随想 昭和レトロ博2 |順子 サッポロファクトリーで、懐かしい時代を見てきました。 子供の頃の生活がそのまま! 古い教室に木の机と椅子 だるまストーブ・・・ストーブのそばに座った人は顔が真っ赤になって・・・学校から帰ると外で暗くなるまで遊んでた。 ワカメちゃんカットの頭で、自然のままに・・・ 故郷はなくなったけ… 続きを読む
随想 音の思い出|ziny 「大夕張の音」 このフレーズに古い記憶が・・・。 昭和35年頃の小学生時代の記憶でしょうか。 昼過ぎから夕方近く、一人でいたのでしょうか。 代々木町2丁目の家の中は静か・・・。 屋根のトタンに、パタ、パタ、パタ、長屋のトタン屋根にパタッ、パタッ、パタパタパタ、タンタンタンタン、パタパ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ザリガニとタニシの棲み分け?| 高橋正朝 #158 ザリガニやタニシのことを書いたが、書き忘れたことがあった。 それは、私が鹿島東小学校の生徒だったとき、明石町エリアの沢でザリガニ獲りをしていたころ、ザリガニが棲んでいた場所では、どういうわけか、私は一度もタニシを見たことがなかったのだ。 逆に、タニシがいた場所では、ザリガニを… 続きを読む
随想 こんなお盆があればなあ|斎藤敏幸 社会に出た後,数回でいいから,こんなお盆を迎えることができたなら,本当に良かったのになあと,今でも思います。 お盆になると、都会へ出て行ったこの街の子供たちが、家族を連れて両親のもとへと帰ってくる。 大夕張の人口が一気に膨らむ。 同窓会で仲間たちと酒を飲み交わす。 少し歳を取… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大夕張鉄道の鉄橋の途中の待避所 | 高橋正朝 #157 明石町から南部方面に向かうには、その道路工事が完成するまでは、大夕張鉄道の線路に沿って歩いた。 線路の枕木に足をかけるには、子どもの脚の長さでは、枕木から枕木へと足を乗せられない。 必ず、足を敷石である砕石を踏み込んだ。 歩きにくいものの、道路がないのだから仕方がない。 とは… 続きを読む
思い出ばなし 夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子 私が子供の頃の夏休みのお昼ご飯といえば「冷麦」 あのピンクとかぐりーんとか入っているやつですね。あれでした。 なにが美味いんだか、色つきのを妹と取り合ったりしてました。 それで、毎日毎日「冷麦」 「たまには違うものが食べたいよ~」 母に訴えると 「今日は違うよ! 今日は、そ・う・め・ん」 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ タニシと鬼平こと長谷川平蔵 | 高橋正朝 #156 前回の続・大夕張つれづれ # 155〘 水溜りに棲んでいたタニシ? 〙の FB 版に、成田利夫さんと Masami Kawauchi さんが、タニシを煮て食べたことを書き込んでいました。 しかし、我が家ではタニシを食べたことはなかった。 タニシは旨いものらしいということは、何回か… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155 ザリガニ獲りをした場所は、チョロチョロした淀んだ水が流れる沢だった。 水が流れると書いたが、清水とは言えない流れである。 清水が流れる場所に棲息したザリガニがいたかもしれないが、少なくても、明石町に住んでいた私や遊び仲間が獲っていたザリガニは、淀んだ水が流れる小川だった。 水が流れる… 続きを読む
思い出ばなし 郷土研究部と地学部|久々湊真一 夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。 野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。 私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。 高一の夏と思う。… 続きを読む
思い出ばなし 夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎 この季節になると、子供の頃、真っ黒に日焼けして遊びに夢中になっていた事を思い出します。 明石町の自宅の崖下の川で泳いだり、カジカやドジョウ、ウグイを釣って焚き火をして食べたり、今思えば汚い川で泳いで病気にならなかったものだと思いました。 白金の沢にもよく泳ぎに行ったなぁ。 リヤ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154 開拓で水田を見たことがあった。 私が鹿島東小学校の4年生の、6月ぐらいの日曜だった。 遊び仲間3〜4人が、それぞれの家で朝めしを食べてすぐに白金の沢を目指した。 そこで2時間ぐらい過ごし、ハラ時計からすると、正午をまわっていたので、家に帰ろうということになった。 白金の… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153 前回、私も含んだ勉強などしないヒマな少年たちが、道路工事現場をちょくちょく見に行ったことを書いた。 その道路工事の最も苦労していたのが、沢の埋め立てだったように思う。 私たち明石町に住んでいた少年たちが見に行った工事現場は、竜田の沢の埋め立て工事よりも、シューパロ湖寄りの工事現… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 夏休みのころの、道路工事現場とシューパロ川に行ったこと。|高橋正朝 #152 私が、鹿島東小学校の2年生ごろから、大夕張から南部につなぐ道路の工事が最盛期をむかえた。 勉強などしないヒマな少年たちは、その工事現場をちょくちょく見に行った。 その少年たちの仲間には、もちろん、私も含まれている。 ただ、少女たちが、工事現場を見に行ったというのはなかったよ… 続きを読む
随想 「九人の乙女」と開拓吉田さんの思い出 | 小野美音子 三菱君を書いて下さった楽しい斎藤様の家では、当時受信料が三百数十円程かかったのではないでしょうか。 私の母は堀田牛乳店の月々の支払いがほぼ同額だったので、TVと牛乳どちらにするかと迷いましたが、キャラメルの箱の大きさまで比べてしまう子供達を見て、TVをあきらめました。 エンゲル… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 〘 共栄橋 〙がある山肌で聞いたクマの吠え声? | 高橋正朝 #151 一週間前の投稿、〘 共栄橋 〙の写真は興味深かった。 写真のなかの手前が男性なのは誰でもわかるが、奥に写っている人物は、小さく写っているので判然としない。 女性のように見える。 バックの植物群の山肌だけをみると、明石町側の山肌なのか、開拓側の山肌なのかはハッキリ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 蒲の穂 | 高橋正朝 #150 〘 蒲の穂 〙を知ったのは、鹿島東小学校の3年生のときである。 今となっては名前も顔も思い出せないが、明石町の炭住街の同学年の男児3人か4人が、開拓か桜ヶ丘のほうまで行き、帰り道、〘 蒲の穂 〙を持った彼らが、番外地の我が家の前を通った。 当時、明石町駅と番外地の間にあった小さ… 続きを読む
随想 「鹿島」について|高橋博美 北海道の地名はアイヌ語から転化したものが多い。 夕張もユーパロ(鉱泉の湧き出るところ)から来たものだが、細かな地名となると、ゆかりのある本州の地名などが当然多くなる。 鹿島は夕張の芦別側の一番奥にある地名で普通、大夕張と呼ばれた地区だが、住所的にはどこにも大夕張は出てこない。 正式名称… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 溜め池の土砂堆積地にあった小鳥の巣 | 高橋正朝 #149 例のごとく、飯田さんが編集した写真をコピペ。 この写真の場所は、明石町駅の山側にあり、11時の位置にある小屋は、大夕張鉄道の保線小屋で、壁で仕切られた別な部屋には、ポイント切り替え装置があった。 明石町に住んでいた当時の子どもたちの大多数は知っていたと思う。 他の町に住んでいた少年少女… 続きを読む
続・大夕張つれづれ フキの煮つけと漬け物 | 高橋正朝 #148 Kawauchi Masami さんが投稿した、缶詰めのサバとフキの煮つけの写真を見ました。 旨そうですネ。 私が鹿島東小学校の3年生のとき、誰かにいただいたフキの漬け物がありました。 母親は、早速、フキの漬け物を作ってみたが、1回きりでした。 多分… 続きを読む
思い出の記 ふるさとの味 蕗の煮付け |Kawauchi Masami 竹の子採りの話し、よく竹の子採りでの遭難のニュース毎年出ますが、実はちょっと歩いたつもりが、半径30m 直径60mぐらい歩いています。 しかも、竹の子は並んでいないので、出てる方へ出てる方へと進んでしまいます。 竹の子は竹を潜って採るので方向が分からなくなり、高い木に昇っても熊笹だらけ… 続きを読む