Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
サイコロキャラメル |高橋正朝 #182 続・大夕張つれづれ

サイコロキャラメル |高橋正朝 #182

     私が鹿島東小学校の生徒だったころ、〘 サイコロキャラメル 〙というものがあった。  昭和23年生まれの私の年代や年配者はご存知のキャラメルである。      鹿島中学校時代にも売られていたろうと思うが、ハッキリした記憶はない。  中学生になってからは、キャラメルを食べなくなってきたせいで、…
昭和43年 鹿島小学校教職員 学び舎の思い出

昭和43年 鹿島小学校教職員

昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員写真。 3月の卒業期、昭和42年度の年度末に撮影された写真だと思われる。   中田隆智(昭和29年12月20日着任~昭和47年8月31日退任)、正木英造(30年4月1日~47年3月31日)、木村統志子(31年1月20日~60年3月31日)、上野真廣(32年3月…
雨鱒の(シューパロ)川|内川准一 随想

雨鱒の(シューパロ)川|内川准一

映画の一場面      映画を見て先ほど戻ってきました。  今日は月曜日なので、ファクトリ-の映画は男性千円とのこと、駐車場は3時間ただ。  で、3年ぶりに映画を見に行ったワケ。  (映画でなく、「シューパロ川」を見に行ったというのが正しい?)   なのに、二百人以上入る映画館には私1人。始まる5分…
正月の楽しみ 新年特大号 |飯田雅人  思い出ばなし

正月の楽しみ 新年特大号 |飯田雅人 

   子供の頃,お年玉の使い道は,まず漫画本でした。   小学生の頃は,漫画雑誌・・『少年』『冒険王』『少年画報』『ぼくら』等といった少年漫画雑誌が出ていて,これらは当時月刊で、しかも毎月買えるほど豊かではなく、読めなかった号の話は友達の家へ行っては、読んでくるというような読み方をしていました。  …
私の行った床屋さん |菅井宏史 思い出ばなし

私の行った床屋さん |菅井宏史

大夕張で私が行っていた床屋さんは二つありました。  確か小学校2、3年の頃までは官行(あの辺がこういう名称であったことは、実はこのHPで始めて知った次第です)にあった床屋さん(名前は覚えておりません)に。 それ以降は春日町にあった横山さんという床屋でした。  その頃官行に親戚がいましたので、たぶんそ…
関西から スキー便り |近藤志津枝 随想

関西から スキー便り |近藤志津枝

   家を6:30に出ます。  大阪から京都 湖西線に乗り、 めざすは琵琶湖バレースキー場。  ゴンドラに乗り 山頂へ。  山は晴れていました。 3年ぶりです。    板を借りて(年々短くなってゆくまがりやすい) 6時間リフト券を買い、 10:00。  さあー すべりはじめー。   7割若い子スノボ…
雪の中の慰霊碑 千年町 訪問記

雪の中の慰霊碑 千年町

  2002年1月。 誰もいなくなったまちに残った大きくて立派な戦没者慰霊碑。   かつての千年町に、山側の寺社街、表通りに面してたっていた。   深い雪が行く手を阻み、慰霊碑に近くづくには、腰の高さまで積った雪をこいでいかなくてはならないだろう。    この時期、誰かが訪れた様子もなく、ひっそりと…
カバヤから郵送されてきた小説〘  黒いチューリップ  〙| 高橋正朝 #181 続・大夕張つれづれ

カバヤから郵送されてきた小説〘  黒いチューリップ  〙| 高橋正朝 #181

   私が鹿島東小学校の生徒だったころ、菓子業界大手の明治キャラメルや森永ミルクキャラメルなどはよく売れていた。  古谷製菓のキャラメルもよく売れていた。  グリコのキャラメルは、オマケ付きキャラメルで子どもたちの興味を引いていた。  私などは、キャラメルそのものより、キャラメルの箱の上部に付属して…
坂道 思い出の街角

坂道

曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。   春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て…
大夕張の素朴な遊び |久々湊真一 思い出ばなし

大夕張の素朴な遊び |久々湊真一

  団塊の世代(私の年齢のもの)は、昭和20年代末に小学生となりました。 戦後の混乱から一息ついた時期ですが、敗戦による貧しさの影がまだ残っていました。   子供達は手近なもので工夫をして、遊びに興じていました。そういう素朴な遊びを思い出して書いてみます。   <けんぱ>  地面に直径30cm位の○…
2020年(令和2年) 住民登録

2020年(令和2年)

  1968年の春まで居住しておりました。 現在、札幌市に住んでいます。 田中豊樹 北海道札幌市大谷地 栄町1の20の12  60歳~69歳 男性 - 2020/08/30 _ 16:56:34 鹿島小学校、5・6年生の時の担任は正木英造先生でした。 小学校の近くにはカトリック教会があり、河村先生、…
雪原の標語塔 訪問記

雪原の標語塔

2002年の冬、宝町。 深い雪に埋れる1月の大夕張。   この時、白い雪を被ったダム工事のための土砂の山が町のあちらこちらにできていた。   その中に、大夕張に残されていた生活の証の一つである標語塔が青い空を背景に屹然と立っていた。     左が岳富町、右に行くと千年町。 道路の岳富町側にやや下った…
春日町跡 2008 写真

春日町跡 2008

正面のシューパロ川対岸に磯次郎の沢。 高台から春日町跡地をみる。 2008年『春日町の跡地』がまだ存在していた頃。       2008年3月10日 長谷川潤一さん撮影        …
山田えいじ〘 ペスよおをふれ 〙| 高橋正朝  #180 続・大夕張つれづれ

山田えいじ〘 ペスよおをふれ 〙| 高橋正朝  #180

講談社の少女マンガ雑誌〘 なかよし 〙に、山田えいじが描いた〘 ペスよおをふれ 〙があった。  スピッツの〘 ペス 〙と少女を絡ませたマンガだった。     ストーリーはまったく覚えていない。     そうは言っても、たった1ヶ所の場面だけは覚えている。  〘 ペス 〙と少女の絡みのマンガだったが、…
冬の裏山 思い出の街角

冬の裏山

  富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。   当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同…
窓から見えたスキー場 | 堀田牛乳長男 思い出ばなし

窓から見えたスキー場 | 堀田牛乳長男

 富士見町のスキー場、4年前に滑りました。(1998年頃)   小学生時代にスキー部で活動していたときは、有志がシーズン前に笹がりをしていたので雪付きが良くて良いゲレンデでしたが、4年前に滑ったときには、笹の上に乗った雪が滑ってしまい、ロープ小屋の上部は地割れのようになっていて結構怖かったですよ。 …
冬のワカサギ釣り| Toshinori 思い出ばなし

冬のワカサギ釣り| Toshinori

     自分は釣りは、やらないのですが、大夕張にダム湖が完成し、シューパロ湖ができた昭和37年頃、ワカサギの稚魚を放流したという。    北海道では冬に行なわれるオホーツク地方の網走湖のワカサギ漁が有名ですが、シューパロ湖では、ダムに氷が張ると氷上に風よけを作り、氷に穴を開けてワカサギを釣る風景が…