月: 2020年7月

大夕張つれづれ■ハヤト■|高橋正朝 #64 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■ハヤト■|高橋正朝 #64

 新聞を見ていたら、国定勇人三条市長が、2016年10月の新潟知事選で、告示前に自分のブログで森民夫氏(落選)への投票を呼びかけたとして、三条署などが新潟地検に書類送検した記事が載っていた。  「勇人」という名前で、鹿島中学校3年生のときのあることを思い出した。国語の授業時間で、授業の内容そのものは…
ズリ山 炭鉱とともに

ズリ山

昭和40年頃  採掘された石炭のうち、廃棄する捨て石をズリといい、長年にわたって積み重なった結果ズリ山ができる。同じ炭砿でも、九州辺りの炭砿では、同じものをぼた山と呼んでいるそうです。「ズリ山・ぼた山」昭和30年代、子どもだったからなのか、特に使い分けずに、両方の呼び名で呼んでいたような気がします。…
大夕張つれづれ■不在証明■|高橋正朝 #63 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■不在証明■|高橋正朝 #63

 2016年7月24日付の各社の新聞に、ちょっと怖いことが載っていた。テレビでも放送されたようで、その事件の記憶のある人もいることと思います。  記事のあらましは、前日の23日に、富山県高岡市の県道交差点で、乗用車と軽乗用車が、信号無視として交通反則切符をそれぞれ交付されたことです。乗用車の運転手は…
晩秋の夕張東高 学び舎の思い出

晩秋の夕張東高

昭和48年頃 今に生きる東高   【斎藤 敏幸】  (98/09/02)  僕たち第8期生は、「大夕張」がまだ活動期にあった年の最後の卒業生です。 1972年3月10日、僕たちは在校生に見送られて、東高を後にあの坂道を降り、それぞれの人生を歩み始めました。  「井の中の蛙」と言われながらも、僕たちな…
大夕張つれづれ■沙漠の気温■|高橋正朝 #62 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■沙漠の気温■|高橋正朝 #62

 2016年7月27日付の読売新聞に載っていたが、今月21日に、クエートで54℃の気温を記録したらしい。過去100年で最も高い気温と認識されたようだ。同コラムには、過去最高気温として、米国カリフォルニアのデスバレーで、1913年に56.7℃ を記録したが、誤計測の疑いがあるとされている、と書かれてい…
森林鉄道の記憶 思い出の街角

森林鉄道の記憶

(昭和32年~昭和35年) トロッコ トロッコ1 トロッコ2 林鉄機関車1 林鉄機関車2 林鉄機関車3 写真について 【本間正雄】 『トロッコ』は、昭和32年、夕張南高生と、夕張工業高生。    他に小、中学生も一緒に便乗。   『トロッコ1』~『林鉄機関車3』の写真は、昭和35年の写真。 『林鉄機…
大夕張つれづれ■大相撲がやってきた頃■|高橋正朝 #61 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■大相撲がやってきた頃■|高橋正朝 #61

 子どものときの大夕張時代は、7月の下旬の初めごろに夏休みがスタートしていた。私が鹿島東小学校3年生の夏休みのとき、大相撲の一行が大夕張にきた。  このホームページの年表をみると昭和32年(1957年)となっているので、記憶とは一致している。  夏休みに入ってからのことではあったが、日付までは覚えて…
大夕張神社御輿 陳列棚

大夕張神社御輿

平成9年夏、鹿島小学校を訪れた時、使用されていない水飲み場付近に保管されていた御輿。今はしかるべきところで保管されていることでしょう。…
盆踊り 思い出貼

盆踊り

 鹿島小学校グラウンドに組まれた櫓の周りを、街中の大人子どもが輪になり踊った。 電飾に浮かび上がる櫓太鼓 【飯田雅人】 お盆。早い夏の終わりを告げるかのように,虫たちが鳴き始める頃,各町内で盆踊りの笛や太鼓が響きます。町中がにぎやかに,子供達の気持ちもわくわくするような雰囲気になるのです。ふだん夜と…
大夕張つれづれ■豆腐屋のアルバイト■高橋正朝 #60 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■豆腐屋のアルバイト■高橋正朝 #60

 明石町駅を出て左に曲がり、購買会の横のゆるい坂道を通って100メートルぐらい先を左折して線路を横断すると右側が坂道になり、その坂道を上った所に、阿部豆腐店があった。  実際の商号は、阿部商店だったかもしれないが、ハッキリとは覚えていない。その豆腐屋を右手に見ながら、左折して坂を上って行くと東高校に…
大夕張つれづれ■牽強付会■|高橋正朝 #59 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■牽強付会■|高橋正朝 #59

 私がアルジェリアのエチレンのプロジェクトに赴任したときは、すでに工事を終了して4年か5年目であったように思う。そこにはかなり大きな図書室があった。  私が赴任した時点で、八百数十人の日本人が常駐しており、数週間から1か月ぐらいの滞在者もいたから、それらを含めると千人ぐらいいた時期である。  だから…
対岸から見た明石町 大夕張の全景

対岸から見た明石町

昭和40年頃 シューパロ川対岸から見た明石町全景。手前が1丁目、奥に向かって15丁目まで続きます。 下の資料は、西方向から見た昭和45年明石町の住宅地図。これまでの『昭和43年明石町住宅地図』とほぼ同内容ですが、比較が容易なのでこちらを掲載することにします。  上の写真の頃に比べても、昭和45年に描…
大夕張つれづれ■ガンピ■|高橋正朝 #58 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■ガンピ■|高橋正朝 #58

 大夕張にいた私たちの年代は、「雁皮」の名称は知っているようですが、前々回、書き込んだように、樹皮が何層にもはがれるものを我々はすべて「ガンピ」と呼んでいましたが、漢字は知らなかった。  今回、初めて知った漢字表記である。  この「ガンピ」という言葉は、小学校に入学する前後にはすでに知っていたと思う…
蝉の声 2丁目3番地

蝉の声

 季節は夏。夏といえば、蝉の声。そして来る8月になると笛や太鼓が街に響きます。今年は残念ながら事情が違いますが・・・。  大夕張にいた頃、山に囲まれていたせいもあり、家の外の音はよく聞こえました。鳥・蝉・虫・風の音、風に揺れる草木の葉擦れの音、沢の流れる水音、いろいろな環境音がありました。それらは自…
大夕張つれづれ■私と辞書■|高橋正朝 #57 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■私と辞書■|高橋正朝 #57

 辞書、ということで、三十数年前に読んだ英語のテキストのことを思い出した。  著者はどこかの大学の英語の男性教授であるが、名前やどこの大学であるかはまったく覚えていない。出版社についても覚えていない。著者曰く、英語は合理的だが日本語は不合理だとして、次のようなことを書いていた。  日本語の「湯」は、…