思い出貼

昭和28年7月18日 稚児祭 千年町高田商店前にて 思い出貼

昭和28年7月18日 稚児祭 千年町高田商店前にて

よく見ると写真の表札の左下に「三二番」という札がかかっています。この写真を巡って大夕張掲示板で、次のようなやり取りが行われました。長くなりますが、引用します。   もう一枚 お稚児さん(S28年7月) 投稿者:飯田雅人 投稿日:2003/11/15(Sat) 00:22   もう一枚 お稚…
昭和32年大夕張(パノラマ) パノラマ

昭和32年大夕張(パノラマ)

昭和32年の大夕張。大夕張神社からとった4枚の写真を合わせてパノラマにしました。 つなぎめのところの処理がうまくできていないので、目障りですが、別の記事で、一枚一枚の写真を紹介します。 ※もとの画像にリンクをはっているので、拡大してみることができます。 4枚の写真を合わせたものをカラー化したもの 4…
昭和7年の大夕張全景 パノラマ

昭和7年の大夕張全景

昭和7年の街並み。富士見町、線路を挟んで栄町の炭砿住宅が写っています。富士見町の住宅もまだまばらです。右手奥には昭和3年の開校間もない大夕張尋常高等小学校、手前には倶楽部と独身寮らしい建物も見えています。線路には大夕張駅を出発した運炭列車が通洞(大夕張炭山)駅に向かいます。 『三菱鉱業社史』から &…
大夕張駅前の移り変わり 思い出の街角

大夕張駅前の移り変わり

大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後…
大夕張駅上空から パノラマ

大夕張駅上空から

昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の…
二股停車場 思い出貼

二股停車場

明治45年(大正元年)まだ、南部が大夕張で、北部大夕張は未開発。終着駅は二股(南部)だった頃の大夕張。大夕張炭坑株式会社の二股停車場(旧南大夕張駅)。 後ろの大夕張炭坑選炭場の屋根に当時の社紋が見えます。 明治45年(大正元年) 二股停車場(旧南大夕張駅)   大夕張炭坑株式会社の社紋 &…
ボンネットバス 運んだ、石炭を人を

ボンネットバス

昭和33年頃の三菱バス営業所。三菱鉱業バスが大夕張地区内を走り始めた(山内バス)当初、ボンネットバス2台での運行でした。  三菱バスの旧塗装色は、なぜか『都営バス』の塗装と同じだったそうです。 (注)下は白黒写真に色づけをしたもので、本物と同じかどうかはわかりません。まあ、そこまでこだわる人はいない…
山内バス開通式 思い出貼

山内バス開通式

昭和31(1956年)年9月6日、炭鉱病院横の、車庫で大夕張地区内を走る山内バスの開通式が行われました。 当時三菱美唄鉄道バス。 昭和36年に、三菱鉱業バスと名称変更。 当時、大夕張地域を走るバスを「三菱バス(みつびしばす)」と呼んでいました。 秋晴れの午後の開通式。 カメラマンの足下の影が長く伸び…