楽しかった日々 母と私 (代々木町) 昭和30年(1955年) 代々木町 母と私 【宮内文人】 母親に抱かれた生後5か月の私ですね。 長屋の家の前です。家の前はお花畑でした・・・この時母親は27歳です。 現在は91歳で、認知症は進んでいますが食欲旺盛で元気いっぱいです。 最近コロナ禍でなかなか面会ができていません。まだまだ元気… 続きを読む
楽しかった日々 炭住脇のスキー 昭和37年頃、冬。竹ストックとカンダハー(カンダハン)のスキー。 窓の外のスキー場 【飯田雅人】 弟が2歳くらい、自分6歳の頃の写真です。 トタン屋根から落ちた雪はそのまま積もり、この年齢の子どもが遊ぶには、かっこうの傾斜が付きました。 父のスキーが立っていますが、当時のスキーは、長くて重かっ… 続きを読む
楽しかった日々 昭和48年 松本菓子店前の歩道 昭和48年、閉山が決まった年の夏。栄町商店街の一角。松本菓子店の前。 隣が佐藤時計店(キンセイ堂)。向かいには、購買会から続く、7軒の商店が写っています。 歩道を歩いている当時の目線を思い起こします。 「こんにちは」と声をかけたくなる写真です。栄町商店街の街のひとこま。 商店街の歩道。三輪車に乗った… 続きを読む
楽しかった日々 相撲大会と土俵 年代場所不詳 後ろの住宅は線路越しの緑町のあたりのようにも見えるが・・・。 昭和30年代、大夕張の各町内に土俵があったようです。写真の土俵は四本柱が立っていて屋根もある立派な土俵ですが、私がいた富士見町にも、柱はなかったものの土俵がありました。富士見町5丁目の病院向、小公園にあったと記憶しています… 続きを読む
思い出貼 盆踊り 鹿島小学校グラウンドに組まれた櫓の周りを、街中の大人子どもが輪になり踊った。 電飾に浮かび上がる櫓太鼓 【飯田雅人】 お盆。早い夏の終わりを告げるかのように,虫たちが鳴き始める頃,各町内で盆踊りの笛や太鼓が響きます。町中がにぎやかに,子供達の気持ちもわくわくするような雰囲気になるのです。ふだん夜と… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖全景(パノラマ) 昭和40年頃のシューパロ湖全景 昭和40年8月8日(日)天候曇り 『大阪の小林』さん撮影 大夕張とシューパロ湖 【矢野和裕】2016/07/19 _ 23:20:19 釣りが好きで、この町でコーラを飲み食料を調達していた。春はイワナ、秋は鯉、冬にワカサギと札幌から通った。 特に冬のシューパロ湖を… 続きを読む
思い出貼 炭砿病院職員(昭和25年) 昭和25年11月18日 中央に写っているのは当時の院長先生だろうか。病院の経理の仕事をしていた結婚前の私の母親が写っています。私の知る看護婦さんの顔も見えます。… 続きを読む
思い出貼 なべおさみと谷啓 -大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年の夏、UHBの開局記念番組のロケの写真です。鉄道の職員の方々と共に,左から2人目がなべおさみ,右から3人目が谷啓。場所は大夕張炭山駅構内。 当時見ていました 【Masami Kawauchi】 私はこれ見に行きました。谷啓と鍋おさみ が丸い棒キャンディを食べるシーンでNGが出て落とした飴… 続きを読む
思い出貼 ドリフが街にあらわれた! -大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年の夏,UHBの開局記念番組のロケのため,芸能人が大夕張に大挙して来訪しました。すでに私は前年に大夕張を出た後であり,ずっと知りませんでした。この写真には当時の子供たち(私も当然その中に入ります)に絶大な人気のあったドリフターズの面々が写っています。いかりや長介を先頭に、荒井注、高木ブー、加… 続きを読む
思い出貼 冬のスキー遊び 昭和40年、富士見町 街の中の雪山 【飯田雅人】 富士見町の6丁目,炭坑病院の近くの住宅。石炭庫や住宅の屋根から落ちた雪がつもり,こんな雪山があちこちにできていました。この写真の男の子は誰なのか今となってはわかりませんが,私も小学校低学年の頃,屋根から落ちて積もった雪の山を利用して,そり遊びやスキ… 続きを読む
思い出貼 初めての洗濯機 昭和35年頃、金盥の中で洗濯板を使ってゴシゴシ洗う作業に変わって洗濯機が登場。 洗濯機についているローラー状の脱水機が懐かしい。 家に来た初めての洗濯機 【Kawauchi Masami】(2020年11月27日) 洗濯機のホースの色 確かに 黒と水色でした。 排水の時、黒いホースを下ろして… 続きを読む
楽しかった日々 昭和24年 鹿島小学校教職員野球部 昭和24年8月。鹿島小学校教職員野球部。 賞状を手に記念写真。 授業が終わった夕方、教職員の野球大会が近くなると、先生方の野球の練習が始まり、ボールを拾いに走ったり、時に臨時の補欠要員を務めたりした子ども達も大勢いたのでは。… 続きを読む
思い出貼 八百五十の思い出 昭和30年、八百五十のゲレンデ。 八百五十の思い出 【斎藤敏幸】 (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む
楽しかった日々 軒下の雪かき 昭和40年頃 富士見町6丁目 昭和40年頃 軒下の雪除け 【飯田雅人】 冬、雪がたくさん降ると三角屋根の上に厚く雪がつもります。そうして気温が高くなると、一気にトタン板の屋根から大量の雪が落ち、家の中が真っ暗になってしまいます。陽が部屋に届くように、軒下の除雪をすることが年に何回かあり… 続きを読む
思い出貼 ゆきどけ 特に山の裾の方では水が湧いていて湿地がたくさんありました。大夕張神社の参道の鳥居があったところにも,大きな湿地がありました。 春が近づき暖かくなると雪の下の方から雪がどんどん溶けていきます。雪を掘っていくと,シャーベット状の雪があらわれ、それを使って水遊びとも、雪遊びともつかぬ、冬も最後の遊びに没頭… 続きを読む