昭和35年

崩落現場越しにふり返る 運んだ、石炭を人を

崩落現場越しにふり返る

 崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。  夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。     白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー…
土砂に覆われた現場と待機する列車 運んだ、石炭を人を

土砂に覆われた現場と待機する列車

 昭和35年(1960年)  元画像の状態が不鮮明で、白くボケて見にくいところがあるが、崖から崩れた土砂が、広範囲にわたって、分厚く線路の上に覆い被さっている様子が見て取れる貴重な写真である。  現場を迂回して前方の待機している列車に乗り込む高校生たち。その先に三弦橋。 ↓白黒写真はこちらのページ。…
森林鉄道の記憶 林鉄機関車3 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車3

  昭和35年、南大夕張貯木場。  当時の南大夕張営林署勤務の方たち。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』の写真に続く、機関車のノーズ部分のようだ。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』で機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと…
森林鉄道の記憶 林鉄機関車2 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車2

 昭和35年、南部貯木場の若者たち。  前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車1』に3人の男女が乗っているのがわかるが、流れからいうと、手前の席に座っていた男性が降りて真ん中と左はしの女性二人を撮影した写真のようだ。  カメラに向ける笑顔が楽しそうである。  機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北…
森林鉄道の記憶 林鉄機関車1 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 林鉄機関車1

昭和35年。   自分との関わりでいうと、ものごころついた昭和40年代日常の生活の中で森林鉄道の存在を意識したことはほとんどなかった。 あるとすれば、ダム湖畔から見える三弦橋その他のいくつかの橋梁たちを見たときに、木材を積み出す汽車が走っていたんだなあ、と思ったくらいだった。その頃は、すでに廃止にな…
森林鉄道の記憶 トロッコ2 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 トロッコ2

昭和35年。 南部貯木場の若者。 トロッコにのって正面から写したショットを見ると、あの映画の名シーンを思いだす。 森林伐採の作業から脱獄計画に巻き込まれた主人公の橘が、ブレーキの効かない猛スピードで走るトロッコにのってひたすら雪原を逃げる。追いかけてきた保護司が猟銃を打ちまくり鬼気迫る迫力のシーン。…
森林鉄道の記憶 トロッコ1 楽しかった日々

森林鉄道の記憶 トロッコ1

  昭和35年。 南部貯木場。 先頭に立ってポーズをとる青年の姿の後ろには、子どもや女性の姿も見えていて、これも当時行なわれた何かの行事の一コマだったのだろう。   白黒写真に着色した画像   左に見える気動車は野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと同型で、次のよう…
崩落した崖を見上げる 運んだ、石炭を人を

崩落した崖を見上げる

『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや工事関係者の姿を写した5枚の写真のうち、「2 崩落した崖を見上げる」の写真に着色したものです。   ↓白黒写真はこちらのページ。 https://ooyubari.com/2020/07/…
直心の坂 春 思い出の街角

直心の坂 春

昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像   この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった…
大夕張劇場 映画の看板 思い出の街角

大夕張劇場 映画の看板

千年町大夕張劇場。右手が千年町駅、左手が鹿島東小学校方向。 ずらりと映画の看板が入り口の上に多数貼りだされている。 左から写真を拡大しながら、映画のタイトルを読んで行くことにしよう。 『遥かなる男』 〇七〇〇笠のような字が見える。絵は時代劇のようだが、わからない。 『雨情』 『土俵物語』 『水戸黄門…
そり遊びとボッコ手袋 楽しかった日々

そり遊びとボッコ手袋

昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興…
9201 運んだ、石炭を人を

9201

9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像   昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】    9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。  以来,「920…
列車を乗り換える 運んだ、石炭を人を

列車を乗り換える

『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや乗客達の姿を写した5枚の写真のうち、「4 列車を乗り換える」の写真に着色したものです。   白黒写真に着色した画像 もとの白黒写真をみるにはこちらのページから↓ https://ooyub…
昭和34年頃 大夕張カトリック教会 上空から 思い出の街角

昭和34年頃 大夕張カトリック教会 上空から

鹿島小学校の新校舎が完成して間もない頃。 緑ヶ丘と呼ばれていた地域。 鹿島小学校の裏手の坂を登ったところにあった教員住宅や、教会の裏手の土俵が確認できます。 炭礦が景気の良いときは、大相撲の巡業も行なわれました。 白黒写真に着色した画像 『おばけ神社』といわれていた場所があります。この写真の右手、大…
昭和35年 鹿島小学校 思い出の街角

昭和35年 鹿島小学校

大夕張神社に登る坂道で途中息が切れて、苦しくなると、必ず休むのが一つの目の曲がり角。 その昔は、そこから上に登る道があって、もう一つ神社があったらしい。むかし「乃木神社」、時代が下って「おばけ神社」と呼ばれていたというはなしもある。(それぞれ、”乃木神社” ”おばけ神社” で検索すると関係の文章がで…
おもちゃ 楽しかった日々

おもちゃ

 この写真、昭和30年代中ころ。  頭の中で描いていた色とりどりのオモチャ達が、モノクロからカラーへ。色がついて身近になった。  記憶をたよりに、想像をいれながら、彩色していった。    今も頭にあった色のイメージ・・・SLは濃い青、バスは赤みがかった黄色ないしは黄土色に近い色、というのが記憶に残る…
代々木町の高台から見る磯次郎の沢 思い出の街角

代々木町の高台から見る磯次郎の沢

 撮影者は屋根の上に立って撮影したのだろうか、けっこう高い位置で撮影している。  正面に磯次郎の沢。沢の裏手の山は、山菜を取りにはいったり、遊び場にしていた子どもたちも多かった。    季節は秋だろうか。昔、畑に藁で野菜や木を保護したり、物干しにダイコンの葉をかけていた様子を覚えているが、住宅の畑に…
昭和43年 千年町駅 思い出の街角

昭和43年 千年町駅

 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。  昭和25年11月1日、千年停留所として開業。    昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。  昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。  当時,駅長…
健保会館前の少女 記念の日

健保会館前の少女

昭和35年夏 健保会館前の庭。強い陽射しの中で、まぶしそうな表情をしている少女。小学校も授業は午前中で終わり、半ドンだった。お祭りの日のお出かけだろうか。 白黒写真に着色した画像   健保会館前の庭にて…