回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

大夕張のバンドブーム | Kawauchi  Masami 思い出の記

大夕張のバンドブーム | Kawauchi Masami

 うたた寝をしていると、ラジオから長渕剛の『乾杯』が流れてきました、1980年の曲です。  私は、1977年結婚したので、『乾杯』の詩が、なんか重なるような、気がします。  大夕張で知り合い、南部で大きな舞台に立ち、2人で歩き始めた道。色々な事がありました。ほんと、色んな事あったな〜。  協和会館別…
雪の結晶と雪印のロゴマーク |高橋正朝 #23 続・大夕張つれづれ

雪の結晶と雪印のロゴマーク |高橋正朝 #23

 大夕張で生まれ育った人だけでなく、北海道生まれの人にとっては、雪印乳業のロゴマークには懐かしさを感じると思う。 北海道生まれの大企業だから、ということよりも、雪の結晶に懐かしさを感じるのだ。      北海道生まれの企業ではあるが、本社は東京四谷にあり、東京在住者は知っていることだが、夜間、中央線…
奥鹿島の『三時間耐久レース』|Kawauchi Masami 思い出の記

奥鹿島の『三時間耐久レース』|Kawauchi Masami

 昭和56~59年(1981~85年)頃、明石町から開拓の奥、農家を辞めた地主さんに土地を、ただで借り、自分達でコースを作って、50ccバイクで『三時間耐久レース』をしました。 場所は奥鹿島分校からあと、橋を渡って500mぐらいの所です。  地主さんの名前は忘れましたが、「元は南部の下夕に開拓で入っ…
吹雪のなかでの登校下校 |高橋正朝 #22  続・大夕張つれづれ

吹雪のなかでの登校下校 |高橋正朝 #22 

 私が、鹿島東小学校の低学年だったころの大夕張の冬は、ずいぶんと寒かった。     私の年代の人は、皆、経験していたことで、『 ふるさと大夕張 』に書き込んだことの繰り返しになるが、頬骨に染み込むような寒さのときは、薄眼にし、眼を普通に開けようとすると、瞬間的にくっついていたまつ毛がパチッ、という感…
坑内にかかる盤圧 | Kawauchi Masami 思い出の記

坑内にかかる盤圧 | Kawauchi Masami

大夕張の坑道  今日は 坑内でないと 分からない 出来事 書いてみますね。  写真に写っているのは、採炭現場で天盤を押さえるカッペと言う道具です。   丸いピンと平べったいピンの、2本のピンで止めて行きます。払い(採炭現場)が進むと、後ろのカッペを外して、前に付け替えます。丸いピンだけなら、『お辞儀…
1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸 随想

1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸

 私は、閉山の前年に当たる1972年3月に夕張東高を卒業しました。  閉山後両親は、函館に居を構えました。  そのためか、大夕張に帰る機会もなく数年が過ぎてしまいました。  大夕張と再会できたのは、1978年の7月でした。  当時私は、釧路に住んでいましたが、職場の研修で札幌に出た時、帰ることができ…
村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21 続・大夕張つれづれ

村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21

     前回、「 電光オズマ 」の稿で、コラージュのことに触れ、村山貢 先生のお名前を出しました。 それで、村山 先生の授業のことを書き始めたら、表題とは無関係な内容の文章が長くなってきたので、その部分は打ち切り、次回、即ち、ここで書くことにしました。      村山貢 先生を初めて見たのは、鹿島…
八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 思い出の記

八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami

大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次)   準 備   出 発   山小屋…
昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami 思い出の記

昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami

昭和44年(1969年)6月、鹿島中学校修学旅行。 車内に入って来た、担任の西田先生です。  私たちは、層雲峡、川湯温泉、阿寒、原生花園などへ行きました。  友達が、川湯温泉だったと思いますが、温泉のお湯を飲んでしまい、次の日、声が出なくなってしまった事が有りました。   原生花園へ行った時、オホー…
トルコ | 古山園美 随想

トルコ | 古山園美

   10年前、初めてトルコに行きました。  かの有名なカッパドキアにある町に行った時、『大夕張の匂い』を感じました。  それは、街じゅうでたく、石炭のにおいだったのです。  そして、うす紫色の石炭の煙の中に沈んでいるような、夕暮れの町は、まるで大夕張でした。  そして、去年の夏、『20世紀最後の皆…
『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny 思い出ばなし

『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny

 お正月に「松竹梅」という言葉を耳にすると、小学校時代を思い出します。  鹿島小学校の『組』の名前です。  ・・昭和30年代は、 「松・竹・梅・櫻・菊・桃・藤」 という名前だったと記憶しています。 「すみれ」もありました。  団塊世代では「桐」もあったと思います。  50~55人前後の生徒数。6学年…
松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20 続・大夕張つれづれ

松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20

 松本あきら が若いころ描いたマンガの主人公の少年少女は、眼に特徴があった。  少女マンガの主人公は可愛く描かれ、眼が大きく描かれて、内容もポエムっぽかった。  少年マンガは、SF ものや、戦争ものがわりと多かった。      鹿島中学校2年生のときに、明石町に住んでいた誰かから、少年マンガ雑誌『 …
この日を迎えると・・ | jun 思い出ばなし

この日を迎えると・・ | jun

 思い出されるのは大夕張に生きていた当時の頃。  しばれたね~  大晦日は家族団欒。  ミカン箱、裸まいり、除夜の鐘。  厳かな雰囲気とウキウキした気分が融け合っていました・・  年が変って元旦の朝。  湯たんぽから洗面器に水を移して顔を洗い、最初は両親に挨拶。  みんなで神棚にご挨拶。  お年玉を…
アオタン |内川准一 随想

アオタン |内川准一

   「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」  ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。  千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。  …
鹿島中学校科学クラブ ゴーカートづくり| Kawauchi  Masami 思い出の記

鹿島中学校科学クラブ ゴーカートづくり| Kawauchi Masami

 鹿島中学3年生の時、科学クラブに入りました。  クラブは、2つに分かれていて、化学と物理学で、私は物理学部でした。  3年生の時、文化祭で、2サイクルエンジン ・4サイクルエンジン・ロータリーエンジン、の仕組みを紙に書いて貼り出した事が有りました。  覚えていないかなあ・・・当時、化学部は水素に誤…
河村先生 |千古のみどり 随想

河村先生 |千古のみどり

   学校でお世話になった先生は、沢山いらっしゃいます。  覚えていますか… 鹿島小学校の上の、小高い丘の上にあった『大夕張カトリック教会』を? 『人は何のために生まれ…そして死ぬのだろう…』  あそこへ行ったら、教えてくれるかも知れない…  そんな思いで教会の門を叩いたのは、私が小学生の頃でした。…
「琴姫七変化」のチャンバラごっこ|小野美音子 思い出ばなし

「琴姫七変化」のチャンバラごっこ|小野美音子

 テレビの無かった我が家に、御近所の、木下さん、古山さん、星山さんなど、色々な方が、おもしろそうな番組があると、よく、誘って下さいました。  木下さんの家では、よく「琴姫七変化」を、見に行かせてもらいました。  それはきれいな琴姫さまが、主役で、悪者がでると、七変化してやっつけ、最後には、何事もなか…
「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19 続・大夕張つれづれ

「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19

 鹿島東小学校5年生のとき、「 おもしろブック 」に「 ヒマラヤ天兵 」というマンガが連載されていた。  作者は「 棚下照生 」。  タナカ•テルオ と読ませる漢字の名前としては大変珍しい。 テレビドラマにもなったらしいが、大夕張で視聴できた番組だったかどうかは知らない。     このマンガが連載中…
鹿島の太陽|ziny 随想

鹿島の太陽|ziny

「黒部の太陽」を観てきました。 「裕次郎の夢」全国縦断チャリティ上映会、に当選して、さいたま文化センターまで出かけてきました。  会場はびっしり満員で、ざっと数えて千五~六百人もいたでしょうか。  私より先輩が多数と、感じましたが。・・・  44年振りの完全公開だそうです。スクリーンの中の、今は亡き…
クリスマスの記憶 |野口美代子 随想

クリスマスの記憶 |野口美代子

 小学生か中学生か定かではない記憶の一葉に、クリスマスイブに、河村先生(聖心幼稚園)に連れられて、大夕張炭砿病院の廊下で、クリスマスソングを何曲か歌いました。  静かな入院病棟に美しい(?)歌声を響かせたことがありましたっけ。  聞いた人達の感想は聞けませんでしたが。  その炭鉱病院に作家の渡辺淳一…