思い出貼 昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ 大夕張駅から大夕張炭山駅方面へ向かう列車と見送る駅員さんの後ろ姿・・・。大夕張の風景に溶け込んでいます。向こうに見えるのは富士見町の住宅。ホーム脇に伸びた雑草が晩年の大夕張を感じさせせつなくさせます。… 続きを読む
昭和 1950年(昭和25年) 2月 24日,鹿島小学校児童数増加により鹿島第2小学校建設を目的とした期成会が発足。3月 31日,鹿島小第6代横路時雄校長。鹿島中第2代河合清校長。4月 1日,明石巡査駐在所設置。(明石町駅前の炭住の一角に。s38.駅横に新築 s49.4.1廃止) 三菱鉱業(株)が美唄鉄道(株)を吸収合併。「三菱… 続きを読む
昭和 1949年(昭和24年) 1月 25日,遠幌小学校開校。3月 常盤町、 明石町ができる(第一農場に300戸新築) ※当時明石町への道路はなく、鉄道だけがたよりであり、住民は急ぎの用事には、線路を往復、鉄橋を渡って行き来した。4月 夕張市消防団設置区域、組織に関する規制制定に伴い夕張消防団9分団定員403名、鹿島消防団6分団定… 続きを読む
昭和 1948年(昭和23年) 1月 遠幌駅構内北炭枝線完成。北炭遠幌砿送炭開始。2月 1日,鹿島青少年団育成会(小河内孝男1100名)3月 1日,中島組,中島工業株式会社に。(本店夕張市鹿島一番地 取締役社長中島政雄) 緑町青年会(小井出政吉53名) 7日,大夕張駅構内にて下り列車側線進入脱線事故。 21日,常盤町青年会(古地… 続きを読む
地図 礦業所建物配置図 昭和33年の礦業所建物の配置。元の資料は大夕張全体に及びますが、そこから礦業所をピックアップしたもの。残念ながら一つ一つの建物の詳細については自分にはよくわかりませんが、主な建物には名称が記載されています。 昭和33年の資料から https://ooyubari.com/2020/04/16/mit… 続きを読む
回想・随筆 ネットDE思い出ノート NHKBS『私のふるさと物語』大夕張ロケの翌日、2001年10月29日から、番組が放送された2002年1月12日まで、当時鹿島小学校横に設置されたいた『思い出ノート』のネット版として、「ネットDE思い出ノート」という掲示板を期間限定で開設しました。そこに書き込んでいただいたものです。 ああ~大夕張 … 続きを読む
思い出の街角 吉野沢公園 昭和45年頃の吉野沢公園 吉野沢公園 【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の駅の一つにシューパロ駅という駅がありました。昭和37年大夕張ダム完成の年に開業し,昭和43年には廃止になるという,何年かの間しか存在しなかった駅でした。そこには,ちょっとした公園や湖畔亭という食堂がありました。駅の廃業とともにそこ… 続きを読む
思い出貼 吉野沢公園と石炭列車 昭和48年、吉野沢【明石町駅~シューパロ湖駅間】 新緑の萌え出す初夏の吉野沢公園。周囲の景色を映し出す湖畔の穏やかな池。その吉野沢公園付近を走る列車・・・はじめこの写真を見たときはなんて美しく平和な光景だろうとため息がでました。しかし黒い車体にペインティングされた『閉山反対』の文字が遠目にもはっきり… 続きを読む
訪問記 僕と木(2000年6月25日)|飯田雅人 富士見町2丁目の大木の辺り (平成12年6月25日) すでに住人の立ち退きが終わり,建物がほとんど取り壊された,大夕張だけれど,街あとをあるけば,草や木々に被われてはいるものの土地がある限り,記憶につながるモノにまだめぐり合える。 富士見町3丁目と2丁目の間に大きな木が立っていた。 ささやくん,… 続きを読む
回想・随筆 大夕張 心に残る出来事 あなたの心に残る大夕張での出来事・・・、毎年季節が巡るとやってきたあのイベントや行事・・・、突然やってきた思わぬ出来事・・・、年を経てもいつも思い出すあのこと。大夕張に確かにあったあの日あの時をここに・・・。 上の文章は、かつて「ふるさと大夕張」(1丁目1番地)で『大夕張 心に残る出来事』として、ア… 続きを読む
思い出の街角 鹿島中学校と常盤橋 昭和48年竜田の沢から 千年町~明石町(かつての竜田の沢)あたりの国道から鹿島中学校方向を望む。鹿島中の手前に見えているのは教員住宅のあたりでしょうか。手前に常盤町と明石町を結ぶ常盤橋が見えています。右手木立の向こうにサトミ公園がありました。旧橋の橋脚が見えています。… 続きを読む
山史 第1編 沿革 第7章 最近に於ける営業事項 第7章 最近に於ける営業事項 1、 美鉄と連絡運輸併合 従来大夕張鉄道と美唄鉄道は、国鉄との連絡運輸については恰も別会社の如く、ここに連絡番号を有し業務を取扱いたるも、 昭和31年6月1日よりこれを併合三菱鉱業株式会社の美唄鉄道線又は大夕張鉄道線と称し、連絡運輸契約も当社取締役社長と国鉄営業局長との… 続きを読む
訪問記 初夏のふるさと(1999年7月20日)| 成松泰彦 先日、20日にふと故郷をおもいだした。本当に突然、腰をあげ家族で出かけました。曇り空だった天空が清水沢を越えるあたりから急に青空が元気を取り出し見る見る間に夕張岳が見えてきた。 常盤町 中学校跡地 鹿島中学校跡地を里美公園上から眺め「よし!あそこに行ってやろう」と思い立ち、千年町の駐在さんを右折。 … 続きを読む
昭和 1947年(昭和22年) 1月 15日,三菱大夕張鉄道,国鉄清水沢駅に乗り入れ開始。 16日,大夕張鉄道新清水沢駅廃止。当時の駅【清水沢-遠幌-南大夕張-大夕張】2月 鹿島警防団長久保簾三退任。6代目団長池田幸吉。4月 1日,帝室林野局大夕張出張所が大夕張営林署に昇格。 学制改革により鹿島国民学校から夕張市立鹿島小学校と改称… 続きを読む
思い出の街角 鹿島警察官駐在所(千年町) 平成9年ころ、鹿島警察官駐在所と千年町郵便局 昭和49年に大夕張にあった1派出所、2駐在所が統廃合され、それまでの「鹿島南警察官駐在所」が「鹿島警察官駐在所」として設置されました。 平成9年頃。閑散としてのんびりとした、千年町郵便局と交番が見えています。かつてここは千年町商店街に通じる人が行き交う交… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 啓心寮越しにみる夕張岳 冬の啓心寮 【飯田雅人】 富士見町にあった礦業所の独身寮だった啓心寮。その向こうに見える冬の夕張岳。写真の啓心寮は調理場等があった棟で,煙突からはボイラーの煙でしょうか,白い煙が見えます。屋根や煙突の軒下に下がるツララの大きさにも目を奪われます。建物手前の空き地には石炭やまきなどがいつも野積みされ… 続きを読む