Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
鹿島労働会館 思い出の街角

鹿島労働会館

昭和47年頃 千年町 千年町にあった鹿島労働会館。戦後、結婚式や宴会、様々なイベントで活用されていた。   白黒写真に着色した画像   母が労働会館に勤務  【阿部照子(旧姓白岩)】  開館時に、母が管理人及び調理師として住み、身体を壊すまで住んで居ました。  父は役所でしたので小学生の私は両方を、…
オリンピックの記憶|ziny 思い出ばなし

オリンピックの記憶|ziny

  アテネオリンピックが始まりました。   準備の遅れが予想されてましたが、開会式はなかなか素敵でした。   芸術点は高かったですね。参加選手も感動・・といってましたが。    時は昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開会式。   あの日10月10日は抜けるような青空でした。   聖火の最終…
夕張市役所鹿島支所と鹿島労働会館 思い出の街角

夕張市役所鹿島支所と鹿島労働会館

 昭和45年頃 手前(明石町側)が鹿島労働会館 向こう側が夕張市役所鹿島支所。  千年町にあったこの2つの建物は,沢で隔てられた明石町は別として、子どもの頃の感覚としては、ちょうど市街地の外れにあるようにたっていました。    昭和30年代、大夕張駅前と千年町を結ぶ本通りが、舗装されてきていた時も、…
夕張市役所鹿島支所 思い出の街角

夕張市役所鹿島支所

 昭和47年頃 千年町に鹿島労働会館の建物の横にあった。  市役所鹿島支所の建物の壁に掲げられた垂れ幕には、写真を拡大してみると、『 「石炭産業の長期安定と 産炭地防衛を市民総意で推進します」~~~推進本部 』と読むことができる。  石炭産業の衰退がいわれ、閉山の話も聞こえてきたころ。    鹿島支…
商店の思い出(喫茶『純』)|Masami Kawauchi 思い出の記

商店の思い出(喫茶『純』)|Masami Kawauchi

 大夕張駅前の、喫茶『純』  大夕張駅前の『十八番食堂』の建物下のクリーニング屋があって、その隣に石田時計店、喫茶『純』の建物があります。  建物は 『サトミ家具』と『純』が、1つの建物で、そこの2階でした。   当時は、都会の雰囲気があり、私、友達と中学3年生の時、好奇心いっぱいで行きました。  …
鹿島気象観測所 思い出の街角

鹿島気象観測所

昭和40年頃、千年町、鹿島支所裏手にあった、気象観測装置。 ちょうど崖の縁にあり、木立の間から常盤町の鹿島中学校のグラウンドと校舎が見えている。   気象観測の機器についてよくわからないが、   気温と湿度を測定する百葉箱 雨量計の枡 積雪量を量るものさし 風向計   などが設置されていたようだ。 …
商店の思い出(松本菓子店・藤木精米店)|Masami Kawauchi 思い出の記

商店の思い出(松本菓子店・藤木精米店)|Masami Kawauchi

松本菓子店、よ〜く 覚えています。 小学校の遠足の時、お小遣いの100円を持ってよく買いに行きました。 当時昭和40年頃、まだ閉山前で生徒が沢山いました。 松本菓子店の前も生徒だらけで、お菓子を買うのに順番待ちでしたね。 体格のいいおばさんが、いつも折りたたみ式の椅子に座っていました。     藤木…
三菱大夕張礦業所 山神社/シウーパロ川の清流 絵葉書

三菱大夕張礦業所 山神社/シウーパロ川の清流

昭和15年(1940年)頃、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書に、着色してカラー化した。   【山神社】  神社の拝殿中央に賽銭箱が設けられ、参拝用のロープ(鈴の緒「すずのお」というのだそう)の先に、大きな鈴が取り付けられている。  このころはどうかわからないが、昭和40年代たぶん一年を通してついていたよ…
大夕張劇場の映画ポスター〘 スーパージャイアンツ 〙|高橋正朝 #92 続・大夕張つれづれ

大夕張劇場の映画ポスター〘 スーパージャイアンツ 〙|高橋正朝 #92

 これも、映画そのものはみていない。  宇津井健がスーパージャイアンツに扮している。     映画会社はどこであったか知らなかったので、ネットでみたら、新東宝となっていた。       最初の作品は、1957年7月30日に大都市で封切りされたようで、大夕張劇場で上映されたとしたら、その年の秋口だった…
昭和31年 鹿島小学校6年修学旅行 楽しかった日々

昭和31年 鹿島小学校6年修学旅行

昭和31年9月13日の記載がある。 修学旅行に祖父が教頭として同行したときのもの。   大夕張では、この3日後、9月16日に山内線の開通式を迎え、街の中を三菱バスが走りだす。   『バス』という乗り物。それまでは、めったに乗ることはもちろん、目にすることもなかった。 まして『陸の孤島』下の大夕張。 …
大井組と大井質店 思い出の街角

大井組と大井質店

 大井組は、大正年間に現在の南部にあった大夕張炭鉱株式会社に大井鉄平氏が、請負業として入った。飯場をかかえ、坑内の仕事も請け負っていたらしい。  大正10年7月25日新錦坑でガス爆発があった。  死亡者は、大井組飯場所属の組夫千葉某以下5人であった。そのショックから大井組は、坑内の仕事から手を引いた…
三菱大夕張礦業所 会社指定理髪部/大運動会 絵葉書

三菱大夕張礦業所 会社指定理髪部/大運動会

昭和15年(1940年)頃、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書に、着色してカラー化。   『大運動会』  礦業所主催の運動会。富士見ヶ丘グラウンドにて、リレーの競技中の写真。  小学校校舎の2階のあたりから撮影したのだろう。グラウンドの線路側にはテントが建ち並ぶ。  それにしても周囲の応援する人達の数がも…
映画館(協和会館)| 野崎昭雄   思い出ばなし

映画館(協和会館)| 野崎昭雄  

大夕張の映画館、1軒だけは、記憶しております。  駅前から春日町へ向かって行った左側にあったと思います。 鹿島小学校の学芸会で、この映画館の舞台を利用したはずです。 ここで見た最初の洋画は、ゲリー・クーパー主演の「遠い太鼓」でした。 たしか、炭坑に勤務している家族と、それ以外の者では入館料が違ってい…
明石橋と旭沢橋梁 思い出の街角

明石橋と旭沢橋梁

昭和45年頃  旭沢橋梁に並んで、昭和27年に竣工した千年町と明石町を結ぶ明石橋。    遠くには、常盤町の街が、山の斜面に見える。   白黒写真に着色した画像 旭沢鉄橋  【山下貢】( 2006/10/21(Sat) 12:55)   この鉄橋の名前を初めて知りました。  確か、幼稚園児(S28年…
すずらん灯 2丁目3番地

すずらん灯

 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。  球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。  同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。    対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状…
遠足 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

遠足 ~祖父のスケッチ帖から~

  昭和21年10月22日遠足と祖父の字で記入がある。 調べるとこの日は、火曜日。 子どもにとって遠足は、前日の夜はリュクサックに詰めた荷物を枕元に置いて、次の日が待ち遠しくて眠られなかったものである。 そして、遠足といえば、天気が気になる。   気象庁のサイトで、地域から年月を遡って過去の天気を調…
昭和25年 鹿島中学校校舎 学び舎の思い出

昭和25年 鹿島中学校校舎

   見るからに新しい出来たばかりの鹿島中学校の校舎。  職員とともに、鹿島小学校の校長・教頭、鹿島中学校内山清治初代校長の顔が一緒に写っている。    昭和22年(1947年)に鹿島小学校に併置された中学校の校舎が、常盤町にできて生徒達が移動してきたのは、昭和24年のこと。    一方、昭和23年…