湯浅先生 エピソード|Kawauchi Masami

1976

 担任していた桜組の野球チームまで作った湯浅先生 面白い先生でした。『湯浅純治先生のこと』のところでも紹介しましたが、その他のことも思い出したので、書きたいと思います。

 

 授業中、私には難題の算数を、黒板で解くと、 「カワズ、体育館見てこい」と、言われ、見て来て、「空いてる」と 伝えると、 ご褒美に、クラス全員で、ドッチボールをさせてくれました。

 

「親父に物頼む時、お酒呑んでる時狙え」と、教えてもらいましたが、『家の父さん、お酒飲まないんだよな〜』って、思ってました。

 

 山にも海にも 連れて行ってくれました。 

  ニセコも、テイネオリンピアも、お金かかったろうけど、親も協力的でした。

  

 運動会、前の日、桜組だけでグラウンド整備をしました。

  その時、学んだ事は人のためになるのなら、サボる気持ちを持たず、人が見てなくても、常に一生懸命物事をやり遂げる」でしたね。

 

 交通事故の話もしてくれて、「車は直ぐに止まれない」 その頃は、よくわかりませんでしたが 、車止まるのに クラッチ踏んで、ブレーキ踏んで、走るのにギャーチェンジしなければならないと、言ってました。

 そして、もう一つ覚えているのが、大きい声で言えませんが、「女の子を好きになり 諦めなければならない時は、その女の子が、うんこしてる姿を想像すると、忘れられる」って言ってたな〜。


 

 (筆者紹介)

昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。


思い出の記

 

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