回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

北海道弁••••••補足•••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝  #129 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••補足•••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #129

     この北海道弁〘 はっちゃきこく 〙は、前回、続・大夕張つれづれ # 128 で投稿しましたが、『 侮蔑的感情 』という表現に対し、腑に落ちないという人がいましたので、補足します。       北海道弁〘 はっちゃきこく 〙は、ネットで検索すると、一所懸命、夢中になって、頑張って、とかいうよ…
馬頭観音 |小林光志 思い出ばなし

馬頭観音 |小林光志

 便所場球場に近い大久保さんの向かいに、労働馬の慰霊碑がありました。   「大久保組」ご存知ですか?  ここに多くの労働馬がいました。   私が大夕張にいた頃は、ちゃんと感謝をこめて祭っていました。   (追記)  大久保組の大久保家は、私の遠い親戚でもありましたので ちょくちょく行き来してました。…
北海道弁••••••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #128 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #128

      この北海道弁〘 はっちゃきこく 〙も、前回の〘 だはんこく 〙と同様、北海道内ですら死語になっているのではないだろうか •••••。      私が名前すら知らなかった江別市出身のタレントの大泉洋は、北海道弁を駆使し、それをウリにしてバラエティー番組などに出演しているらしいが、彼だったら…
闘犬のはなし| 泊川俊徳 思い出ばなし

闘犬のはなし| 泊川俊徳

   子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。    4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。    闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。     一時的な流行でした。    当時、子供なが…
北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127

     この北海道弁〘 だはんこく 〙は、もはや死語ではないだろうか••••••。       アパートのガラス戸は、今の時期( 12月初旬から1下旬ぐらい )は24時間開けっ放しにして網戸にしているのだが、早朝、見えないが、通りの向こう側から、幼児が、〘 だはんこいている 〙のが聞こえた。   …
冬の出来事 |Kawauchi Masami 思い出の記

冬の出来事 |Kawauchi Masami

   私には忘れられない思い出が2つ有ります。    小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。    家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。   …
万葉会館 | 高橋正朝  #126 続・大夕張つれづれ

万葉会館 | 高橋正朝 #126

 『続・大夕張つれづれ #124 道玄坂の思い出 その2』 に、TAKASHI さんが、コメントを書き込み、万葉会館について言及していました。       当時あった万葉会館は、今は貸ビル業に転じているようで、ビルの大部分は、IKEA に貸しているようです。       『続・大夕張つれづれ #12…
道玄坂の思い出 その3|高橋正朝 #125   続・大夕張つれづれ

道玄坂の思い出 その3|高橋正朝 #125  

   日本は、これから、最も寒い時期になる。  私は海外に出るまで、東京に14年間ほど住んでいたが、最初の冬は、北海道に比べて暖かいなァと感じたが、翌年の冬からは、えらく寒く感じるようになった。  特に、家の内の寒さには閉口した。  とはいうものの、大夕張に比べれば、気温は高いのだが ••••••。…
最後の大晦日|斎藤敏幸 随想

最後の大晦日|斎藤敏幸

   大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。     正確には、大晦日の前日の事なのですが。       1972年(昭和47年)12月30日。      この日、夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を、確か千歳町の婦人会館で開催しました。      もう記憶は定かではありませんが、…
道玄坂の思い出 その2 | 高橋正朝 #124 続・大夕張つれづれ

道玄坂の思い出 その2 | 高橋正朝 #124

     前々回投稿した、大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。     渋谷駅前のハチ公の銅像の住所というのは、実は道玄坂なんですョ。    それで、イラストに描かれていた景色の、中央からやや右側にあるビルを、私は渋谷駅前ビルと…
暮れの餅つき | ziny 思い出ばなし

暮れの餅つき | ziny

 毎年12月28日は代々木町の我が家の餅つきの日でした。   昭和30年代、この末広がりの日には、しめ飾りをつけるのと餅つきでしたね。    外はシンシンと雪が降っている。     玄関の障子(ある時期から飾りガラス戸)をはずし、隙間風よけに目張りをしたビニールの上に、新聞紙も所々貼ってあった。  …
本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 思い出ばなし

本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸

本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン     1997年10月  週末に大夕張へ行ってきました。  ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。  地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。  秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連…
寒くなると、聴こえる | タカママ 随想

寒くなると、聴こえる | タカママ

   夕飯の支度をしながらラジオを聴いていると、懐かしい言葉が・・・。  「石狩・空知・後志地方の天気は・・・。」 「道道○○号線は、雪で通行止め・・・。」   我が家の古いアナログラジオは、この時期北海道の電波をキャッチしてくれます。   思わず手を止めて聞き入ってしまいます。    遥か遠くの雪…
道玄坂の思い出 その1| 高橋正朝 #123 続・大夕張つれづれ

道玄坂の思い出 その1| 高橋正朝 #123

   前回投稿した、『続・大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙』に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。     これは、私にとっては懐かしい風景です。  一部を誇張や省略したイラストで、私が海外に行く前の2年間働いていたビルが描かれている。       このイラスト…
正月の餅|飯田雅人 思い出ばなし

正月の餅|飯田雅人

 大夕張の師走の話題から、餅の思い出を。 以前『夕張文化』44号に木村東市さんという方が『大夕張歳時記』という回想を書かれていました。   その中で,昭和10年代?の話。   暮が近くなると岩手の母の実家から米一俵ともち米が送られてきて、当時シューパロ川の川縁にあった千年町番外地の堀田牧場に頼んで正…
『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一 思い出ばなし

『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一

   小学校5年の時に、何故か化学者に憧れて、試験管やらビーカーを買ってきた。     長年シコシコと貯めていた小遣いを、思い切り良く全部これに充てたのでした。   「何に使うの?」   と両親から咎められたが、案の定、実験のアイテムも無くて、ただ透明の容器を眺めて磨いて、ニタニタしていただけであっ…
ハチ公前広場の噴水  |  高橋正朝 #122 続・大夕張つれづれ

ハチ公前広場の噴水 | 高橋正朝 #122

   大夕張つれづれ # 11 〘 ハチ公前で出会った若者 〙に、DATE さんという方から、2022-11-05 にコメントが入ってました。         私の投稿は、パソコンだけでの書き込みや閲覧できる時代の〘 大夕張つれづれ 〙のホームページだったので、現在でも閲覧している人はいますが、旧い…
成田利夫さんに教えてもらった、白い実がなる草( 木 )の名前、フッキソウ | 高橋正朝  #121 続・大夕張つれづれ

成田利夫さんに教えてもらった、白い実がなる草( 木 )の名前、フッキソウ | 高橋正朝  #121

 私の前回の投稿、続・ふるさと大夕張 # 120 〘 名前を知らない草木の実2種類 〙に対し、成田利夫さんからコメントがありました。  名前を知らなかった白い実の草は、フッキソウという名だということで、URL が添付されていました。  その URL は、以下のとおりです。     tiotrinit…
七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny 思い出ばなし

七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny

     我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。    直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。   裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 …
母と大夕張 |あずき 随想

母と大夕張 |あずき

 私の母は親が営林署勤務であったこともあり、小学校時代は道内あちこちを転々としていました。  母は昭和42年ごろ、1年間だけ大夕張に住んでいたそうです。   錦町に営林署があったはずです。      母はその裏手の線路端にある職員住宅に住んでいたそうです。    そのころはまだ大夕張にも1万人以上の…