大夕張への想い | 目黒則男
2021-07-07
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昨年6月、父の病気のお見舞いのため、静岡から札幌の実家を訪れました。
そのおりに母から、
「鹿島小学校が廃校になるみたいだよ。」
と聞かされた。
続けて、
「大きなダムができて大夕張が沈むみたいだよ。」
の言葉に一瞬なんのことか、すぐには理解できませんでした。
私が18歳の頃、大夕張から札幌へ引っ越したのですが、望郷の念は40歳を過ぎた現在でも少しも
色あせていません。
若い頃は帰省の度に大夕張へ足を向けていました。
明石町駅、
千年町駅、
岳富町商店街の通り、
鹿島小学校、
大夕張駅前、
購買会などが並ぶ商店街、
炭鉱病院、
炭山駅、
の順番でとおり、
メタノール工場を右手にみて、
さらにシュウパロ川?沿いの山道を2キロほど行くと、
生まれ育った初音沢地区に到着というのが、その頃のお決まりのコースでした。
5年ほど前に家族を連れて訪れたのが最後で、その時はメタノール工場より先は通行止めでした。
今度は大夕張全部が通行止めになるんですね。
そんな想いをいだきながら、昨年の8月頃「ダメもと」のつもりで検索ソフトにて『大夕張』を入力してみてホームページが現れた時は、ものすごく感動しました。
父はその後、9月に他界しました。
病院のベッドの上でよく、
「もう一度大夕張をみてみたいなあ。」
と言っていました。
父にとって、大夕張へは25年間行ってないことになるんだなあと、複雑な想いをいだきました。
(1998年2月21日 記)