大夕張鉄道 車内風景

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 車窓には、冬景色。

 この写真を撮影した本間正雄さんからは、昭和62年頃の撮影だと聞いた。

 

 そうだとすると、すでに大夕張炭鉱閉山から14年が経ち、大夕張鉄道も昭和62年7月に、清水沢~南大夕張間7.6Kmが全線廃止になる。

 その直前の冬の頃だろうか。

 

 昭和60年(1985年)に62名もの死者を出す大事故を起こした三菱南大夕張炭礦は、平成2年(1990年)に閉山になる。

 その3年前のころである。

壁に「スハニ6」の記載。夕張市南部大宮町121番地に今も保存車両として残る

 

 

『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』で今から20年前に、この写真に、次のような自分自身の思い出を書いた。

 


 

 なつかしいだるまストーブの車内です。

 私は昭和46年春に中学校卒業と同時に札幌に出てしまいました。

 ですから大夕張鉄道を利用していたのはまだバスが開通していなかった幼少時でした。

 幼かった私の目に焼きついていた車内は,客車の種類で天井のライトのカバーの形状が違っていたこと、出入り口付近の壁にかけられた北海道地図、窓の内側についていた重い窓などです。

 なぜ,ライトのカバーなど印象に残っているかというと大夕張炭山から清水沢までの短い旅行の間に何度もトンネルをくぐり、その度に灯ったオレンジ色のライトを見上げていたのだと思います。

 また、窓が2重窓になっていて、内側に重い窓がついているという印象は、実際には異なり2重窓ではないのだそうです。

 
 人生の分かれ道にあたり、あの時のまま、東高あるいは、夕張市内の高校に進学していたら、と考えるとここに写っている高校生達がなんだか身近に感じてしまいます。

 


 子どもの頃に見たり、感じたものは、その瞬間が一枚の絵のように、頭の中に焼き付けられている。

 ライトの形状、地図・・・ささいなことに思える、そんなことに執着した子どもは、自分だけだろうかと思った。先日知人と話をしたら(大夕張出身者ではない)、その彼も子どもの頃をふり返って同じようだったと言っていた。

  

 旧知の友を得たように、嬉しかった。


スハニ6の走行音を聞くならこちら↓「タンタンタン」と聞こえるあの懐かしい線路をたたく音が「完全版」の3分45秒あたりから入っています。(線路に耳をあててよく聞いていたっけ!)

 

 

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