炭鉱とともに 選炭場の選炭婦たち 夕張のどの炭鉱も選炭場には、大勢の選炭婦と呼ばれる女性がいた。 大夕張炭砿にも選炭婦と呼ばれる女性たちがいた。 バンドと呼ばれるキャタビラー状の機械にのって流れてくる石炭を、炭塊の大小、岩塊の別などを素早く選別し、選り分けていた。 とかく男の荒々しい炭鉱の職場の中でも、ここは、晴れやかな活況… 続きを読む
随想 私の恩人 | 久々湊真一 私の乳幼児時代は、「死んでもおかしくない」虚弱体質だったそうです。 当時の写真をみると、首に真綿を巻いているものが多く、何やら情けなくなります。 小児喘息も持っていて、呼吸が苦しかったことを、朧げに記憶しています。 幼稚園には、 「身体が弱すぎて預かりかねます」 と入園を拒否されました。… 続きを読む
思い出の街角 協和会館 天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44… 続きを読む
思い出ばなし かしこいカラス | 成田利夫 カラスはたくさん飛んでましたねえ。 確か夕方になると空が半分くらい真っ黒になっていたのを覚えています。 小学校に通う道の真ん中でカラスが留まっていたので、いたずらに石を投げてみると見事にカラスの胸に当たりました。 カラスはびっくりして翔んでいきましてそのまま小学校に行き、学校帰り… 続きを読む
街の行事 お祭り集合写真(富士見町) 昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って… 続きを読む
思い出の街角 大夕張炭山駅を出発する列車 撮影した長谷川さんによると、昭和45年11月だという。 最近は、着色も少しは慣れてきて写真を見返す余裕も出てきたと自分でも思うけど、この時期の大夕張では晩秋、いつ雪がふるかという頃で、緑少し盛りすぎ・・・たか。 『ふるさと大夕張』の最初の頃から掲載させてもらっている写真も、色をつけて気がつくことが多… 続きを読む
思い出ばなし カラスの襲撃 |石原賢治 小学5年の頃、ソロバンを習っていまして、ある日曜日に鹿島中学校で昇級試験がありました。 早めに富士見町の家を出て、歩いて中学校へ向かいました。 岳富町を通る時、何を血迷ったのか、歩道の上の擁壁伝いを歩いていました。 そう、鉄道のすぐ脇道を歩いたのです。 これは、正式な道ではありません。… 続きを読む
絵画 追分グラウンドにて ~祖父のスケッチ帖から~ 10月28日の記載。描かれたページの順番から昭和15年から昭和21年までの頃であることは間違いない。 戦争の時代。 大夕張尋常高等小学校(鹿島国民学校)の高等科女子を受け持っていたという。 遠足の時の昼ご飯の風景だと思われる。 見てのとおり、「追分グランドに於て」と書かれてある。 大夕張目線… 続きを読む
思い出ばなし 時計屋さんの白ネコ | 内川准一 林さんの『猫とブルドック』の話を読んで、 ずうっと考えていました。 岳富町の時計屋の窓にいたという、両眼の色が異なる猫のことです。 昭和37年まで、弥生町の我が家で飼っていた猫がそうでした。 白地に茶色の斑が混じる二毛ネコで、片眼が金色に近い黄色で、もう一方がブルーグレーのような… 続きを読む
絵葉書 娯楽殿堂・協和会館/購買会の盛況 昭和15年(1940年)頃、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書に、着色してカラー化。 『娯楽殿堂・協和会館』 写真を見比べると、昭和初期から閉山まで、何度も改装を施されてきているようで、『大夕張風景』と題する絵葉書に、新築間もない頃の協和会館の写真があるが、すでに正面の改装を施されているように見え… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大夕張劇場の映画ポスター、〘 遊星王子 〙| 高橋正朝 #95 高橋さんの話とともに大夕張劇場のポスターもにぎやかに これも、映画そのものは見ていない。 梅宮辰夫が、『遊星王子』に扮している。 1959年5月19日に1作目が封切られ、5月25日には続編が封切られていると、ウイキペディアに書かれている。 だから、大夕張劇場で上映されたのは、その年… 続きを読む
思い出の街角 富士見町 炭鉱住宅 白黒写真に着色した画像 チヒロ君の思い出 【飯田 雅人】 住宅の後ろの山がせまる感じが、富士見町5丁目あたりの山側の一段と高いところに、何軒か並んで建っていた住宅を思い出す。 実際、この炭砿住宅の形にははっきりとした記憶があって、幼稚園から小学校にかけて仲良かった西本チヒロ君が、山… 続きを読む
随想 カメムシの富士見町 | 對馬良一 大夕張栄町で生まれ、代々木町、春日町、最後は富士見町で生活した、昭和10年生まれの男です。 現在、群馬県館林市に住んでいます。 近所に春日町にいた、和田力雄さんが住んでおります。 今年(2003年)10月18日に虎ノ門で東京夕張会、11月1日上野精養軒で大夕張会が開催されます。 又… 続きを読む
随想 蛍 |佐々木 先日、私の住んでいる岡崎市(愛知県)の「鳥川」という所に蛍を見に行きました。 今愛知県は梅雨の真っ最中ですが、そんな梅雨の晴れ間を見て、毎年子供を連れて、蛍見物に行きます。 確か、私が5~6歳頃に、当時の明石町で、蛍を見た記憶があります。 私が蛍を見たのは、その時が初めてでして、何かすごく感動した様… 続きを読む
街の行事 今日は楽しいやままつり 昭和43年6月15日。 場所は栄町。 中央に『今日はたのしいやままつり』と書かれた旗をもつキャラクターがいる。 見覚えがあった。 『丸出だめ男』で人気だった漫画家・森田拳次が生み出した、明治生まれのロボット・ロボタンというキャラクター。 当時はテレビや漫画雑誌にも掲載されていたと思う。 … 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前から代々木アパートまで 昭和48年閉山後の写真。 駅前の通りをずっとくだり,春日町へ続く坂の手前、舗装が途切れであたりで振り返るとこんな光景が広がった。 春日町・弥生町・代々木町の分岐点とも言う場所か・・・。 道路をはさんで、左側が弥生町、右側が代々木町。 左にいくと、春日町に降りるもう一つの広い道。 遠くには… 続きを読む
思い出ばなし 『1968年十勝沖地震』の記憶 | ziny 44年前・・・、もうー、そんなにも時はめぐったのかとしみじみと思うのですが・・ 今日、5月16日は、昭和43年(1968)に十勝沖地震が発生した日です。 9時48分だったようです。 この地震は、過去にも、その後も数回発生しているため、発生年を付して区別されており、当時の私達が経験したのはM… 続きを読む
訪問記 鹿島眺望公園 明石町 2022年 5月6日「はじめて」鹿島眺望公園に行った。 心地よい陽射しもと心地よさに2時間もそこにいた。 その2時間の間、感じたことがいくつかあった。 平日にかかわらず、時折クルマやバイクが取りかかり、公園に立ち寄っていく。 若いライダーから、年配の方までいろいろだ。 駐車場近くには、眼前に… 続きを読む
思い出ばなし 鉄橋の上で地震に遭遇 |お父ちゃん 今日、5月16日。 昭和43年(1968年)5月16日、午前9時50分頃。 旭沢橋梁の上で、土砂投棄作業中でした。 遠くに見えていた明石町駅が、突然、左右に大きく揺れました。 一瞬後ろを振り返ると、モーターカーに連結していた台車上の女性の人夫さんたち4~5人が、すさまじい揺れにおののき、しゃ… 続きを読む