楽しかった日々 雪にまみれて 昭和35年頃。 炭砿病院近くの線路そばの富士見町。 全身雪まみれになったのか、されたのか・・・。 この写真に、大夕張らしさがあるのかどうかとふと考えた。 家の前の道の周りに積った雪を超えると、そこに広がる雪原や、空き地に積って周りの畑とつながって境目のなくなった一面の雪。 そこ… 続きを読む
楽しかった日々 雪の中のくらし 雪かき 昭和35年頃。 富士見町5丁目あたりの、炭砿病院の線路をはさんで向かい側にあったあたりの住宅前。 雪のあと、日差しが出て来て家の前を雪かきに出る。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 屋根の上のスキー 家を埋め尽くすほどの雪が降った夜。 次の日、屋根の上には新雪が積る。 地面に積った雪と屋根からなだれ落ちた雪がつながってしまう・・・。 晴れた日には、そこは子どものスキー場と化す。 昭和35年(1960年)頃、場所不明。 白黒写真に着色した画像 https://ooy… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 購買会 昭和30年代の購買会。 大夕張のデパートといわれた三菱購買会。 2階には家具売り場もあり、お正月や季節の大売り出しの時期には、福引などが行われ、中央の玄関前には当選者が張り出されていたという。 昭和38年頃火災にあったという。 この写真はそれ以前のように思われる。焼失したわけではなく、むしろ… 続きを読む
思い出の街角 春日町屋根並み 昭和30年代、季節は晩秋だろうか。 春日町の住宅の屋根越しに、春日町の浴場の大きな建物が見える。その横に並んで見えるのは春日町詰所の屋根だろうか。 この構図は、おそらく代々木町と春日町をつなぐ坂道の途中から撮影したようだ。 炭砿住宅の煙突から、石炭を燃やす煙が、風に吹かれてたなびいている… 続きを読む
大夕張の全景 大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1 『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。 大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。 彩色していきな… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島東小学校運動会開会式 昭和35年頃 鹿島東小学校運動会の開会式の様子。 鹿島東小学校閉校記念誌に掲載された写真から。 写真の説明には、次の言葉が添えられている。 整然と並んだ運動会 開会式 たくさんの子どもがいた -昭和35年頃- 「たくさんのこども」・・・ちなみにこの頃は、鹿島東小学校も1200人以上の児童数を抱え… 続きを読む
思い出の街角 映画上映中の大夕張劇場 映画上映している大夕張劇場 右手に見える立派な料亭風の塀のある建物は、昭和43年の住宅地図で、サトミ会館となっていて、繁華街だった千年町らしく飲食店が数軒入っている。 この場所は昭和5年に千年町に入った指定商として、「土屋商店(飲み屋)」とある。 昭和の初めから酒を扱う飲食店だったのだろう。 … 続きを読む
2丁目3番地 夕鉄バスの前にて 大夕張が『陸の孤島」とよばれていたころ・・・。 石炭列車につながれた客車に乗って、一時間揺られて出かけていった夕張。 清水沢で国鉄に乗り換えた先の鹿の谷では、車窓から見る広い構内にたくさんの機関車や貨車が留め置かれている様子に目を見張り、終点の夕張駅で降りると、工場から聞こえる鉄を打つ… 続きを読む
楽しかった日々 だっこちゃん 昭和36頃、全国的にだっこちゃん(ダッコちゃん)ブームがあった。 『だっこちゃん』は、1960年(昭和35年)に発売された、空気で膨らませるビニール製の人形だった。 色は黒く、身体を傾けると片目でウィンクをする20cmくらいのかわいらしい人形だった。 協和会館での映画上映前の映画ニュー… 続きを読む
思い出の街角 お祭り 駅前商店街 すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。 着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。 … 続きを読む
街の行事 昭和35年 泉町 町内運動会 昭和35年(1960年)頃、実施された泉町の町内運動会。 当時、大夕張で盛んに行なわれていた各町内会での恒例行事。 泉町では、毎年趣向をこらした運動会が行なわれていた。 その第1回大会。 この時町内会長を務めていた南太吉さんの自宅前の広場で実施され、その記念撮影。 他にこの頃、町内会の世話役を務めて… 続きを読む
思い出の街角 開拓から白銀橋 昭和34年に建設された白銀橋。 この橋を渡って明石町から開拓へ向かうことから、開拓橋ともよばれていた。 雪どけの時期、残雪が多く残る畑の向こうに橋が見えて、その向こうまでの明石町の道路や、住宅が見通すことができる。 昭和30年中頃だろうか。 尚、白金地区が「開拓」から「鹿島白金」と地名変更になっ… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 崩落現場越しにふり返る 崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。 夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。 白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 土砂に覆われた現場と待機する列車 昭和35年(1960年) 元画像の状態が不鮮明で、白くボケて見にくいところがあるが、崖から崩れた土砂が、広範囲にわたって、分厚く線路の上に覆い被さっている様子が見て取れる貴重な写真である。 現場を迂回して前方の待機している列車に乗り込む高校生たち。その先に三弦橋。 ↓白黒写真はこちらのページ。… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車3 昭和35年、南大夕張貯木場。 当時の南大夕張営林署勤務の方たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』の写真に続く、機関車のノーズ部分のようだ。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』で機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車2 昭和35年、南部貯木場の若者たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車1』に3人の男女が乗っているのがわかるが、流れからいうと、手前の席に座っていた男性が降りて真ん中と左はしの女性二人を撮影した写真のようだ。 カメラに向ける笑顔が楽しそうである。 機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車1 昭和35年。 自分との関わりでいうと、ものごころついた昭和40年代日常の生活の中で森林鉄道の存在を意識したことはほとんどなかった。 あるとすれば、ダム湖畔から見える三弦橋その他のいくつかの橋梁たちを見たときに、木材を積み出す汽車が走っていたんだなあ、と思ったくらいだった。その頃は、すでに廃止にな… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ2 昭和35年。 南部貯木場の若者。 トロッコにのって正面から写したショットを見ると、あの映画の名シーンを思いだす。 森林伐採の作業から脱獄計画に巻き込まれた主人公の橘が、ブレーキの効かない猛スピードで走るトロッコにのってひたすら雪原を逃げる。追いかけてきた保護司が猟銃を打ちまくり鬼気迫る迫力のシーン。… 続きを読む
随想 昭和35年鹿島小学校3年生 見学旅行 |奥山道紀 昭和36年7月13日【北海道新聞・夕張版】 『みんなで旅行うれしいな 鹿島小三年生模擬坑など見学』 今月は市内小、中学校の修学旅行・見学旅行の最盛期。 鹿島小学校の三年生も十一日、夕張市内や栗山方面の見学旅行を行った。 昨年は小児マヒの流行でどこへも出かけられなかったこどもたちにとって、… 続きを読む