スキー

夜間スキー |前田三郎 随想

夜間スキー |前田三郎

  大夕張のスキー場の思い出と言えば、なんと言っても夜間スキーでした。   水銀灯の明かりの下で滑りましたねー。  上手くもないのに・・・??     でも、夜 水銀灯の下で滑ると、上手く見えるから不思議だよな。  滑ってる人は見えないけど、きれいな弧をえがくシュプールだけが見えるんだよな。    …
冬の出来事 |Kawauchi Masami 思い出の記

冬の出来事 |Kawauchi Masami

   私には忘れられない思い出が2つ有ります。    小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。    家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。   …
長いスキーを担いで出発 楽しかった日々

長いスキーを担いで出発

    昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。   家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー…
お下がりのスキー| 石崎佳美 思い出ばなし

お下がりのスキー| 石崎佳美

  もう、夢か現実だったのかは、定かではありません、、  小学校1年生の冬スキーで登校しました。  1列になって、1年生の私は1番前で、私の前には最上級生の男の子がいました。  ところが…💦。  スキー板があまりも長く、体に合っていなかったので、何度も何度も転び、思うように前には進めません。 それま…
むかし話 スキー場 山小屋風食堂 | 泊川俊徳 思い出ばなし

むかし話 スキー場 山小屋風食堂 | 泊川俊徳

    昭和38年以前、大夕張のスキー場に、 リフトロープ上がり付近に、スキーの季節だけラーメンやうどんを食べられる山小屋風の食堂が有りました。    冬、これと言う娯楽のない大夕張。  冬はスキーくらいしかなく、朝から夕方まで滑り、昼はこの食堂で、あたたかいラーメン、うどんでした。  まだ、かけラ…
八百五十のゲレンデ 思い出の街角

八百五十のゲレンデ

昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像   八百五十  【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬…
祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 思い出ばなし

祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子

 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。  大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。   画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。   (2005年6月19日 記) …
冬のお弁当  |  工藤 央 思い出ばなし

冬のお弁当 | 工藤 央

 子供の頃のことを思い出していて、夕張東高校のことを思い出しました。   父が夕張東高の教師だったというのは以前書いておりますが、幼稚園が冬休みの時などに、父に弁当を持っていったときの記憶です。   毎朝高校に行く父は、私のスキーを持って出かけていきました。   11時すぎ弁当が仕上がった段階で、 …
関西から スキーのはなし | 近藤志津枝 随想

関西から スキーのはなし | 近藤志津枝

寒い日が続いていますね。 北海道はいつも雪だるまマークですね。  今年は各地、大雪被害も多大でお気の毒です。  大通り公園の雪像を できあがる様子をインターネットで見ています。 (観光客気分ですみません)   スキーのはなし。  3才でスキーをはきました。みなさんこれぐらいですよね。  富士見町ゲレ…
八百五十のゲレンデ(3) 楽しかった日々

八百五十のゲレンデ(3)

『大夕張小唄』にも詠われた『八百五十』。  見渡す限りの銀世界  スキーで鍛える この体    スキーをするには絶好の斜面で、ヒュッテもあった。 山神社から尾根伝いにいくコースと、沢づたいに行く2つのコースがあった。 ヒュッテは、吹き抜けの2階もあり、スキーの合宿ともなると十数人もの人数が宿泊する大…
大夕張でのスキー|山本栄子 思い出ばなし

大夕張でのスキー|山本栄子

私も60年前(小学生迄)、冬は毎日の様にスキー場に行ってました。 確か神社があり、そこから転ばぬ様に、かなりのスピードで滑り降りるのがベスト。 ロープリフト ロープにつかまって上がり、神社のある上迄行き滑り降りる単純な繰り返し。   手袋も雪がいっぱい、鼻水も。   今のようなスキーウェアも無く、寒…
昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami 思い出の記

昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami

 昭和 50年ごろ、8mmが欲しくて迷っている時、世の中にビデオカメラが出てきました。  直ぐ買いました。 昭和53年の時です。  その時はカメラが28万円。しかし ビデオデッキが無ければ使えませんでした。ビデオデッキも28万円しました。  でもカメラに覗き窓だけで、ピントはテレビの画面見て合わせま…
昭和60年頃 スキー場  映像

昭和60年頃 スキー場 

当時、南部に住んでいたKawauchiさんがご家族のスキーをビデオで撮影したもの。 ロープ・トウ ロープ終点の小屋 急角度の斜面のてっぺんは、神社に続く、八百五十の尾根。 短いながら、これら懐かしい背景が映像の中に映り込んでいます。   その頃、ビデオはなかなか一般的ではなく貴重でした。 https…
昭和30年前後のスキー場|野崎昭雄 思い出ばなし

昭和30年前後のスキー場|野崎昭雄

  私の記憶では、昭和30年代前半まで(1950年代)、富士見町のスキー場は、段々畑がそのままスキー場になっていたような気がします。   ですから、滑り降りると、下手な人は段差で腰をとられ転ぶことがよくありました。  そのような話が、このページで出てこないところをみると、その後、改修されたものでしょ…