大夕張駅方面から明石町に向かうと、明石橋手前の左に自動車工場の建物、自動車教習所のコースへ降りる道路の入り口のようなものが見えていた。 かつて、大夕張に帰るときには、明石町を過ぎ自動車工場の看板が見えると、長い旅の終わりに「街に返ってきた」という気持ちが湧いたものだった。 昭和61…
昭和43年6月15日 の山神祭。 栄町町内会の子どもたち。 団扇をもったお祭りの子どもとその後ろには子ども御輿(担ぎあげる棒と花紙で飾られた御神体が見えている)。 後方には炭砿病院方面の建物の一部が写る。 自分と同時代、同年代の子どもたち。 どの顔も見知っている顔に思えてくる。 白黒写真に着…
昭和40年代 栄町の通りを行く山車。この頃6月に行われていたお祭り、この日は、小雨模様だったのでしょうか、ところどころに、傘の花が開いています。 場所は、2丁目と3丁目の間か。 白黒写真に着色した画像 冬の栄町2丁目と3丁目の間の通り↓ https://ooyubari.com/2022…
この映画も、実際には観ていない。 しかし、例によって、映画のポスターを、大夕張劇場のガラス戸ごしに眺めている。 1957年8月25日に主要都市で封切りされたようであるから、大夕張劇場で上映されたのは、その年の秋だったろうか ••••••。 この映画も観たかったが、もし、観た…
栄町3丁目、4丁目。中央浴場と、リハツパーマの看板の理容院(菊田理容院→菊地理容院の誤り)そばの旧浴場あとの空き地が目につく。 昭和8年に病院横にできた大夕張幼稚園が、「昭和21年栄町3丁目18番地」に移転し、その後、健保会館横に写ったと資料にはある。 住宅地図ではけっこう空き地があるように見え…
栄町3丁目と4丁目の1番地~11番地を切り取った地図。 駅前通りから数えて1番地、排水溝を流れる沢水が通るところまでが11番地。 2丁目と3丁目の間の通りは、代々木町との境のバスが通った通りと同じような広さがあり、この地図で見るよりもっと広かった印象。 お祭りの子ども神輿の行列もこの2丁…
先日、2022年5月6日の大夕張行。 大夕張に向かう夕張市内は桜が満開だった。 ここからは夕張岳本体が一番よく見える。 場所は、清水沢から大夕張方面に入って直ぐ旧北炭清水沢発電所の手前あたり。 住んでいた頃ここから見える夕張岳の姿は見たことはほとんどなかった。 この姿は、大夕張に「もどる」記…
大夕張で、一番人が住んでいた栄町。昔、木造の炭鉱住宅が建ち並び、昭和32年頃からは栄町アパートができて、昭和43年の住宅地図にもびっしり世帯の名前が書き込まれている。 たぶん印刷してこの地図を見てくれる方もいると思うが、字が詰まっていて見にくかったので、栄町アパート分を切り分けた。 前回「栄町…
栄町は大夕張で一番人口が多かった地域。 栄町の住宅地図を見ると、栄町アパートは、12番地から始まる。 大夕張の住所を詳しく知っているわけではないが、駅前通りの反対側は緑町だ。 なので、駅前通りを基点に栄町の1番地が始まり、富士見町から理容フレンド、栄町浴場詰所の横を流れる排水というか、沢水ラインまで…
大夕張の人口が南部地区と合わせて23751人という記録が残っているのが、昭和35年のこと。 その時が大夕張の人口のピーク。 南部地区をのぞいても、18659人だった。 もっとも鹿島地区だけでみると、昭和30年の18778人という数字もある。 国勢調査のデータやら、住民基本台帳の数字やらで、…
昭和12年(1937年)頃の大夕張炭山。 大夕張礦業所全景をとった同じ場所からとった写真は、昭和初年から閉山まで『ふるさと大夕張2丁目3番地』に掲載しているが、定点観測しているように発展のあとがうかがえて面白い。 昭和12年度版 『三菱の北海道炭』(三菱礦業株式会社発行)から …
先日、2022年5月6日に大夕張に行った際、札幌では散り始めている桜が、夕張市内は満開だった。 白い辛夷の花もあちらこちらに見られた。 ふきのとうの草地は、蕗が葉を広げ、イタドリが勢いを増してきている我が家の近所。 「春を見つけてきました」ということで、植物と夕張岳が一緒に写るところを…
2022年5月6日に大夕張に行った時、暖かな春の中で鹿島眺望公園に2時間ほど過ごした。 その間、ひっきりなしに通るバイクや自動車があり、公園となっているこの場所に寄る人もけっこう多かった。 正午から2時くらいまで2時間いたこの日、一人きりになったのは、到着してからの10分くらいだけだった。 その後、…
仮装行列というと鹿島中学校の仮装行列しか記憶になくて、東高のは知りませんでした。 私が、小学生のとき鹿島中学校の仮装行列を見て、早く中学校に入って仮装行列をやってみたいと思ったものです。 昭和45年、念願かなって中学1年生になり、仮装行列の準備を何日も前から行い、ようやく当日がきてみれば、…
このケースに収められた8枚組の絵葉書は、函館中央図書館のデジタル資料でもみることができる。 申請書を送ると、データを送ってもらうこともできる。 このような公開のかたちはとてもありがたい。 順次、着色しながら掲載して行こうと思う。 絵葉書では、昭和15年頃の貴重な大夕張の姿をみることができる。…
小学6年の修学旅行のことです。 昭和36年の修学旅行は、汽車で清水沢駅前に集合。 集まった生徒約400人は、ここでバスに乗り換えて支笏湖経由で苫小牧に向かったのです。 苫小牧では元町か糸井のあたりでバスを降りました。 山猿のわれわれは、ここで、生まれて初めて(?)海辺の砂遊びを楽しみました…
崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。 夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。 白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー…
先週、我々の子ども時代の、映画の予告編をユーチューブで見ていたら、思いがけず、クレージーキャッツが出演した映画を2本見ることができた。 1本は、東宝、〘 日本一の裏切り男 〙。 もう1本は、大映、〘 サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ 〙…
当時の夕張を紹介した、大正7年(1918年)発行の『夕張』(小林近江堂発行)という書籍から。 場所は、現在の『三菱大夕張鉄道保存車両』付近。 大夕張炭礦は、三菱礦山合資会社の経営に係り、現在700の鉱夫を使用して年10余万トンの石炭を出す。 炭質すこぶる良好にして瓦斯、骸炭(コークス)等…
確か鹿島小学校5年生の時に、泉町を流れる小川(七号沢/宝の沢)の源を探検しようと思いたち、町内の遊び仲間と沢を上ったことがあった。 かなり奥行きが深くて、相当長時間登り、とうとう源泉らしきところに行きついた。 意気揚揚と、同じ所を下りって数分後、登ってきた時には無かった足跡が点々とあるのです。…