千年児童公園
昭和45年頃、千年児童公園


千年児童公園は通学路 【飯田雅人】
夕張市千年児童公園と公園の門にプレートがかかっています。
中学に通っていた頃,いくつか通学に使うルートがありました。鹿島中学から常盤橋を渡り,東小学校の前のジャリ道を通り,所商店の手前,大夕張教会を過ぎたあたりで右に曲がると三吉神社。
そしてこの公園のちょうど門のところに出ます。この公園を斜めに横断し,宝町の図書館,岳富町商店街を通って,富士見町の家に帰るというのが,よく利用した道です。
中学への通学は片道30分はかかったように記憶しています。
ちょうどこの公園のあたりで,一休みして帰ることが多かったのです。写真の手前左にはトイレがありました。向こうに見える宝町の住宅からは、石炭ストーブの煙突から煙が立ち上っています。宝町浴場の煙突でしょうか。
ここを通るときに、宝町の住宅から聞こえてきていた、ドラムをたたく音。誰かが練習してたのでしょうが、ドラムの音なんて当時、とても珍しく、記憶にすり込まれました。
角にあった貸本屋さん、朝には堅く扉の閉じているBARの黒い扉、これらも、何の脈略もなく記憶に入っています。
ブランコ。当時、箱ブランコがあり、遊びのつもりで猫を一緒に乗せてスピードをつけてこいで,猫がよっぱらってしまって嘔吐させたことに驚いたこともありました。冬には、誰もいないこの広い雪原で「プロレスゴッコ」。当時流行していた、ビルロビンソンの「人間風車」という技のまねごとを、頭から全身雪まみれになりながら友達と夢中になってやっていました。
幻想的風景 岡本雅志(1998年10月20日)
写真の奥、天理教の建物が見えています。
子供のころは狭い大夕張が広く感じられ、山の中腹に遠くから見える天理教の建物が幻想的に見えました。
今は見ることのできない当時の原風景は、「空気」や「におい」までよみがえらせてくれます。
昭和も45年とか出てくると私には大夕張を出てかなりの時を経たように感じる。
三吉神社は記憶ないが釧路にもそして札幌の今の近くにもあるのに、子供の頃はそんな事など気にも留めてなかったか。
手元には一枚の写真も無いので、昨日の夕食も思い出せない今の自分では何とも致し方ないか。
2014年4月17日夕張シューパロダムが試験湛水を始めた年に千年町で撮った写真です。
向かって左側が三吉神社で右側が千年町児童公園です。
当時細かった木も大木になっていました。
きれいです。
まるで人が住んでいないなんてみえません。
千年町の市街地だったからなんでしょうね。
2001年に、自分が住んでいた富士見町3丁目33番地に行った時、木々が倒れ行く手を阻んでいた箇所が何ヶ所もあったことを覚えています。山が近かったからだとは思いますが。
2014年、このように存在していたなんて、信じられないようです。