昭和 1987年(昭和62年) 4月 1日,鹿島小第15代藤岡光蔵校長。 鹿島中第14代北山信一校長。 6月 鹿島消防団長星靖男退任。17代目団長野田眞就任。 7月 22日,三菱大夕張鉄道(清水沢~南大夕張間7.6Km)全線廃止。 鉄道廃線記念乗車券発行(3枚組360円) 鉄道廃線記念絵葉書(3枚組)発売。 この月末鹿島の人口79… 続きを読む
写真 紺碧の夕張岳 昭和17年に大夕張で生まれた叔父は鹿島小、鹿島中の同級生たちと、あるいは一人で、時々故郷をたずねていた。 その時々に、撮影した写真を送ってくれていた。 その中からの一枚の写真。 1995年(平成7年)頃、おそらくシューパロ湖湖畔亭付近からの撮影だろうか。 夏。 夕張岳は、蒼… 続きを読む
思い出の記 冬の出来事 |Kawauchi Masami 私には忘れられない思い出が2つ有ります。 小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。 家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。 … 続きを読む
映像 大夕張 街中通過 映像 前回の千年町、宝町の通過映像からの続編。 以前、2021年5月にリンクした動画がしばらく削除されていましたが、今回動画が再アップされたので、ふたたび公開することができるようになりました。 ツィッターの投稿へのリンクです。 1992年(平成4年)の貴重な大夕張の街中映像です。 千年… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 万葉会館 | 高橋正朝 #126 『続・大夕張つれづれ #124 道玄坂の思い出 その2』 に、TAKASHI さんが、コメントを書き込み、万葉会館について言及していました。 当時あった万葉会館は、今は貸ビル業に転じているようで、ビルの大部分は、IKEA に貸しているようです。 『続・大夕張つれづれ #12… 続きを読む
楽しかった日々 長いスキーを担いで出発 昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。 家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの 【線路】 東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【机】 前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。 【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【坂道】 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。 どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路 の… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅に向かって 春日、弥生、代々木の3つの町の境界線が接するようなこの場所。 同じような立ち位置で撮影した写真に、『代々木アパート手前から』と『大夕張駅から代々木アパートまで』(下記参照)があるが、その二つの写真の中間あたりから撮影した写真だ。 おそらく撮影者の右手には中西豆腐店や代々木町の… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その3|高橋正朝 #125 日本は、これから、最も寒い時期になる。 私は海外に出るまで、東京に14年間ほど住んでいたが、最初の冬は、北海道に比べて暖かいなァと感じたが、翌年の冬からは、えらく寒く感じるようになった。 特に、家の内の寒さには閉口した。 とはいうものの、大夕張に比べれば、気温は高いのだが ••••••。… 続きを読む
夕輝文敏 雪明りの街 | 夕輝文敏 正雄は、その夜いつになく酔っていた。首切り部長としての葛藤が、酒の量を増やしてしまった。 以前は同僚たちと良く飲みに来たが、今の職責についてからは、一人で飲みに来ることが多くなっていた。 年の瀬のススキノは、人で混み合っていた。正雄はタクシーを拾うのを諦め、少し酔いを覚まそうと… 続きを読む
楽しかった日々 雪かき 雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。 スコップで四角に切りながら、広げていった。 セーターで… 続きを読む
昭和 1986年(昭和61年) 4月 1日,鹿島中第13代藤井昌隆校長。 5月 三菱南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑序幕。 大夕張ダムかさ上げに関する鹿島白金地区農民支援対策協議会設立 鹿島の人口1000人を割る。… 続きを読む
2丁目3番地 『ふるさと大夕張2丁目3番地』QRコード 需要はどれほどあるかわかりませんが、『ふるさと大夕張2丁目3番地』のQRコードを作成しました。 QRコードの便利さは、すでにいうまでもありませんが、それでもPCやスマホの操作に慣れていない方に口でアドレスを伝えることは至難の業です。 主にスマホ用途だと思いますが、手間や伝える難しささ… 続きを読む
随想 最後の大晦日|斎藤敏幸 大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。 正確には、大晦日の前日の事なのですが。 1972年(昭和47年)12月30日。 この日、夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を、確か千歳町の婦人会館で開催しました。 もう記憶は定かではありませんが、… 続きを読む
思い出の街角 千年町から見た常盤町 昭和40年代 千年町から足下に見える常盤町の風景。 正面に鹿島中学校の校舎。 左下の暁橋から鹿島中学校への通学路がまっすぐに伸びる。 道の先の緑のこんもりとしたところが、詰所や白樺の並木があったところだろう。 この道は、『中学校行き』の山内バスが通る外周の道を横切り、朝夕の通学時、多くの中学… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その2 | 高橋正朝 #124 前々回投稿した、大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 渋谷駅前のハチ公の銅像の住所というのは、実は道玄坂なんですョ。 それで、イラストに描かれていた景色の、中央からやや右側にあるビルを、私は渋谷駅前ビルと… 続きを読む
思い出の街角 春日町 住宅地 川に近い低いところにある春日町に行く坂道はいくつもあった。それは、『昭和47年春日町航空写真』でもみることができる。 崖の上にあった購買会のあたりから右にいくと、急斜面を直下に下る細い道と、やや車も通れる広めの道路があった。 写真は、その広めの道の途中から見た、春日町の詰所より南側の住… 続きを読む
思い出の街角 礦業所プール(栄町) 水の抜かれた誰もいないプール。 大人用プールの向こうに子供用プールがあった。 道路をはさんで栄町アパートが建ち並ぶ。 7月から8月にかけて、夏のにぎわいはふた月もあっただろうか。 お盆を過ぎるころから風が寒く感じるようになり気温も下がる。 そして迎えた秋。 9月頃のプールか… 続きを読む