楽しかった日々 宝町のクリスマス 昭和25年(1950年)12月25日。 宝町でクリスマスの日に子どもたちが集まった会が開かれた。 集まった子どもたちは宝町に住んでいた子どもたち。 場所はおそらく宝町の集会所だっただろう。 この日は子どもたちを集めて、今でいう『クリスマス会』のようなものが行なわれたのだろう。 敷かれたゴ… 続きを読む
楽しかった日々 昭和30年代 購買会前の行き交い 前回、『昭和30年代 購買会』の写真の一部を拡大した部分写真。 建物の姿とともに、行き交う人々の姿に当時の生活が蘇る。 季節はいつ頃だろうか。 浴衣を着た子どもの姿。 父親に手を引かれた幼い子ら。 赤ちゃんを背負った若い母親と立ち話に興じる和服姿の女性と背広を着た男性。 穏やかな人… 続きを読む
楽しかった日々 山スキー 栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。 そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの… 続きを読む
楽しかった日々 昭和30年頃 川遊び 昭和30年頃(1955年)のシューパロ川での川遊び。 丸刈り頭の男の子が元気に走る。 川で遊ぶときは、素っ裸、あるいは褌というの姿は、ふつうに見ることができただろう。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 常盤町を背に|遠藤義博 私は昭和27年(1952年)産まれです。 子供の頃、常盤町に住んでました。 昭和55年に千歳市に住んでいて、鹿島中学校まで家族でドライブに。校舎も取り壊されグラウンドで、フキ採りをしたのが大夕張の最後の思い出です。その時は、大夕張が水没するとは思っていなくて、今考えると残念です。 今… 続きを読む
楽しかった日々 常盤橋と野球帽と 沢をまたぐ道路ができるまで、千年町と明石町方面結んだ常盤橋。 昭和47年常盤町の街並みを背にカメラに向かって何か話しているようなのは、菅原少年。吊橋の欄干に電飾がともる。お祭り、お盆の日だろうか。 常盤橋の電飾ですが、多分手掛けていたのはうちの父です。 炭鉱で電工場、いわゆる変電所ですか… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町詰所の池? この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。 これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。 弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。 昭和45年か46年頃 この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。 も… 続きを読む
楽しかった日々 運動会の日|菅原正広 家族やご近所さん達と鹿島橋を渡っています。 バスケットやお重を提げているので、多分運動会に向かうところでしょうね。 皆笑顔であるところがミソですね。 大夕張の住民にとって運動会って一大イベントだったのがよく分かりますね。 昭和43年(1968年)頃… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町 鯉のぼり|菅原正広 常盤町の家の前です。 鯉のぼりを見上げるわけでもなく、兄弟揃って視線は何処に? 昭和42,3年だと思います。 鯉のぼりでなく黄色いハンカチだったら、健さんでも出てきそうです。 … 続きを読む
楽しかった日々 常盤町8丁目8番地 常盤町の暁橋のところから、常盤町を横断する形で、詰所集会所に向かって傾斜のある道を行くのが、鹿島中学校に向かう通学路だった。 常盤町8丁目8番地は、暁橋と詰所の中間あたり、ちょうど、シューパロ川に向かって傾斜していく崖の端にあったといえるだろうか。 男の子の後ろに、おそらくその通学路… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川の石採り 昭和43年(1968年)鹿島中学校一年に入学した。 その年の夏のこと、父親に連れられて近所のトシボーと、弟と4人で大夕張炭山駅から奥の『官行』に向かい、シューパロ川の上流に行った。 その経路は、平成10年発電所からポンプ場への中で使った私の手元にあった二枚の写真と、弟が持っていたこ… 続きを読む
楽しかった日々 山神祭 富士見町3丁目33番地 富士見町3丁目33番地、家の前から父が撮影した写真。 列の先頭にその頃よく遊んでいた近所の『トシ坊』が立っている。自分はこの行列の中にいたのだろうか、さっぱり記憶はない。 かつてこの写真を見た時には、行事そのものよりも、写真にうつるこの道路を境に、左手の啓心寮隣の土手下の空き… 続きを読む
楽しかった日々 昭和26年 NHKのど自慢 協和会館でのNHK全国のど自慢コンクールの一こま。 バック幕に貼られた文字によると、『南空知予(選)』と読める。 違う場面ではあるが、同じ日の一コマが大夕張炭労の解散誌にも載っている。 解散誌に掲載の写真は歌唱シーンである。 そして、そこに「昭和26年1月18日 成人祭記念」とのキャプション… 続きを読む
楽しかった日々 ゲートボール 「まゅゅ」さんの投稿写真。 今は亡きお祖母様がゲートボールをしていた頃の写真。 大会で3位に入賞したときの記念写真。 鹿島小学校のそば、土手の上にあった元テニスコート、昭和45年頃、自分が中学生だった頃、中体連の会場になっていたこともあった。 この写真は、1990年前後。 故郷の… 続きを読む
楽しかった日々 明石町14丁目 昭和45年頃。 明石町は、シューパロ川に近い1丁目から順番に、明石町駅近くの15丁目まで炭鉱住宅がきれいに建ち並んでいた。 ここは、14丁目の住宅そば。明石町駅に近い住宅の一角。右手後ろに共同水道の小屋。 休日なのだろう、屋根には日の丸が掲げられている。何を食べているのだろうか、袋入りのアイ… 続きを読む
楽しかった日々 だっこちゃん 昭和36頃、全国的にだっこちゃん(ダッコちゃん)ブームがあった。 『だっこちゃん』は、1960年(昭和35年)に発売された、空気で膨らませるビニール製の人形だった。 色は黒く、身体を傾けると片目でウィンクをする20cmくらいのかわいらしい人形だった。 協和会館での映画上映前の映画ニュー… 続きを読む
楽しかった日々 長いスキーを担いで出発 昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。 家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー… 続きを読む
楽しかった日々 雪かき 雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。 スコップで四角に切りながら、広げていった。 セーターで… 続きを読む
楽しかった日々 昭和32年大相撲 横綱千代の山・栃錦 大夕張巡業 その2 昭和32年8月2日。 大夕張山神社下、鹿島小学校横にあった特設土俵で行われた大相撲の巡業。 大夕張駅に現れた力士たちを見て、その巨体に目を丸くし、驚いた子どもたちも数多くいた。 力士に、風呂場はつきものだが、緑町の浴場を利用したようだ。 力士たちの入浴を、興味津々のぞいて見… 続きを読む
楽しかった日々 終着駅の奥村チヨ -大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年(1972年)の夏、UHBの開局記念番組のロケ時の写真。 大夕張駅ホームで、鉄道の職員の方々と共にパンタロン姿の奥村チヨ。 奥村チヨが歌う当時のPVのような映像がyoutubeに出ていた。(今は削除されみることができない) 前半、雪の積もる駅構内から、駅を出てくる場面で、貼って… 続きを読む