2024年4月24日。札幌で桜が満開になったと発表された。 平年より12日はやく、統計開始以来2番目に早い満開だという。 体感的にもずいぶん早いと感じる。 2020年のゴールデンウィーク最中の5月6日。 夕張市内を車で走ると桜が満開だった。 かつての鹿島小学校前玄関のあたり。 こ…
1月 鹿島労働会館解体。 3月 三菱南大夕張炭礦閉山。鹿島図書館解体。 6月 30日,夕張千年郵便局,利用者減少により廃止(事務引継:大夕張)。 7月 鹿島消防団長野田眞退任。 11月 鹿島消防団が夕張消防団に統合。 夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール優秀賞(千年町町内会) 白金地区ごみ収…
ダムに沈むと聞いて、大勢の人たちが大夕張を訪れていた平成の頃、そんな時期にとられた一枚。 この写真をとったカメラが好きな昭和17年生まれの叔父もそんな人々の一人だ。 夜の闇が開けようとしているのか、これから漆黒の闇が訪れようとしているのか、その間の世界で、三弦橋が周囲の風景に文字…
1990年代、夏。 すでに炭鉱はなく、立ち退き間近な平成の頃。 宝町から岳富町へ続く緩やかな坂道の入り口ともいえるこの場所。 昭和43年の住宅地図や航空写真によれば、ここは宝町一丁目。炭鉱住宅が6棟建っていた。 かつて、ここの狭い空き地で三角ベースの野球を毎日のようにやっていた子ども…
昭和47年頃錦町 2丁目と3丁目の間の坂道 飯田さんがキャッチボールした坂道は、まさしく思い出帖の錦町写真の中の錦町に出ている2丁目と3丁目の間の坂道です! 時期が若干違えど飯田さんもそこにいらっしゃったんですね。 その坂は突き当りが線路で、その手前に錦町購買会がありま…
前回の、続・大夕張つれづれ # 192〘 高垣眸 〙と〘 高垣葵 〙の投稿に対し、飯田さんのコメントがありました。 そのなかに、テレビドラマの〘 恐怖のミイラ 〙 のオープニングのビデオが添付されていました。 それは、まさしく、私が観た番組のオープニングでした。 そのオ…
友人の希望で30日の土曜日、夕張岳に登ってきました。 曇りの予定が、昼前からぐんぐん晴れて思いもかけない絶好の日和。 気持ちよく高度を稼いで、望岳台に着いて、休みながら大夕張を探しました。 悲しかったですね。 なかったのです。「大夕張が無い」のでした。 緑一色の中のわずかの変化を辿って目を…
鹿島小学校郷土資料室の昭和43年頃の町を地図で表した『鹿島の地図』。 それと対照的に昭和50年の頃の『閉山後の鹿島』の地図。 そこに、大夕張の街の場所にナンバーが打たれていて、当時の施設名その横に掲示されていたのだった。 二枚の地図の時間差は、10年にも満たない。 …
1997年に撮影した鹿島小学校郷土学習資料室の展示資料から。 地図は、鹿島小学校以北、官行と呼ばれた北栄町のあたり。 礦業所の事務所、進発所跡には、昭和49年、閉山後設立された大夕張ユニオン、イサオ製作所の位置が示される。 …
1997年に撮影した鹿島小学校郷土学習資料室の展示資料から。 地図には千年町以北、緑・弥生・春日・代々木・栄の各町、昭和50年頃の残っていた建物施設が表記される。 弥生町、町域の住宅表記は、上から紙のようなもので修正され、消えた。 閉山後すぐに住宅が取り壊された春日町はそもそも住宅地の痕跡…
1997年に撮影した鹿島小学校郷土学習資料室の展示資料から。 高校、旭沢を挟んで、鹿島自動車学校のあたりから常盤町・千年町の部分。 常盤町には、鹿島中学校校舎が描かれ、住宅地のあとが青の斜線で示される。 そして、住宅地の跡地の29とうたれた建物には、範例には『大夕張パイオニア』と書かれている。大夕張…
1997年に撮影した鹿島小学校郷土学習資料室の展示資料から。 以前、「『大夕張全景地図』の中の施設名」(現在このページは削除)で、これまで紹介してきた昭和43年の「鹿島の地図」上に閉山後の施設もが書いてあったように書いたが、それは記憶違いだった。 昭和43年の『鹿島の地図』の隣、対照的に『閉山…
続・大夕張つれづれ # 189〘 松島トモ子が出演した映画の、嵐寛寿郎と大友柳太朗 〙で、〘 怪傑黒頭巾 〙のことに触れたので、チョッピリその続き ••••••。 標題のこの2人の親子については、続・大夕張つれづれ # 15『 一丁目一番地 』と『 ホームラン教室 』で言及したので…
鹿島小学校郷土学習資料室掲示の、昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員による製作の『鹿島の地図』を左の端から順に紹介してきた写真も、右端の部分で最終回。 『町のたんじょう』として、左端の部分『昭和43年全景地図の中の主なたてもの』に続いて、45番からの番号がうたれ、町ができた年が記載され…
鹿島小学校郷土学習資料室、昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員による製作の『鹿島の地図』から。 礦業所を中心とした工場地帯から、営林署の貯木場、メタノール工場などの事業地、いわゆる「官行」と呼んでいた地域。 炭山駅構内の線路をはじめ、初音沢の木材工場のあたりまでが描かれる。 …
鹿島小学校の郷土学習室、昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員による製作の『鹿島の地図』から、 大夕張駅を中心に、富士見町、緑町、弥生町、栄町、代々木町、春日町といった、宝沢から礦業所前の沢(名前はわからない)に至る部分。 建物が、色別に種分けされている。茶色い色の鹿島小学校は言わずもがなだが…
鹿島小学校、郷土学習室の大きな掲示物の一つに、昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員による製作の『鹿島の地図』が掲示されていた。 『鹿島の地図』と題された掲示物の部分、2回目はは、常盤町と千年町を中心とした部分。 昨日の明石町に続く、常盤町と千年町から、北に向かって錦町、宝町・岳富町のあたりも…
鹿島小学校、郷土学習室の大きな掲示物の一つに、昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員による製作の『鹿島の地図』が掲示されていた。 写真の左につづく部分は、以前『昭和43年全景地図の中の主な建物』で紹介した部分(施設名や建物と地図上の番号が対照されているところ)であり、そこに繋がっている。 …
1997年閉校式が行なわれた鹿島小学校を再訪した。 当時の鹿島小学校郷土学習室の展示資料の中のひとつに各新聞社の閉校式を伝える記事があった。 前回の読売新聞、そして今回は、朝日新聞の記事。 朝日新聞北海道支社版 1997年(平成9年)6月23日 …
今回の投稿は、大夕張とは、まったく関係ありません。 しかし、掲載してくれるかどうか不明なものの、投稿してみようかという気になったのは、先月、3月16日に、実に、23年ぶりになる、関西在住の日本人家族からメールが入りました。 23年前の当時、私はそれまで貯めたお金でもって、まる3年間旅行して…