富士見町

炭砿病院前   楽しかった日々

炭砿病院前  

 昭和35、6年頃 病院手前の踏切のそばにあったブロックの前で、住所的には、富士見町4丁目になるだろうか。道路をわたって、礦業所事務所に向かって5丁目、6丁目となった。(下の地図参照)  近所のブロックに住んでいた『シズコちゃん』は、小学校入学前の頃の自分とよく遊んでくれた。何度も家に遊びに行った記…
ひなたぼっこ 思い出貼

ひなたぼっこ

 昭和37年頃、富士見町5丁目の下あたり。6歳と2歳の兄弟。近所の空き地でゴザを敷いてひなたぼっこ。  このあたりは、小学校入学前くらいまで過ごしていた場所である。ゴザの上に雑誌が置いてあるのが見える。当時、小学館の『よいこ』や『めばえ』という雑誌をみた記憶があるので、たぶん『よいこ』ではないかと、…
窓が埋まって よいしょ 楽しかった日々

窓が埋まって よいしょ

 昭和37年ころ  大夕張の15年間、生れてから2回引越しした。  ここは、炭鉱病院の線路を挟んだ向かい側の、富士見町5丁目のあたりだと思う。ここで生れた。  雪が多く降った。昭和13年、7歳で沼の沢から大夕張に引越してきた母などは、「大夕張ダムができてから雪が多くなった。」と、よくいっていた。  …
そり 楽しかった日々

そり

   『そり』といえば、この赤茶けた台車のような形をした、木製の『そり』しか覚えがない。  台車の下の車輪の代わりに、細い二本の板に、鉄板が打ち付けてあった。  小さいころ、冬は購買会への買い物に手伝いをして、これでみかん箱や、リンゴ箱を載せて運んだこともあった。  力で押すタイプでしかも、重心がや…
冬のそり遊び(昭和35年) 楽しかった日々

冬のそり遊び(昭和35年)

 雪が降ると外へ飛び出す。積もった雪の表面が太陽に照らされてキラキラ輝く。  固まった雪面を踏むとサクッと音がして踏み抜くことができて気持ちよかった。  木製のそり。  竹のストック,毛糸の手袋(すぐに雪が凍みて手が冷たくなった),脚絆(雪が玉になり足に葡萄粒のように連なった)。  それでも雪の中で…
だっこさせて! 楽しかった日々

だっこさせて!

昭和31年頃 富士見町5丁目線路そばの住宅の前で 白黒写真に色付をした画像 近所の女の子が「赤ちゃんを見せて」とやって来て、物干しの下で 抱っこ 小さい頃の思い出【飯田雅人】(2020年2月15日) 大夕張の思い出は遠い夢の中の出来事に等しいものがあります。 近所の「いとうたえこ?」ちゃんといったで…
炭住脇のスキー 楽しかった日々

炭住脇のスキー

昭和37年頃、冬。竹ストックとカンダハー(カンダハン)のスキー。 窓の外のスキー場 【飯田雅人】  弟が2歳くらい、自分6歳の頃の写真です。  トタン屋根から落ちた雪はそのまま積もり、この年齢の子どもが遊ぶには、かっこうの傾斜が付きました。  父のスキーが立っていますが、当時のスキーは、長くて重かっ…
礦業所所長宅前 山神祭 思い出の街角

礦業所所長宅前 山神祭

昭和44年 6月  富士見町3丁目。鉱業所所長宅前。当時は、望月所長だったでしょうか。  正面の建物は礦業所の倶楽部。右手に木々がこんもりと繁るところは、倶楽部の庭にあたります。蓮の花が咲く池や、手入れの行き届いた芝生があり、板塀が張り巡らされていました。下の隙間から良くのぞき込んでいた覚えがありま…
昭和40年 啓心寮越しにみる夕張岳 思い出の街角

昭和40年 啓心寮越しにみる夕張岳

冬の啓心寮  【飯田雅人】 富士見町にあった礦業所の独身寮だった啓心寮。その向こうに見える冬の夕張岳。写真の啓心寮は調理場等があった棟で,煙突からはボイラーの煙でしょうか,白い煙が見えます。屋根や煙突の軒下に下がるツララの大きさにも目を奪われます。建物手前の空き地には石炭やまきなどがいつも野積みされ…
冬のスキー遊び 思い出貼

冬のスキー遊び

昭和40年、富士見町 街の中の雪山  【飯田雅人】 富士見町の6丁目,炭坑病院の近くの住宅。石炭庫や住宅の屋根から落ちた雪がつもり,こんな雪山があちこちにできていました。この写真の男の子は誰なのか今となってはわかりませんが,私も小学校低学年の頃,屋根から落ちて積もった雪の山を利用して,そり遊びやスキ…
軒下の雪かき 楽しかった日々

軒下の雪かき

昭和40年頃 富士見町6丁目 昭和40年頃   軒下の雪除け 【飯田雅人】 冬、雪がたくさん降ると三角屋根の上に厚く雪がつもります。そうして気温が高くなると、一気にトタン板の屋根から大量の雪が落ち、家の中が真っ暗になってしまいます。陽が部屋に届くように、軒下の除雪をすることが年に何回かあり…
ゆきどけ 思い出貼

ゆきどけ

特に山の裾の方では水が湧いていて湿地がたくさんありました。大夕張神社の参道の鳥居があったところにも,大きな湿地がありました。 春が近づき暖かくなると雪の下の方から雪がどんどん溶けていきます。雪を掘っていくと,シャーベット状の雪があらわれ、それを使って水遊びとも、雪遊びともつかぬ、冬も最後の遊びに没頭…
昭和7年の大夕張全景 パノラマ

昭和7年の大夕張全景

昭和7年の街並み。富士見町、線路を挟んで栄町の炭砿住宅が写っています。富士見町の住宅もまだまばらです。右手奥には昭和3年の開校間もない大夕張尋常高等小学校、手前には倶楽部と独身寮らしい建物も見えています。線路には大夕張駅を出発した運炭列車が通洞(大夕張炭山)駅に向かいます。 『三菱鉱業社史』から &…
1928年(昭和3年) 昭和

1928年(昭和3年)

2月 初)橋梁橋桁到着完了し,南部在住佐藤庄太郎により馬橇により運搬開始。 3月 初)橋桁運搬完了。 三菱大夕張に請願巡査1名。北部に1名派出所。(向こう1年間許可) 4月 1日,鶯沢,吉野沢橋梁,架橋工事に着工。 6日,五十鈴沢橋梁,架橋工事に着工。 15日,香椎沢橋梁,架橋工事に着工。  30日…