スキー

子どもとスキー  思い出貼

子どもとスキー 

 昭和30年頃、八百五十のゲレンデにて。父が友人のご家族と一緒にスキーにでかけた時の写真。息子さんのカメラへ向ける眼差しが可愛らしい。 白黒写真着色した画像   竹ストックとスキー  【飯田雅人】  このストック、今見ても全然違和感ありません(笑)。  多分自分がものごころがついてスキーに初めて接し…
八百五十のゲレンデ(2) 楽しかった日々

八百五十のゲレンデ(2)

昭和30年 八百五十のゲレンデで。山の向こうに山、山がつらなる。 八百五十 【飯田雅人】(2021年3月12日)  私が過ごした大夕張に八百五十(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山があった。  海抜850メートルの山だから八百五十とよばれている、と小さい頃から聞かされていた。  住む人たちには、山スキ…
八百五十のゲレンデ(4) 思い出貼

八百五十のゲレンデ(4)

昭和30年 当時の、身長以上の長いスキー。  お腹に茶色の腹巻きをしめている。バカボンのパパがしていた腹巻きと同じ物。このころ自分は身につけた覚えはない。忘れてしまっただけなのかもしれないけれど。  スキーのブランドマークは当時よく見かけたような気がする。小樽にあったというアジアスキーだっただろうか…
昭和10年代 冬山スキー行事 学び舎の思い出

昭和10年代 冬山スキー行事

 昭和10年代、大夕張でただ一つの学校だった、大夕張尋常高等小学校。  戦時体制が進む中、名称も昭和16年(1941年)大夕張国民学校へ、そして昭和17年(1942年)には、鹿島国民学校へとかわる。 白黒写真に着色したカラー画像) 三代目校長の伊沢豊久校長(在任:昭和9年~19年)の姿もある。(左か…
八百五十の思い出 思い出貼

八百五十の思い出

昭和30年、八百五十のゲレンデ。   八百五十の思い出 【斎藤敏幸】  (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道…
八百五十スキー遠足 思い出貼

八百五十スキー遠足

AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく…
八百五十のゲレンデ 思い出の街角

八百五十のゲレンデ

昭和30年 八百五十のゲレンデ。 八百五十  【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬のスキー遠足は一日がかりでこ…
祖父の勇姿 思い出貼

祖父の勇姿

昭和30年頃 【勝又 優子・桃子さん】 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。 大夕張代表として4山対抗大会に出場し少年組で優勝したとの事です。 画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが当時のジャンプスタイルを忍べると思います。…
1935年(昭和10年) 昭和

1935年(昭和10年)

1月 18日,遠幌加別川橋梁,架け替え工事完成。 22日夕刻より大吹雪となり、翌23日も依然猛烈となり専用鉄道各所に吹溜りを生じ列車不通、24日に至るも開通不能のため1、2番方共採炭休業、総動員をもって除雪に当り消防組その他の援助により全線600余名を配し復旧に努め、同日午後9時漸く列車の開通を見、…
山スキー 思い出貼

山スキー

東京から来た父は、スキーが初めてでした。自然の中でのスキーは、好きでしばしば楽しんでいたようです。昭和30年頃。  …