八百五十のゲレンデ 思い出の街角

八百五十のゲレンデ

昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像   八百五十  【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬…
祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 思い出ばなし

祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子

 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。  大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。   画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。   (2005年6月19日 記) …
八百五十のゲレンデ(3) 楽しかった日々

八百五十のゲレンデ(3)

『大夕張小唄』にも詠われた『八百五十』。  見渡す限りの銀世界  スキーで鍛える この体    スキーをするには絶好の斜面で、ヒュッテもあった。 山神社から尾根伝いにいくコースと、沢づたいに行く2つのコースがあった。 ヒュッテは、吹き抜けの2階もあり、スキーの合宿ともなると十数人もの人数が宿泊する大…
歳末助け合い風景(永原呉服店前) 思い出の街角

歳末助け合い風景(永原呉服店前)

大夕張労働組合解散記念誌『未来に向かって』より。 写真には、昭和32年12月15日と説明されているが、当時と大夕張では珍しい乗用車が映り込んでいる。ザッとネットで調べて見ると、トヨペットマスターという車ではないかと思われる。 場所は、千年町、永原呉服店前での歳末助け合い運動の風景。   永原呉服店は…
昭和28年 鹿島小学校玄関 学び舎の思い出

昭和28年 鹿島小学校玄関

昭和28年冬の鹿島小学校玄関。 この頃の校舎の模型(鹿島小学校旧校舎模型)を見ると、玄関が東側と西側、そして中央にそれよりやや小さめの玄関が一つがあった。これは、『昭和25年の鹿島小学校』の写真でも確認できる。  この写真は屋根の形状などから中央の玄関だと思われる。東西の大きな玄関が児童用、職員来客…
窓の除雪 楽しかった日々

窓の除雪

昭和40年頃、富士見町6丁目。 一番山の高いところにあった住宅。 遠くに炭鉱病院と、栄、代々木の住宅がみえる。 家族総出で窓の外の雪を取り除き、広げる作業に励む。…
婦人たちの行進 炭鉱とともに

婦人たちの行進

昭和30年代、大夕張炭鉱労働組合の主婦会による団体行動。婦人たちに混じり子どもたちの顔も見える。 大夕張礦業所のゲート前に集結するところのようだ。 大夕張炭山駅の屋根のあたりから撮影したと思われる北から街方面を撮影した構図。 冬空の下の組合行動とはいえ、カメラに写る婦人たちの表情に笑顔があり、どこと…
昭和30年頃 繁栄の街 大夕張の全景

昭和30年頃 繁栄の街

一面の雪に包み込まれた街。 日が沈む頃、手前の山の影が街全体を先に覆いはじめる。 町から見える夕張岳が沈む夕日を浴て輝く時間。 冬のある日、街に急に訪れる一日の終わり。   白黒写真に着色した画像   白一色の世界に炭住が整然とならぶ…
昭和28年 夕張岳 思い出の街角

昭和28年 夕張岳

昭和28年1月の夕張岳。 大夕張ダムができる前なので、シューパロ湖はない。 向こうに見える対岸との間は、鬱蒼と木々が茂る断崖絶壁のあいだをシューパロ川の渓流が流れていたことだろう。 むこうに、桜ヶ岡開拓地の農家が数軒見えている。 白黒写真に着色をした画像…
礦業所に向かう道 思い出の街角

礦業所に向かう道

 この通りは、手前が礦業所で、そこに向かう道。通勤途中の人たちもみえる。    右手に2階建のアパートが見える。このブロックの前で撮ったのが、『炭砿病院前』の写真。『ふるさと大夕張2丁目3番地』での、自分がはっきり場所を覚えている数少ない場所だ。      右手前に見える木立は病院前の公園があったと…
子どもとスキー  思い出貼

子どもとスキー 

 昭和30年頃、八百五十のゲレンデにて。父が友人のご家族と一緒にスキーにでかけた時の写真。息子さんのカメラへ向ける眼差しが可愛らしい。 白黒写真着色した画像   竹ストックとスキー  【飯田雅人】  このストック、今見ても全然違和感ありません(笑)。  多分自分がものごころがついてスキーに初めて接し…
春日町から代々木町 思い出の街角

春日町から代々木町

昭和30年頃 白黒写真に着色した画像 春日町から代々木町方面を見上げる。  以前、私はこの写真をみて上の住宅は弥生町だと思っていましたが、下の小林さんや阿部さんののコメントにあるように代々木町の住宅です。  そして、『春日町住宅から坂の上の代々木町』には、夏に撮影されたと思われる写真が掲載されてます…
八百五十のゲレンデ(2) 楽しかった日々

八百五十のゲレンデ(2)

昭和30年 八百五十のゲレンデで。山の向こうに山、山がつらなる。 八百五十 【飯田雅人】(2021年3月12日)  私が過ごした大夕張に八百五十(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山があった。  海抜850メートルの山だから八百五十とよばれている、と小さい頃から聞かされていた。  住む人たちには、山スキ…
八百五十のゲレンデ(4) 思い出貼

八百五十のゲレンデ(4)

昭和30年 当時の、身長以上の長いスキー。  お腹に茶色の腹巻きをしめている。バカボンのパパがしていた腹巻きと同じ物。このころ自分は身につけた覚えはない。忘れてしまっただけなのかもしれないけれど。  スキーのブランドマークは当時よく見かけたような気がする。小樽にあったというアジアスキーだっただろうか…
冬のそり遊び(昭和35年) 楽しかった日々

冬のそり遊び(昭和35年)

 雪が降ると外へ飛び出す。積もった雪の表面が太陽に照らされてキラキラ輝く。  固まった雪面を踏むとサクッと音がして踏み抜くことができて気持ちよかった。  木製のそり。  竹のストック,毛糸の手袋(すぐに雪が凍みて手が冷たくなった),脚絆(雪が玉になり足に葡萄粒のように連なった)。  それでも雪の中で…
大夕張の積雪(春日町) 思い出の街角

大夕張の積雪(春日町)

昭和40年頃、春日町 冬 白黒写真に着色した画像 雪に埋れる水道小屋の前で 足下が吹雪く 兄ですが 後ろの水道小屋の屋根の雪がすごい。 足下から風で巻き上げる雪もすごいですね、道路の脇にも背の高さくらい、あるいはそれ以上の雪が積もっていたかもしれません。夜に風が強く吹いた日の翌朝は、吹き溜まりができ…
昭和26年 スキースタイル 楽しかった日々

昭和26年 スキースタイル

  1951年(昭和26年) 春日町詰所裏 白黒写真に着色した画像 春日町詰所裏 当時のスキースタイル 昭和30年代 スキー場 兄妹四人 スキー場にて  スキースタイル 【小林光志】  (上の写真)  1951年(昭和26年)この頃の子供は、このスタイルがスタンダード。  竹のストックとビンディング…
泉町から大夕張駅 思い出の街角

泉町から大夕張駅

昭和45年頃、雪の大夕張。泉町の方向から撮影されたもの。 歩道橋と写真には写っていないが、鹿島小学校との間に、この写真ではまさに先頭のSLが通過しているあたりになるが、そこには、遮断機と踏切が設置されていた。 雪に埋れた鹿島小学校下。夏のお祭りやお盆の時期には出店で賑っていた 町ごと消えた大夕張炭山…
昭和30年 青葉寮から見た鹿島東小学校 学び舎の思い出

昭和30年 青葉寮から見た鹿島東小学校

昭和30年冬の鹿島東小学校。青葉寮(独身寮から妻帯者用途として青葉荘に改修)から見た鹿島東小学校。 白黒写真に色付した画像 鹿島東小学校6年間の思い出 【山下貢(みっこ)】  (2010年)  これは懐かしい。  50年前にタイムスリップです。  小学校6年間の思い出が、ぎっしり詰まった校舎です。 …