2丁目3番地

令和2年2月1日にスタートした「ふるさと大夕張2丁目3番地」に関連した情報を気ままにつぶやくブログです。

猫と犬のなまえ 2丁目3番地

猫と犬のなまえ

   以前、『猫とブルドック』で林さんが、「岳富町の時計屋さんのショーウィンド」にいた真っ白い猫のことを書いた。  この真っ白い猫は、左右の目の色が違う猫だった。時計店の名前は書かれていなかった。    この時計屋さんは、「散歩道」の岳富町の住宅地図を見ると、昭和43年当時、安田靴店と木村呉服店の間…
フランスギクと花占い(大夕張の花) 2丁目3番地

フランスギクと花占い(大夕張の花)

道端のフランスギク   草丈20cmから1mくらいで、道端でよく見る可憐な白い花。 寒い冬の北海道でも越冬し、野生化し繁殖力のある外来種。   いまでは、他地域から導入された種が在来種に大きな脅威を及ぼしている植物として、北海道ブルーリストにものってしまった。   子どもの頃は、たしかマーガレットと…
すずらん灯 2丁目3番地

すずらん灯

 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。  球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。  同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。    対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状…
春は線路からやってくる 2丁目3番地

春は線路からやってくる

私の住む札幌もようやく雪がとけ、春の訪れを感じさせます。 そんな時期になると、いつも思い出す、忘れることのできない詩があります。   大夕張を出てから出会った、言葉に初めて故郷を感じた、詩でもありました。 小学校の国語の教科書にのっていた詩です。   「春」  杉みきこ (加代の四季より)  春は、…
別世界 2丁目3番地

別世界

 昨年、父の50回忌と母の3回忌の法要をすませた。そして今年、自分が大夕張を出て50年。    「区切りの年として、大夕張に行こう」と思ったものの生来の不精者故、のびのびになっていた。     今年になって3月9日10日、天気予報は、気温が上がり好天が続くと聞き、「父と母を連れて大夕張に行ってこよう…
三菱・夕鉄 バス停留所 2丁目3番地

三菱・夕鉄 バス停留所

昭和の大夕張、バス停留所を作って(描いて)みた・・・。 地図のネタになるか、空想の街のジオラマを彩る一素材になるのか。 用途は定かではない笑。   それはともかく実際の写真やビデオに写りこんでいるものを参考にした。 昭和30年代から昭和40年頃の自分がいた街がベースになる。 当時の三菱バス停の標識は…
シューパロ湖畔の若者たち カラー版 2丁目3番地

シューパロ湖畔の若者たち カラー版

「ふるさと大夕張2丁目3番地」で、初めて写真のカラー化に取り組んだ。 初めは、2020年2月、ここ「2丁目3番地」を開設した時に「カラーにするとなんだか雰囲気がちょっと違う」みたいなノリで、AIで写真を自動着色してくれるサイトを見つけ、そこでどんどん変換していった。違いがおもしろくて元の白黒写真と着…
若者たち  2丁目3番地

若者たち 

つぎは、2003年に書いた投稿から、書き出した文章です。 これまでもHP中の思い出に投稿されている小林俊治さんから 『昭和41~42年のテレビ番組』 と題して次のようなメールをいただきました。   『このころ、北海道の各炭鉱の事故をニュースで聞くたびに悪い情勢へ・・・・・高度経済成長の時代で、ふっと…
2022年2月16日でのアクセス数 2丁目3番地

2022年2月16日でのアクセス数

 どうでもいいという話といえば、これはどうでもいい話なのですが、サイトを運営する者としての自分の記憶と記録のために書き留めておきたいと思います。    『ふるさと大夕張2丁目3番地』のアクセス数が、昨日の昼頃『1.311.036』となりました。     『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』のカウンター…
父とカメラ 2丁目3番地

父とカメラ

白黒写真に着色した画像   高い雪壁の前でファインダーをのぞく父  昭和30年頃      父は、当時カメラに凝っていたという。  自分は、当時のそんな姿は見ていないが、たしかにアルバムには、家族や同僚を対象にした写真が多く残っている。    昭和20年代、あまりカメラを持っている人も少なかったと、…
札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き 2丁目3番地

札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き

 実は、『札幌にあった三菱の宿泊施設』は前回の『その3』で終了の予定だった。 記憶の中にあった、自分が泊まった北1西8の寮と、スキー部が泊まっていた南3西23あたりにあった寮。  この2つは記憶に確かにある。そして、北2東6の三菱鉱業寮にも泊まった人がいる可能性もないわけではないということだった。 …
札幌にあった三菱の宿泊施設 その3 2丁目3番地

札幌にあった三菱の宿泊施設 その3

旧永山邸の門柱と旧三菱鉱業寮の建物    札幌市中央区北2条東6丁目、大型商業施設の隣りに三菱鉱業が所有していた、旧永山邸がある。  永山邸は、明治10年代に建築された永山武四郎の私邸。  1911年(明治44年)に三菱が買収し、事務所として使用、1937年(昭和12年)に北1条通りに面した北側部分…
札幌にあった三菱の宿泊施設 その2 2丁目3番地

札幌にあった三菱の宿泊施設 その2

 (前回のつづき)  前回、 Masaaki Saito さんの南3西23あたりにあった宿泊施設と、自分の北1西8にあった宿泊施設の思い出について掲載したが、同じような思い出をもち、何か覚えている方がいるのではないだろうか?と思い、何人かの方に聞いてみた。  その記憶を以下に紹介する。  (Kawa…
札幌にあった三菱の宿泊施設のはなし その1 2丁目3番地

札幌にあった三菱の宿泊施設のはなし その1

 先日、鹿島中学校の同級生のMasaaki Saitoさんから、メールがあった。  札幌にあった三菱の宿泊施設についてだった。  Masaaki Saitoさんのメールによると、その宿泊施設は、南3条付近で、西は23丁目前後だったという。  そこに宿泊した時の思い出を次の様に書いてくれていた。  お…
3年目の独り言 2丁目3番地

3年目の独り言

 昨日12月8日で、『ふるさと大夕張』の更新を再開してからちょうど2年たちました。今日から3年目。    備忘録ということで、例によって自分のために節目の記録として残していきたい。  昨年1年経ったときには、次の様に書いていた。  『今後も、旧『大夕張掲示板』や、旧『住民登録』の投稿を、現在の『夢の…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4

 当日を迎える迄に、何回か、番組製作会社の方と連絡、打ち合わせをした。  自分の役割はたぶん当時のネットでつながっていた仲間の人たちに、人を大夕張に集まるお願いをしたというところだろうか。  先にも書いたが、どんなことを打ち合わせて、自分が何をしたのかはすっかり忘れてしまった。  それでも、自分も含…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3

 この大夕張のロケの発端や、自分の詳しいかかわりなどは、20年前のこととて、すっかり忘れてしまった。    ただ大夕張がダムに沈むということで、当時は『消える大夕張への思い』が、各種メディアで盛んに取り上げられ報じられてていた。      下の新聞記事は、故郷への思いをテーマに、自分も取り上げられた…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2

午後11時頃、最初に、鹿島小学校校歌の歌唱シーンの収録から始まりました。 鹿島小学校鼓笛隊生みの親、田中豊一先生(田中先生は2010年にお亡くなりになりました)のピアノ伴奏に合わせて、「ああ、大夕張」の合唱がグラウンドに響きます。 イリュージョン。かつての大夕張駅前通り。元住民達が懐かしそうに笑顔で…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1

 平成13年(2001年)10月28日、住民が立ち退き人のいなくなった無人の大夕張に、多くの人が集まった。その時のことを当時参加した斎藤敏幸さんが、後日、次のように書いている。    10月28日、大夕張に一つの奇跡が起こりました。  その日、鹿島小学校校庭に、50人以上のかつての子どもたちが集まり…