大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■牽強付会■|高橋正朝 #59 私がアルジェリアのエチレンのプロジェクトに赴任したときは、すでに工事を終了して4年か5年目であったように思う。そこにはかなり大きな図書室があった。 私が赴任した時点で、八百数十人の日本人が常駐しており、数週間から1か月ぐらいの滞在者もいたから、それらを含めると千人ぐらいいた時期である。 だから… 続きを読む
大夕張の全景 対岸から見た明石町 昭和40年頃 シューパロ川対岸から見た明石町全景。手前が1丁目、奥に向かって15丁目まで続きます。 下の資料は、西方向から見た昭和45年明石町の住宅地図。これまでの『昭和43年明石町住宅地図』とほぼ同内容ですが、比較が容易なのでこちらを掲載することにします。 上の写真の頃に比べても、昭和45年に描… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ガンピ■|高橋正朝 #58 大夕張にいた私たちの年代は、「雁皮」の名称は知っているようですが、前々回、書き込んだように、樹皮が何層にもはがれるものを我々はすべて「ガンピ」と呼んでいましたが、漢字は知らなかった。 今回、初めて知った漢字表記である。 この「ガンピ」という言葉は、小学校に入学する前後にはすでに知っていたと思う… 続きを読む
2丁目3番地 蝉の声 季節は夏。夏といえば、蝉の声。そして来る8月になると笛や太鼓が街に響きます。今年は残念ながら事情が違いますが・・・。 大夕張にいた頃、山に囲まれていたせいもあり、家の外の音はよく聞こえました。鳥・蝉・虫・風の音、風に揺れる草木の葉擦れの音、沢の流れる水音、いろいろな環境音がありました。それらは自… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■私と辞書■|高橋正朝 #57 辞書、ということで、三十数年前に読んだ英語のテキストのことを思い出した。 著者はどこかの大学の英語の男性教授であるが、名前やどこの大学であるかはまったく覚えていない。出版社についても覚えていない。著者曰く、英語は合理的だが日本語は不合理だとして、次のようなことを書いていた。 日本語の「湯」は、… 続きを読む
交通関係 昭和38年 急行券と準急行券 昭和38年「大夕張駅」発行の普通急行券と、同じく「千年町駅」発行の準急行券。 「山史 第1編沿革 第7章」には、次のように書かれています。 昭和36年1月14日より、国鉄札幌・夕張間にジーゼル準急行列車「夕張」を2往復運転開始せしが、当鉄道各駅からの連絡旅客に対しても2月1日より準急行券を発売開… 続きを読む
昭和 1962年(昭和37年) 1月 16日,鹿島高校全日制課程設置認可。(通学区鹿島・南部) 2月 10日,シューパロ湖,道立富良野・芦別道立自然公園に指定を受ける。 大夕張鉱奥部第1立坑堀鑿完了。 3月 奥部第2立坑(深さ940.2m)堀鑿開始。 19日,病院前踏切にてNo.4牽引の混33列車,トラックと衝突。死傷者なし。 3… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■雁皮■|高橋正朝 #56 前回、このコーナーに書き込むとき、「雁皮」という単語が、私が使用しているパソコンでは出てこなかった。 大夕張では普通に使っている名称だが、一般的でない、つまり方言かなぁ、と思い、広辞苑でチェックしてみたら、ちゃんと見出しにあった。 今ではほとんど使用しない名詞だから、私のパソコンには搭載してい… 続きを読む
訪問記 懐かしき南部貯木場跡を訪ねて|大阪の小林 平成15年8月4日 今回、本当に久しぶりに大夕張の南部貯木場跡を見ることができました。 札幌のホテルを基地にして、レンタカーで北海道の観光をすることにしたのですが、勿論、その一部に南部に行くという行程を入れるのを忘れませんでした。 8月3日に南部に行く予定でしたが、あいにくの雨でやむなく翌4… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ルンペンストーブ■|高橋正朝 #55 私は大夕張明石町番外地で生まれ育ったのだが、小さいころの我が家のストーブはマキストーブだった。 5歳前後のころに、石炭ストーブに変えたと思う。 あの頃の日本は、工業復興のために、極端な傾斜生産方式で、石炭、鉄鋼、造船が重要産業だった。 私の父親は、三菱鉱業で働いていなかったので、当時としては… 続きを読む
回想・随筆 懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林 (平成12年6月4日) 初めまして。大阪の小林と申します。小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイトをしました。三人とも関西人であり、大学は京都にありました。 宿舎は営林署の「南部合宿」、要するに独身寮です。寮には独… 続きを読む
陳列棚 鹿島小学校記名章 これは、ダムに沈むことを知った乗田功一さんが、大夕張を訪れて、本間商店に寄った際、本間商店のおじさんから譲っていただいたという鹿島小学校の記名章です。 乗田さんのお話では「小学3年生の時の写真では誰も付けていないようで、小学4年生の写真から全員胸に付けています。ですからこの間(昭和44年頃)に制… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■馬ソリと竹スケート■|高橋正朝 #54 カバキツネさんが馬ソリのことを書き込んでいたので思い出しました。 冬は馬車でなくソリでしたね・・・・・・。 鹿島東小学校の低学年のころ、学校から千歳町を経由して明石町への帰り道で馬ソリを見つけると、そのソリに乗ろうとしたことが何回かあります。 馬ソリのスピードはそれほど早くなく、子供のことだ… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖全景(パノラマ) 昭和40年頃のシューパロ湖全景 昭和40年8月8日(日)天候曇り 『大阪の小林』さん撮影 大夕張とシューパロ湖 【矢野和裕】2016/07/19 _ 23:20:19 釣りが好きで、この町でコーラを飲み食料を調達していた。春はイワナ、秋は鯉、冬にワカサギと札幌から通った。 特に冬のシューパロ湖を… 続きを読む
山史 第4編 営業成績 第2章 旅客運賃 第2章旅客運賃 1、 賃率(国鉄比較) 三菱大夕張鉄道国鉄年・月・日賃 率大夕張・清水沢間運賃賃 率14年4月1日 1銭5厘6毛14年4月20日1銭5厘6毛24銭 17年4月1日 2銭19年3月1日1銭6厘26銭 19年4月1日2銭5厘40銭2銭5厘20年4月1日3銭50銭3銭21年3月1日 … 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■マンガのはなし■高橋正朝 #53 手塚治虫のマンガの人物の手の指が4本について・・・・・・。 しつこいネ、 私も。言わずもがなことを書くと、こういう性格は嫌われる・・・・・・。 ディズニーのマンガでは、擬人化した動物は4本指だが、そのマンガに人物が出てくれば、それら人物の指は5本で描かれている。もちろん例外があり、以前、ピノ… 続きを読む
思い出貼 炭砿病院職員(昭和25年) 昭和25年11月18日 中央に写っているのは当時の院長先生だろうか。病院の経理の仕事をしていた結婚前の私の母親が写っています。私の知る看護婦さんの顔も見えます。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■漫画大学■高橋正朝 #52 紀伊国屋書店で、漫画の文庫本の、手塚治虫の「 漫画大学 」があったので購入した。講談社の手塚治虫文庫全集の中の1冊である。古本屋で、角川文庫の手塚治虫の同じ題名、「 漫画大学 」を見つけてこれも購入した。 厚さがかなり違う。例によって透明ビニールに包まれているので、中身は確認せずに買った。 中… 続きを読む
思い出貼 湖畔を行く列車 昭和47年頃 穏やかで満水のシューパロ湖。鏡のような湖面は周囲の山と列車を映し出しています。 湖岸を列車がゆっくりと進みます。 閉山の頃 【ヒロ みうら】本当に鏡のよな湖面ですね・・・自分は宝塚市で仕事を始めた頃かなもう閉山の話題が出ていた時期でしょうか列車の姿が、少し寂しそうに感じるのは自分だけで… 続きを読む