陳列棚 いつの頃かの 大夕張電話帳 昭和43年頃、かつてうちの家に電話があった。 電話がある社宅に引っ越したのは、父が炭砿病院の薬局の責任者になった頃だ。 ダイヤルではなく200番台の3桁の内線番号だけがまんなかに大きな判子で押されていた、黒電話。 当時、この電話はテレビ等で見る『ふつうの電話』でなく『会社の電話』ときかされて… 続きを読む
陳列棚 明治45年8月 大夕張炭山近況 北海タイムス(1912年〈明治45年〉8月6日)記事 【大夕張炭山近況】 従来の施設と将来の計画 松隈鉱長曰く大夕張炭礦株式会社時代に於る同鉱の施設は 一見頗るハイカラ風にして 坑内外の経営は略ぼ完成したる如き 観かるも仔細に之を検覈せば 凡て外観を美装したるに過ぎずして 其実質に至りては確たる方針… 続きを読む
映像 栄町プール(昭和60年頃) Kawauchiさんが当時南部に住んでいた頃、かつてくらした大夕張のプールで撮影したご家族の大切なホームビデオ。 1990年代、アナログからデジタル化へと世の中が変化する中、ビデオからDVDにして残されてきたそうです。 映像には、栄町のブロック住宅などの家屋はなくなったものの、1960年代の… 続きを読む
映像 昭和60年頃 スキー場 当時、南部に住んでいたKawauchiさんがご家族のスキーをビデオで撮影したもの。 ロープ・トウ ロープ終点の小屋 急角度の斜面のてっぺんは、神社に続く、八百五十の尾根。 短いながら、これら懐かしい背景が映像の中に映り込んでいます。 その頃、ビデオはなかなか一般的ではなく貴重でした。 https… 続きを読む
陳列棚 大夕張スタンプ看板 昭和40年代、大夕張商店街で使用されていた大夕張スタンプの看板。 大夕張スタンプを利用できる組合加入の店頭に、この看板が掲げられていた。 「ふるさと大夕張2丁目3番地」の昭和40年代の商店街の写真では商店の店頭に掲げられてのを見ることができる。 買い物で、大夕張スタンプを利用する際の… 続きを読む
本棚 空知地方史研究協議会編「空知の鉄道と開拓」|奥山道紀 空知地方史研究協議会より「空知の鉄道と開拓」が刊行されました。 内容は空知管内の国鉄から私鉄・専用線・森林鉄道までの歴史が網羅され、各市町村の郷土史家等が中心になって執筆しています。 「三菱大夕張鉄道」については一時期、夕張東高校の教諭を務めた北海道開拓の村学芸課長の野村崇氏が執筆しており想い… 続きを読む
交通関係 シューパロ湖駅 駅名標 大夕張鉄道 シューパロ湖駅 昭和37年(1962年)開業 ~ 昭和44年(1969年)廃止 石炭博物館所蔵 シューパロ湖 SY_PAROKOSYUPAROKO あかしちょうAKASHI CH_ AKASHI CHO みなみおおゆうばり MINAMI_Y_BARI MINAMIOYUBARI… 続きを読む
映像 三菱大夕張炭砿映像と社歌 三菱大夕張炭砿当時の映像。 1998年頃、よく『ダム湖に沈む街大夕張』的な映像で当時の8ミリフィルムの映像が流れていた。 これもそのうちの一つかと思うが、いつか、それらの映像を一つにまとめて見たいものだと思う。 YOUTUBEチャンネルのarchiveさんは、元大夕張の住民と思われるが詳しくはわから… 続きを読む
映像 カラオケ・大夕張小唄 昭和30年ころ、電気蓄音機(電蓄)でSPレコードを聴くというのが、一般的で、歌うという習慣はあまりなかったのではないだろうか。昭和30年代、大人たちが、真空管式の子どもの背丈ほども高さのある電蓄でレコードをかけていたのをみたような気がする。 カラオケという言葉を聞いたのは、1985年頃だろう… 続きを読む
広告 サトミ会館・広告 昭和45年 昭和45年 住宅地図掲載広告 千年町にあったサトミ会館。 サトミ会館 (電話番号) ・味の店 歌麿 (T.106) ・鉄板焼 より路 (T.106) ・スナックと喫茶 夕渚 (T.106) ・寿し かど蛯 (T.6167)… 続きを読む
地図 沢の名称 (パンケモユーパロ川) 三弦橋の下を流れたパンケモユーパロ川の沢。 パンケ(下手の)、モ・ユーパロは、「子の、小さい、支流の・夕張川」の意。 「茂夕張(もゆうばり)」「下夕(しもゆう)」と呼ばれた。 夕張市史(S56)所載の図 本流であるシューパロ川の沢については、こちら↓ https://ooyubari.com/202… 続きを読む
映像 三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』B面 前回、会社から各家庭に配布されたと書いた。 しかし、もとになったEP盤は、我が家にあったものではない。大夕張から札幌に出るときに処分されたのだと思う。 20年くらい前、『大夕張小唄』のSP盤や『社歌』を、ヤフオクで購入した。しかし、残念ながらプレーヤーを所有していないため聞くこともできず死蔵し… 続きを読む