鹿島眺望公園にある二つの看板。 『秋枯れの街へ その4』でお話したように、11月21日訪れた時にはすでに冬支度に入っていた。 今後、来年春まで半年近くは冬眠状態、その上、PCではQRコードを読み込むのはなかなか大変なので、現地の看板のQRコードのリンク先の画像をPCからも見ることができるように紹…
旗照夫が出演したこのテレビ番組は、NHK の番組だった思う。 というのは、CM が流された記憶がないからだ。 この番組はナマ放送で、ストーリーはあったのだが、ドタバタした雑音は、まともにテレビ放送に入り込んでいた。 当時の撮影技術ではいたし方ないことではある。 さて…
南部にある三菱大夕張鉄道の保存車両とともに、夕張岳を望む鹿島眺望公園の看板類は、すでに冬囲いがしてあり、雪に備える。 冬期間は閉鎖となり、ここの公園も雪の下となって閉ざされる。 2年前の冬にいった時には、大夕張から南部にかけての湖畔道路に点在する駐車場は冬も確保されていた。ここは駐車場のスペース…
2023年11月21日、秋枯れた大夕張へいこう、と出かけた。 途中遠幌や南部のまちの家の屋根には正午近くだというのに、昨夜の名残の雪だろうか、まだ溶け残っている。 ここ夕張岳を見晴らす眺望公園の地面にも、ところどころに、そんな雪があった。 本格的な冬は近い。 2013年11月21日 …
2023年11月21日、秋枯れた大夕張へいこう、と出かけた。 かつて大夕張へは、本町・鹿ノ谷方面からは清水沢で左へ曲がった。 今は、紅葉山から清水沢で右に、曲がって向かう。 清水沢で曲がってまもなく雪で真っ白の夕張岳が正面に見える。 清水沢発電所の手前。春には満開の桜と残雪の夕張岳が見え…
昨日2023年11月21日、新千歳空港まで出かける用事があった。 空港からは、遠く茶色くなった晩秋の台地の上に真っ白な夕張岳が見えていた。 真っ白な夕張岳の麓の秋枯れた大夕張へいこう。 突然そう思い立ち、今年、11月にして初めのふるさと詣でとなった。 11月も下旬だというのに気温は1…
11月4日(土) 秋晴れの上野公園全国から116名が上野精養軒に集まり、第56回東京大夕張会が開催されました。 今年は閉山50年の節目の年です。 鈴木直道北海道知事からメッセージをいただき、来賓の厚谷司夕張市長の挨拶がありました。 人口は7千人を切り、高齢化率は全国トップとのこと 今時…
明石町駅の横の道を上った高台に夕張東高校は建っていた。 1983年(昭和58年)に閉校となった後、母校跡には記念碑が立っていた。 そしてダム完成後は、鹿島眺望公園として大夕張にあった碑が集められた。 『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)には昭和45年頃の写真としていたが、今見ると、体育館の窓ガラスの様…
ユーチューブに入ってきた映画の項目をチェックしていたら、〘 事件記者 〙があった。 オッ、懐かしいなァと思って開いてみた。 私が、大夕張時代の子どものころ、NHK で放映された。 当時30分間の番組で、ナマ放送だった。 人気があって視聴率も良かったようだが、私にとっては関心があって見たテレビ…
ふるさと大夕張の再始動に際して、もう一度書き込みます。 栄町2丁目14番地の8 栄町ブロックのサイトウです。 とし 北海道, 栄町 60歳~69歳 男性 - 2019/12/22 _ 20:10:56 1998年10月の書き込み当時から21年たちました。 「ふるさと大夕張」の更新の再開を機に、も…
90近くなり大夕張は懐かしいですね。 夕張岳。シュウパロ湖。50年も住んで居ました。 どなたでもいいです。 何かニユウス教えて。 高 <十> 北海道, 栄町 70歳以上 男性 - 2018/11/27 _ 12:13:44 小学校時代の思い出がダムの底に、と思うと寂しいですね。 百武 順…
偶然このサイトにたどり着きました。 17年前からあったんですね、35年生まれ、 鹿島小出身。 中一の秋に東京に引っ越しました。 高橋哲晴 takahashi.sando@gmail.com 埼玉県川越市, 栄町 50歳~59歳 男性 - 2017/12/02 _ 20:44:30 中2の冬休みに転…
『散歩道』内にある昭和43年頃の『千年町鹿島東小学校付近』の住宅地図と、空中写真に各施設の名称を書き込んだ航空写真を並べてみた。 千年町の教員住宅から一時期鹿島小学校に通ったことがあり、個人的には思い出の深い場所でもある。 昭和47年 目印となる建物や施設の名称をいれた空中写真 …
この神輿の先頭を行くのは、『坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿』の写真。 神輿のあとに馬に乗った神主さんのような人物が続く。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』で紹介している写真や動画の中にも、山神祭の行列の中に馬が登場してくるが、そもそも子どもの頃から今までどんな隊列を組んで行列していたかなど…
そのむかし、宝沢は沢を埋め立て暗渠となり、その上に緑町と千年町を結ぶ道路を通した。 昭和7年の秋から翌昭和8年の1月にかけてのことだった。 戦後、そこにできた商店街と、新しく与えられた岳富という町のなまえ。 すでに町はなく、舗装された道路だけが宝沢の窪地に緩やかな弧を描き残っていた。…
〘 ♪ ラッシーラッシー、ラッシーラッシーわんわんわん、ラッシーがわんわん吠えるとき、き〜っと何かが起こります、きょうのお話なんでしょなんでしょ、ラッシーラッシーがんばれラッシー、ミツワミツワミツワのラッシー〜 ♪ 〙 と、テーマソングに、しっかりスポンサーの名前が入っていた。 歌っていたのは…
タイトルにある『真冬の富士山に初登頂した女性』は、中村(旧姓佐藤)テルさんという方。 この方1904年大夕張生まれで、娘時代は鉱山業の父と一緒に山を歩き、昭和2年正月に藁沓で富士山初登山。 と、秀岳荘「北の仲間と五十年」(記念誌:無料配布)に載っていた。 履歴を知ってもっとびっくり。…
大夕張のスキー場の思い出と言えば、なんと言っても夜間スキーでした。 水銀灯の明かりの下で滑りましたねー。 上手くもないのに・・・?? でも、夜 水銀灯の下で滑ると、上手く見えるから不思議だよな。 滑ってる人は見えないけど、きれいな弧をえがくシュプールだけが見えるんだよな。 …
久しぶりに、夢中になって本を読んだ。 カシオペアの丘で(上、下)重松清 著作、講談社 読んだ動機は、この本の舞台が「私が生まれ育った場所「大夕張」に非常に似ている」ことによる。 たとえば、上巻の最初のページを抜書きしてみよう。 「かつて、そこは炭鉱だった。何年か先には、ダム湖になる。北海道…
あの場所 あの18年間 自分らしさ 充実感 夢の中の事だったのかなぁ…? (2008年6月27日 記)…