あらかると ダニ峠の物語 伝説狐つき むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。 ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。 『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。 伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。 逢いた… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠 『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大) 上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。 青葉峠(通称『ダニ峠』通… 続きを読む
あらかると 本流越 大夕張と夕張の間にある標高875メートルの山を著者の小林政雄さんは、『本流越』と呼んだが、地図やその他でその名前を探すと、幾筋の流れ出る川の名前とともに、山頂をしめす地図記号と標高点の873.6の文字だけが書かれていて、山の名称は書かれていない。山は俗称と言われるものがあるが、その一つだっ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153 前回、私も含んだ勉強などしないヒマな少年たちが、道路工事現場をちょくちょく見に行ったことを書いた。 その道路工事の最も苦労していたのが、沢の埋め立てだったように思う。 私たち明石町に住んでいた少年たちが見に行った工事現場は、竜田の沢の埋め立て工事よりも、シューパロ湖寄りの工事現… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張に向かう三つの道(2) 本流越 現地を踏破しようというそんな無謀な企てを図る体力も気力はないので、地図を眺めながら、空から眺めて遊ぶ時間です・・・。 小林政雄著『夕張風物抄』という本の中に『本流越』という名で、夕張市と大夕張との中間に、位置する山が出てくる。 夕張市小松の西方4キロメートル、海抜875メー… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張へ向かう三つの道(1) 鹿島小学校にあった郷土室の資料に、昭和2年頃大夕張に向かう『むかしの道ろ』という掲示物があった。 その解説文には次のようにある。 むかしの道ろ(昭和2年ころ) むかし、鹿島まで、3つの道路がありました。 一つは、南部の若葉鉱(今はない)から、山道を通ってきました。 もう一つは、万字炭山か… 続きを読む
資料室 奥鹿島分校ゆかりの碑 白金地区(当時は『開拓』『奥鹿島』とよばれた)の子どもたちは、鹿島東小学校に通学していた。 高橋正朝さんの『大夕張つれづれ』『続大夕張つれづれ』の話の中にも当時『開拓』から通う子どもたちが、時間をかけて、いくつもの吊橋を渡って通学する様子が出てくる。 奥鹿島分校設置のきっかけは、これ… 続きを読む
訪問記 白金望郷之碑 訪れたのは夏の終わりが近い2022年8月22日。 快晴の青空の下、心地好い汗が噴き出す。 本当は、厳冬の雪風の吹きすさぶ中、訪ねてくるのが、開拓の歴史の垣間見る良い機会なのかもしれない。 しかし現実は、冬季間は明石町の鹿島眺望公園から先の白銀橋に至る道路は閉鎖されていて、ここに来ることはできない… 続きを読む
訪問記 白金望郷之碑と奥鹿島分校ゆかりの碑 鹿島眺望公園から夕張岳に向かって伸びる白銀橋を渡り、1kmほど進むと、 左手に『白金望郷の碑』と『奥鹿島分校ゆかりの碑』が二つ並んでたっている。 道路から見ると1メートルほど高くなったところに建っていて、夕張岳登山道に繋がるこの道を行く人にとっては、目に着く場所だと言っていいだろう。 … 続きを読む
訪問記 道路開通記念碑 (鹿島眺望公園) 碑文 道路開通記念碑 昭和三十七年十月六日建立 場所は、夕張東高跡地の鹿島眺望公園内にある。 かつて、シューパロ湖畔の公園にあったが、夕張シューパロダムの完成とともに整備された公園内に移設された。 碑の大きさは、『高さ180cm×幅141cm×奥行68cm』で、かなり大きい。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 夏休みのころの、道路工事現場とシューパロ川に行ったこと。|高橋正朝 #152 私が、鹿島東小学校の2年生ごろから、大夕張から南部につなぐ道路の工事が最盛期をむかえた。 勉強などしないヒマな少年たちは、その工事現場をちょくちょく見に行った。 その少年たちの仲間には、もちろん、私も含まれている。 ただ、少女たちが、工事現場を見に行ったというのはなかったよ… 続きを読む
写真 初冠雪の夕張岳と白銀橋 2022年10月に撮影した写真。 美しい風景を見ていると心が穏やかに安まる。 なのに。 忘れていた悲しみが頭をもたげるように、かつて誰かも言っていたが湖面に顔を出す木々が墓標のように見えてくる複雑な感情。 20代の頃、深夜ドライブと称して札幌から2時間圏内のところへ… 続きを読む
随想 「九人の乙女」と開拓吉田さんの思い出 | 小野美音子 三菱君を書いて下さった楽しい斎藤様の家では、当時受信料が三百数十円程かかったのではないでしょうか。 私の母は堀田牛乳店の月々の支払いがほぼ同額だったので、TVと牛乳どちらにするかと迷いましたが、キャラメルの箱の大きさまで比べてしまう子供達を見て、TVをあきらめました。 エンゲル… 続きを読む
写真 新旧交代 白銀橋 2014 後ろは、鹿島眺望公園(明石町夕張東校跡地)周辺から鹿島白金に伸びる新しく完成した白銀橋と、アーチだけが顔を出す白銀橋。 写真を撮影したHHさんは、南部育ち。昭和20年代、小学校は南部小学校に通った。 桜ヶ丘・下夕開拓地から通う親しい仲間もいたという。 夜、シューパロ川の対岸、… 続きを読む
写真 沈みゆく白銀橋 2014 平成7年(1995年)から長い年月をかけて、平成26年(2014年)に夕張シューパロダムは完成した。 昭和45年頃大夕張郵便局の職員だったHHさんは、工事が進む様子と「ダムがダムをのむ」その様子を小学生だった孫を連れて写真に収めてまわった。 そのうちの一枚。 白銀橋は… 続きを読む
2丁目3番地 白銀橋が見えた風景 1997 明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。 右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。 「大夕張に帰る」 そんな思いが、よりいっそう強くなった。 近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ… 続きを読む
あらかると 白銀橋と古のシューパロの流れ 前々回、『白銀橋上から古のシューパロの流れ』の写真と反対側にあたる。 川の流れでいえばシューパロ川の下流方向から白銀橋を見ている。 2005年撮影 今は湖底にその姿を留める この写真も2005年頃、夕張シューパロダム工事関連の一つとして大夕張ダムの湖水が抜かれた時に撮影した画像。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 〘 共栄橋 〙がある山肌で聞いたクマの吠え声? | 高橋正朝 #151 一週間前の投稿、〘 共栄橋 〙の写真は興味深かった。 写真のなかの手前が男性なのは誰でもわかるが、奥に写っている人物は、小さく写っているので判然としない。 女性のように見える。 バックの植物群の山肌だけをみると、明石町側の山肌なのか、開拓側の山肌なのかはハッキリ… 続きを読む
あらかると 白銀橋上から古のシューパロの流れ 訪れるといつも満々と水を湛えていた印象の強い白銀橋周囲のシューパロ湖だったが、2005年にダム湖の水を抜いたことがあった。 その時、白銀橋の上から撮影した写真。 橋の白金寄りのところで北に向けてシャッターを切った。川伝いに左側(上流)に向かえば、明石町方面に出る。 湖水を抜いたとあ… 続きを読む
あらかると 開拓橋建設と共栄橋の位置 ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。 Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。 写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい… 続きを読む