思い出の街角 旧農場付近 開墾伐採のあとか、このあたりの湖底一帯は、多くの木の切り株が散在していた。 湖畔亭の下、大夕張ダム湖の湖底は、かつて農場(第2農場)といわれた。対岸が桜ヶ丘方面。 戦後炭鉱の人口増により大夕張にも町外れの畑地にも町ができた。 第一農場にも炭鉱住宅が建設されて、明石町となった。それによ… 続きを読む
開拓・白金 桜ヶ丘 住宅地図 その2 以前、桜ヶ丘開拓地の開拓農家の入った地図を、山影さんと小野寺さんの追想から作成したものを掲載した。 今回、ある方の手を通して、桜ヶ丘の元住民、鈴木さんが作成したという地図が手に入った。 下の地図は、鈴木さんが60年前を回想し、作成した地図をもとにつくった。 ただ家のあった場所は記憶にあるもの… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 農場前臨時乗降場 昭和30年頃 桜ヶ丘方面と行き来する乗降場であったのだろう。対岸の桜ヶ丘方面に行くには、尚、崖の道を下り、シューパロ川にかかる細いつり橋を渡らなくてはいけなかった。 写真を拡大すると、制帽をかぶった鉄道員らしき人物や乗降する複数の人が見える。 白黒写真に着色した画像 後のシューパロ湖駅より… 続きを読む
思い出の街角 3号つり橋から橋を渡る列車 昭和30年頃 桜ヶ岡から、シューパロ川にかかる『3号つり橋』の上からちょうど、列車が大夕張方向に向かってやってきた。 目の前に見えるのは、五十鈴沢橋だろう。 大夕張ダムによるシューパロ湖が生まれる前の様子。 昭和32年まであった『農場前臨時乗降場』に続いたという崖の道も見えている。 白黒写真に着… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋から鉄橋 昭和30年頃 桜ヶ丘開拓地と外部をつなぐ、つり橋。 このつり橋は、明石町と開拓をつなぐ白銀橋(開拓橋)より南側にかかっていたらしい。 前方に見える鉄橋は、五十鈴沢橋梁のようだ。 このつり橋は、当時、ゆれが大きく、雨の日などはよく足元が滑り、通行には危なっかしく、たいへんだったという。その… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋 昭和30年頃 白黒写真に着色した画像 この写真の橋は桜ヶ丘開拓地(シューパロ湖駅対岸)と大夕張方面を結ぶ橋だっだようです。昭和32年まであった鉄道の『農場前臨時乗降場』から、この橋を渡って対岸に渡ることができました。 奥鹿島には、1951年に鹿島開拓団が設立され、入所後、つり橋を建設し共栄橋と名… 続きを読む
思い出の街角 昭和29年 秋 大根収穫 昭和29年 明石町 農場 秋のダイコンをたくさん背負って畑から降りてくるひとたち 。 池のそばでは子供たちがなにやら••• 大夕張礦業所の農場として開墾が奨励され、昭和24年に明石町ができてからも、昭和27年に明石橋ができるまで、千年町から明石町への道路はなく、急ぎの時には住民は鉄橋を渡って往来して… 続きを読む