本棚 鹿島で暮らした日々 大夕張 表紙の夕張岳の写真は、シューパロ湖畔にあった展望台からの撮影したもの。 【書 名】『鹿島で暮らした日々 大夕張』 明石町/千年町/宝町/錦町/緑町/栄町/代々木町/富士見町 【発行日】平成10年(1998年)2月発行 【編 集】 夕張シューパロダムふるさと誌編集委員会 【監 修】 … 続きを読む
資料室 奥鹿島分校ゆかりの碑 白金地区(当時は『開拓』『奥鹿島』とよばれた)の子どもたちは、鹿島東小学校に通学していた。 高橋正朝さんの『大夕張つれづれ』『続大夕張つれづれ』の話の中にも当時『開拓』から通う子どもたちが、時間をかけて、いくつもの吊橋を渡って通学する様子が出てくる。 奥鹿島分校設置のきっかけは、これ… 続きを読む
陳列棚 鹿島中学校閉校記念ふみカード #2/2 雪の中の鹿島中学校校舎。 『閉校』の文字の下に『新校舎』と書かれているのが、なんだか儚いが、実際常盤町校舎から鹿島小校舎に移転してまだ20年も経っていない。 訂正。 鹿島中学校閉校記念のテレカとして昨日掲載したカード、『ふみカード』だった。 二枚目の表面右下に『ふみカード』と書… 続きを読む
陳列棚 鹿島中学校閉校記念ふみカード #1/2 平成8年(1996年)3月に閉校と鹿島中学校閉校を記念し発行した『ふみカード』 写真は、昭和53年(1978年)に用途廃止となり解体された常盤町旧校舎の昭和40年代の頃だろうか。 中学校の裏山から撮影した写真。 … 続きを読む
陳列棚 鹿島東小学校校章 実物を見た印象では、大きさは校舎に取り付けられていたことを思わせるものだった。 自分は鹿島小に通ったので、鹿島東小の校地に足を踏み入れることはあまりなかったが、写真を見ると校舎表玄関の上に校章が掲げられていた。 その校章のようだ。 平成9年(1997年)の鹿島小学校郷土室の展示より。 … 続きを読む
本棚 かしま 開校50周年記念誌 |夕張市立鹿島小学校 【書 名】 『かしま 開校50周年 記念誌』 【発 行】 夕張市立鹿島小学校 【紹 介】昭和53年、鹿島小学校が創立50周年を迎えたときの記念誌。前回、昭和43年の開校40周年時の開校記念誌からページ数も大幅に増え、76ページにわたり昭和53年当時の学校の現況と50年の歴史をふり返りる。 在… 続きを読む
絵葉書 山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ三) 昭和15年(1940年)頃の大夕張の富士見町方面を撮影した写真に着色してカラー化した。 ここに見える啓心寮の住所を(其ノ一)で、3丁目と書いた。 先日、父の戸籍を見る機会があった。 それによると、昭和29年に結婚するまで住んでいた住所が「富士見町三区」と記載があった。 独身時代、啓心寮… 続きを読む
絵葉書 山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ二) 古書店で入手した絵葉書には、文面を墨で消したりしているものもあるが、この絵葉書には、幸いなことに、当時の文章がそのまま残っていた。 日常的な何気ない文章に、当時の大夕張での暮らしを感じる。 昭和15年(1940年)8月の葉書。 今から83年前の大夕張の生活。 樺太名好… 続きを読む
絵葉書 山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ一) 絵葉書の宛先の面には、昭和15年8月15日の消印がある。 タイトル通り、1940年頃の大夕張山神社から富士見町方面を俯瞰した写真。 タイトルに(其ノ一)とつけた。 これは絵葉書の本来のタイトルにはない。 この『山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム』の絵葉書の記事を(其ノ一)から(其ノ三)… 続きを読む
白地図 白地図(昭和33年) 弥生町・春日町・代々木町 昭和33年の資料をもとに作成した白地図。 春日町では、直心アパート、清明寮が描かれる。 人出が足りなかった時代、鉱員が全国各地から集められ、単身者を収容した『◯◯寮』が、大夕張の各町内に建てられていたという。 後に妻帯者が入居するようになり、アパートや、◯◯荘となるなど名称を、寮はそ… 続きを読む
映像 大夕張 街中通過 映像 前回の千年町、宝町の通過映像からの続編。 以前、2021年5月にリンクした動画がしばらく削除されていましたが、今回動画が再アップされたので、ふたたび公開することができるようになりました。 ツィッターの投稿へのリンクです。 1992年(平成4年)の貴重な大夕張の街中映像です。 千年… 続きを読む
陳列棚 鹿島小学校校章 鹿島小学校郷土室保管の校章 昭和25年(1950年)4月1日制定 【由 来】 緑の柏葉に因る正六角形に、白い雪の結晶形を重ね、中央に校名の題柱ともいうべき、頭文字『鹿』を配し校章となす。 雪の結晶は北海道を外側の六角はダイヤで石炭(黒ダイヤ)を象徴し、石炭の都夕張を表現したものである… 続きを読む
白地図 明石町 白地図 昭和38年 昭和38年(1963年)、大夕張ダム完成後の明石町の白地図。 黒く塗りつぶされたところは、この地図が掲載された『鹿島のあゆみ』が発行された昭和53年時にまだ存在していた建物を示す。施設を示す手描きの文字も昭和53年時のものだろう。 昭和38年と昭和53年を合わせた地図。 これを見… 続きを読む
陳列棚 大夕張礦業所幼稚園 精勤賞 一年間、休まずに学校や、幼稚園に通うと当時は『皆勤賞』という賞状が貰えた。 『精勤賞』はそれに準ずるものとして貰うことができた。 それを励みに学校に通っていた時代もあった。 当時は『健康優良児』という言葉もあり、肉体の能力が健康の基準のようなところもあり、学校での表彰もあった。 … 続きを読む
本棚 昭和43年 鹿島小学校卒業文集『想い出』 昭和43年(1968年) 第40回卒業 記念文集。 鹿島小学校6年竹組。 岩佐佐太吉校長 担任佐々木マサノ先生の前書きに続いて、学級児童の卒業に寄せて想い出が綴られている。 当時学校での印刷物がそうであるように、藁半紙、ガリ版での印刷。 文字もかすれて、紙も変色している。 姿かたちは… 続きを読む
絵葉書 昭和15年 三菱大夕張礦業所 絵葉書目次 『昭和15年頃三菱大夕張礦業所』、これまでの8枚の絵葉書へのリンクを一カ所にまとめておいた。 検索窓と合わせて、まとめて見るときのために目次のようなものであり、リンク集的なもの。 三菱鑛業株式会社大夕張礦業所 絵葉書ケース 三菱大夕張礦業所 会社指定理髪部/大運動会 三菱大夕張礦… 続きを読む
絵葉書 三菱大夕張礦業所 従業員寄宿舎本立寮/従業員宿舎の室内 昭和15年〈1940年)頃発行の、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書の8枚を紹介するシリーズの最終回。 三菱大夕張礦業所、従業員寄宿舎本立寮とその宿舎の部屋の室内を撮影したもの。 従業員寄宿舎本立寮 全国各地から集めた鉱員で、主に若い独身者を収容した寮は、大夕張の各所につくられていた。 事務室があり、… 続きを読む
交通関係 大夕張駅 駅名標 木柱に板張りで白く塗られた時代の記憶の方が色濃く残る駅名標。 街から旅立つ人を見送り、迎えた「大夕張」の文字。 この駅名標が金属板になった頃は、おそらく昭和40年代になってからだろうけれど、すでに大夕張から出るにも帰るにも、バス利用が主となっていた。 手書による力強い文字が当時への思いをつなぐ。 … 続きを読む
絵葉書 大夕張炭山ノ全景 其ノ三 『大夕張炭山』の絵葉書(小紙商店発行) 明治大正期の大夕張炭山。 言い換えると、昔の南部の市街地風景といえるだろうか。 後ろの山が『南部貯木場』の写真にうつる山と同じ形に見える。 南部小学校側の裏手の山の方から撮影されているようだ。 明治40年に、南部小学校の前身である清水沢簡易教… 続きを読む
絵葉書 三菱大夕張礦業所 近代設備を誇る附属病院/病後を養う保養所 昭和15年(1940年)頃発行された絵葉書から。 「病後を養う保養所」 緑町、大夕張駅向かいにあった。 正面には広い芝生が植えられ、附属の温室もあった。 三菱礦業所の従業員の福利厚生のための施設。 「近代設備を誇る附属病院」 当時は正面は一階建で、後ろに一部二階建の部分が… 続きを読む