットDE思い出ノート 回想・随筆

ネットDE思い出ノート

NHKBS『私のふるさと物語』大夕張ロケの翌日、2001年10月29日から、番組が放送された2002年1月12日まで、当時鹿島小学校横に設置されたいた『思い出ノート』のネット版として、「ネットDE思い出ノート」という掲示板を期間限定で開設しました。そこに書き込んでいただいたものです。 ああ~大夕張 …
大夕張 心に残る出来事 回想・随筆

大夕張 心に残る出来事

あなたの心に残る大夕張での出来事・・・、毎年季節が巡るとやってきたあのイベントや行事・・・、突然やってきた思わぬ出来事・・・、年を経てもいつも思い出すあのこと。大夕張に確かにあったあの日あの時をここに・・・。 上の文章は、かつて「ふるさと大夕張」(1丁目1番地)で『大夕張 心に残る出来事』として、ア…
母校四十周年記念にあたりて|佐藤政一(鹿島小学校「四十周年記念誌」から) 回想・随筆

母校四十周年記念にあたりて|佐藤政一(鹿島小学校「四十周年記念誌」から)

「母校四十周年記念にあたりて」 鹿島小学校 第一期卒業生 佐藤政一 秀峰夕張岳清き流れ夕張川に位置して建てられた私たちの母校も四十年の歴史を刻み、ここにその記念日をむかえるにあたり、夢のように過ぎ去った数々の思い出が、今頭に浮かんできます。 当時の校舎は、現在のほうに第二線校舎一棟にて、生徒数も約四…
惜別の町 | 小倉芳子 随想

惜別の町 | 小倉芳子

 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。  夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。  九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。  東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭…
食 憶|長谷川潤一   食憶

食 憶|長谷川潤一  

S33年大夕張生まれ。彼の大夕張での記憶は他を圧倒する。 ■エピソード1■その2 食堂のお話■その3 「へ」の字■その4 小学校の給食■その5 木箱の中身■番外編 「CM」■その6 三尺鯉■その7 住環境と食生活■その8 お上品な御味■その9 歩道橋の3時■その10 しゃっこい水■その11  お湯■…