続・大夕張つれづれ 北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる | 高橋正朝 #143 北海道といえども、春が過ぎれば暑くなる。 北海道には梅雨はないとされていたが、今はどうなのだろうか ••••••。 私が大夕張にいた当時、たしかに梅雨といえるような天候はなかったが、それでも、6月から7月にかけては、雨が降ることが多かった。 全国的には、食中毒の注意が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••かます・かまかす | 高橋正朝 #142 前回、# 141〘 まかす・まかれる 〙のFB 版に、成田利夫さんが、〘 かき混ぜる 〙の北海道弁〘 かます 〙のことに言及していました。 〘 かき混ぜる 〙の北海道弁としては、〘 かまかす 〙があり、私は、その北海道弁はしっかり覚えていましたが、〘 かます 〙はすっかり忘れていました… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••まかす・まかれる | 高橋正朝 #141 この北海道弁も、もはや死語ではなかろうか? 東京弁を中心としたラジオやテレビ放送の影響が大きくて、方言を持ちだした番組以外は、標準語を活用しているのは仕方がない。 特に、全国同時に流すニュース番組がそうである。 そういう中にあって、大泉洋の存在感は大きい。 でも、全国同時ニ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140 私の大夕張時代は、いわゆる江戸前の寿司のことを〘 なまずし( 生寿司 ) 〙と言っていた。 まだ、各家庭に冷蔵庫などなかった時代である。 だいたいが、大夕張時代の私の小学校低学年くらいまでは、生の魚介類を食したのは、イカの刺身だけだった。 イカをキシメンぐらいの巾に切… 続きを読む
思い出の記 東高バイク通学 |Masami Kawauchi 昭和49年 明石町 夕張東高校 バイク欲しくて定時制行きました。 高校の坂を登り切って夕張岳をバックに撮影。 全日制の女子学生見えますね。 私達はバイク通学でした。 白黒写真に着色した画像 (2020年5月17日 記) (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ゆめゆめうたがうことなかれ | 高橋正朝 #139 〘 夢 〙の話を4回続けましたが、この〘 ゆめゆめうたがうことなかれ 〙のセリフは、千年町にあった大夕張劇場で観たチャンバラ映画のなかでの夢まくらに立った老人のセリフだった。 鹿島東小学校の低学年のころで、当時のチャンバラ映画の本数は、東映が圧倒的だった。 〘 ゆめゆめう… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 夢まくら、幽体離脱 | 高橋正朝 #138 私の母親は、下に3人の妹がおり、その下に弟がいた。 私には叔父になる。 叔父とはいっても私とは同い年であった。 ただし、彼は早生まれで私は遅生まれだから、学年は1年違った。 母親の父母、すなわち私の祖父母と末子である叔父が、明石町番外地の家で同居することになった。 私が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 夢の続きを見る | 高橋正朝 #137 しょっちゅう夢を見る人や、夢を見る回数が少ない人もいるだろう。 振り返ってみれば、私がしょっちゅう夢を見たのは、鹿島東小学校の、3年生から5年生ぐらいが多かった。 以前、何回か書いたことだが、寝ている最中、私は最低でも2回は小便にたった。 妹や弟たちは朝まで小便に起きることな… 続きを読む
思い出ばなし 消えた缶ビール|久々湊真一 本州に来て暫く経ったある日、 『寒さに対する自分の感覚が、内地の人と多少違う』 ということに気がつきました。 内地の人は氷点下になると、全部「寒い」の一言になってしまって 「どのぐらい寒いのか(寒さの程度)」 をあまり区別していないようです。 私は、例えば氷点下5℃と氷点下20℃の違い… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 色付きの夢 | 高橋正朝 #136 色付きの夢を見たのは、鹿島東小学校4年生の初夏のころだったと思う。 1ヶ月ぐらいの間に2回見た。 それ以前も以後も色付きの夢は見ていない。 内容は2回ともほぼ同じである。 背中にマントをはおった私が空を飛んでいるのだ。 太陽は黄色。 空は青色。 マントは赤色。 身体の… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 夢とデータ解釈 | 高橋正朝 #135 〘 夢 〙といっても、「 オレは○○になる 」「 私は✕✕になりたい 」の希望や憧れの〘 夢 〙ではなく、寝てるときに見る〘 夢 〙のことである。 内容は覚えていないが、鹿島東小学校2年生ぐらいのときから〘 夢 〙を見ていたことは覚えている。 内容を覚えていないのに、何で小学校2年… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 雪の中をこいで山小屋にたどり着く | 高橋正朝 #134 今から約65年ぐらい前の春先、そう今ごろの日曜日、私を含む3人で、雪の中をこいで桜が丘から山のほうに入った。 このときも、誰々と行ったのか、覚えていない。 多分、全員、明石町番外地の少年だったろうと思う。 季節は違うものの、続・大夕張つれづれ #119 〘 スモモ 〙に書いたこ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 座席をゆずる| 高橋正朝 #133 私の母親のすぐ下の妹、すなわち叔母が、当時住んでいた栄町から、明石町番外地の我が家に、赤ん坊を負ぶってよく遊びにきていた。 あるとき、赤ん坊を負ぶった叔母が、汽車に乗ったとき、北沢先生に席をゆずられ、大変感激したことがあった。 私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころだっ… 続きを読む
随想 「約束」と私のカエデの原風景 |小野美音子 北海道はしんとした静かな雪景色のようですね。 雪の少ない地にいる私には、懐かしい風景です。 緑ヶ丘の私の家は、左手に教会への坂、鹿島小の旧体育館。 右手は泉町や宝の沢、対岸には岳富町付近を通る汽車や、錦町の炭住が見渡せ、大夕張としては素晴らしい眺望に恵まれていました。 ただ、家が崖… 続きを読む
随想 雪景色 |久々湊眞一 北海道は大雪のようです。 雪かき(やらなくなったので忘れそう)で、大変でしょう。そういう情景を思い浮かべていたら、あることを思い出しました。 写真兼遊びで各地を撮影旅行しましたが、時々ハプニングがあります。 数年前、冬の山形での出来事を紹介します。 大夕張の風景を思い出しながら、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ エスカレーター | 高橋正朝 #132 私が、生まれて初めてエスカレーターに乗ったのは、夕張市本町にあった百貨店〘 おかむら 〙だった。 当時、大夕張にあった最も大きい商店は、三菱購買会だったのは、皆さんご存知のとおりだ。 子どもであっても、マンガ、テレビ、映画などで、百貨店のことは知っていた。 『続・大夕… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131 これも、現在の北海道弁からしたら、博物館行きの言葉かもしれない。 ネットでチェックしたら、この言葉の記事は少ない。 大夕張の子ども時代には知っていた言葉だが、使用頻度は少なかったように思う。 しかし、インパクトがあった。 その少ない記事のなかで、まったく知らなかった考察があ… 続きを読む
随想 ある郵便局員の回想 郵便配達 突然の異動だった 悪いことに、異動の前後は その配達地域が割り当てではなかった。 40年ちかくになるだろうか。 久しぶりの訪問だった。 あの家は、たしか自分の隅では 小学4・5年くらいの男の子が二人?・・・ 小さな女の子が一人?・・・ 家を支えていたのは婦人で、その家の大き… 続きを読む
随想 化石の街|市橋 勝 ふるさとの街はもうどこにもない 僕が帰れる街はもうどこにもない 優しく出迎えてくれる場所はもうどこにもない いつか水の底に沈むという小さなふるさと あの日の小さな想い出と一緒に深く静かに横たわる いつまでも忘れないでおくれたとえ名も無き花だとしても いつまでも忘れないでお… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••もぐす | 高橋正朝 #130 この〘 もぐす 〙という北海道弁も、現在では博物館行の言葉のようだ。 ネットの記事のなかに、簡潔に表現したものがあったので、それを抜粋したのが以下の文章です。 「 もぐす 」は、「 漏(も)らす 」という意味の北海道の方言です。 標準語のもらすと違い、もぐすは排泄物(はいせ… 続きを読む