思い出の記 初音沢より夕張岳 ~竹の子採りの思い出~ | Kawauchi Masami 私10年前まで大夕張に山菜取りに毎年取りに行きました。 今回、『竹の子 皮剥き器』を紹介します。 私が作ったオリジナルです。 自作の『竹の子皮むき器』 竹の子の皮に線を入れる器具の真ん中に、カッターの刃が付いてます。 この時カッターの刃を短く折って、刃は出過ぎない様… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街 おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。 自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。 商店街の方に行く時には… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島東小学校運動会開会式 昭和35年頃 鹿島東小学校運動会の開会式の様子。 鹿島東小学校閉校記念誌に掲載された写真から。 写真の説明には、次の言葉が添えられている。 整然と並んだ運動会 開会式 たくさんの子どもがいた -昭和35年頃- 「たくさんのこども」・・・ちなみにこの頃は、鹿島東小学校も1200人以上の児童数を抱え… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校の運動会が雨天で中止 | 高橋正朝 #146 鹿島東小学校の運動会の当日、雨になったので延期になったことがあった。 2回あったと思う。 何年生のときだったかまではハッキリ思い出せない。 運動会は、日曜日に開催されていたように思う。 炭鉱で働く人たちは3交代だったから、スケジュールに従って働いていたはずで、日曜日は必ず休日と… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅ホームと改札口跡 旧ホーム跡の方に入ってみた。 それまで毎年のように何度か訪れていたが、さすがに他人の家の裏庭に勝手に入るような気持ちがして、入ったことはなく、できなかった。(実際、診療所の施設の一つとして使用されていた) この時、そうさせたのは、失われるものへと哀惜の情だったのだろう。 長大な石… 続きを読む
思い出の街角 グラウンドから駅舎と夕張岳 1997 鹿島小学校グラウンドからは、大夕張駅のホームと、停車中の石炭列車がよく見えた。 前回、『大夕張駅 大夕張に残った建物 1997』の写真にある駅舎から改札を抜けてホームがあったところ。 完全に建物の『裏』として使われている様子。 廃線から20数年、ホーム跡は縁石に名残をとどめ、この… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年 1997年から始めた『ふるさと大夕張』に、長谷川潤一さんが提供してくれた初期の頃から掲載していた写真の内の一つ。 だから覚えているという人も多いでしょう。 以下の文章も1998年当時のコメントに多少手をいれながら、再度掲載します。 『ふるさと大夕張』を作成していた頃も、なつかし… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅 1997 大夕張に残った建物 旧三菱大夕張鉄道の大夕張駅の駅舎。 1997年当時は、この建物の南側に鹿島生活館(地域のコミュニティセンター的な建物だろう)と、大夕張診療所が一つの建物に入り、駅舎の建物自体は、大夕張調剤薬局として使われていた。 写真では切れてしまっているが、右側の入り口に看板がかかっていたような記憶がある。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その6 1997 以前、『大夕張駅前の移り変わり』と題して投稿した記事で使用した写真の一枚。 そこではモノクロにして使った。 かつての駅前から弥生町・春日町方面にむかう通り。 1997年5月撮影 この視点で撮影したにぎやかな頃の街を写した写真は、数多く残るが、ここではそのうちの一枚、大夕張炭労の解散記念誌… 続きを読む
写真 大夕張のまち その5 中心部 1997 かつての駅前から、バス停から南側。 方角的には『1997.5.10 大夕張のまち その2』の反対側となる。 前回までに掲載した二枚の写真を合成し、パノラマ風にして視野を広げたもの。 ここでは写っていないが、防火水槽の赤い標識の少し奥に消防の櫓と建物がある。 駅前のバス停、信金の建物、歩道… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校の運動会と出店 | 高橋正朝 #145 私の年代では、大夕張での運動会は、5月下旬から6月上旬にかけて実施された。 だから、六十数年前の今ごろは、運動会の練習をよくやっていた。 鹿島小学校、鹿島東小学校、鹿島中学校の運動会は、一応、日程は被らないように調整されていたようだ。 大夕張つれづれ# 16 〘 銀色に… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その4 信金跡 1997 『大夕張』バス停周辺。 夕張信用金庫大夕張支店だった建物。 旧支店だった建物には、『庶路建設』の看板が掲げられ、裏に続く住宅には住民が住んでいた。 1997年5月18日撮影… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その3 1997 旧大夕張駅舎前から南側。 ここに写っていないが右手に大夕張駅の駅舎(当時は大夕張診療所として使用)、そのすぐ南隣のかつて警察分署のあった跡地に建つ鹿島生活館の看板が見える。 人も住宅も少なくなったとはいえ、街の面影は残していた。 1997年5月18日 撮影 北側の商店街の方に… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張でライラックの木を見たか 5月満開のライラック 5月のとある日、気温21℃。 陽気に誘われて外を歩くと、気がつくとライラックが満開になっている。 白や淡いピンク、紫色をした小さな愛らしい花が、房になって花を咲かせ、近所の家の庭先や公園などで目を楽しませてくれる。 ライラックの木の下を通ると甘い花の香りが漂… 続きを読む
陳列棚 鹿島東小学校校章 実物を見た印象では、大きさは校舎に取り付けられていたことを思わせるものだった。 自分は鹿島小に通ったので、鹿島東小の校地に足を踏み入れることはあまりなかったが、写真を見ると校舎表玄関の上に校章が掲げられていた。 その校章のようだ。 平成9年(1997年)の鹿島小学校郷土室の展示より。 … 続きを読む
写真 夜明けの太陽 左手に前岳と夕張岳が見えて、右手はダム方向。 前回、神奈川のKさんの、『夜明けの霧に包まれた夕張岳』から視点を引いて、三弦橋のあった方向まで俯瞰してみた写真が次の一枚。 広がる雪原はダム湖の水面で、その広さは新ダムの巨大さを想起させる。 二枚の写真を一枚にしてある。 昇る朝日の迫力が… 続きを読む
写真 夜明けの霧に包まれた夕張岳 2023年3月8日朝午前6時半の夕張岳。 神奈川のKさんが10年ぶりに故郷を訪れたときに撮影した写真。 朝靄に包まれた幻想的な雰囲気の中に山が浮かぶ。 次は撮影されたKさんのその時の苦労話です。 夜明けを狙って私にとっては10年ぶりに訪れた故郷大夕張で、何とか渾身の夕張岳… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••あやつける | 高橋正朝 #144 〘 かっこうをつける 〙という意味で、〘 あやつける 〙とか〘 あやをつける 〙いう北海道弁があった。 少々蓮葉な印象が生じる言葉である。 女性も使っていたかもしれないが、私は聞いたことはなく、マ、どちらかというと、男性が使っていた言葉だ。 以下は、ネットでチェックした、『 セレ… 続きを読む
思い出の街角 千年町 バス停1997 夕鉄「千歳町」美鉄「千年町」のバス停が立つ。 大夕張-千年町の間には、山内線「岳富町」「宝町」のバス停があった。 夕張、札幌に向かう時、山内線で停車するはずのその二つのバス停に止まらずバスは走った。 都会で走る『特急』『急行』という言葉の意味を、大夕張で学んだ瞬間だった。 1… 続きを読む