続・大夕張つれづれ エスカレーター | 高橋正朝 #132 私が、生まれて初めてエスカレーターに乗ったのは、夕張市本町にあった百貨店〘 おかむら 〙だった。 当時、大夕張にあった最も大きい商店は、三菱購買会だったのは、皆さんご存知のとおりだ。 子どもであっても、マンガ、テレビ、映画などで、百貨店のことは知っていた。 『続・大夕… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131 これも、現在の北海道弁からしたら、博物館行きの言葉かもしれない。 ネットでチェックしたら、この言葉の記事は少ない。 大夕張の子ども時代には知っていた言葉だが、使用頻度は少なかったように思う。 しかし、インパクトがあった。 その少ない記事のなかで、まったく知らなかった考察があ… 続きを読む
随想 ある郵便局員の回想 郵便配達 突然の異動だった 悪いことに、異動の前後は その配達地域が割り当てではなかった。 40年ちかくになるだろうか。 久しぶりの訪問だった。 あの家は、たしか自分の隅では 小学4・5年くらいの男の子が二人?・・・ 小さな女の子が一人?・・・ 家を支えていたのは婦人で、その家の大き… 続きを読む
随想 化石の街|市橋 勝 ふるさとの街はもうどこにもない 僕が帰れる街はもうどこにもない 優しく出迎えてくれる場所はもうどこにもない いつか水の底に沈むという小さなふるさと あの日の小さな想い出と一緒に深く静かに横たわる いつまでも忘れないでおくれたとえ名も無き花だとしても いつまでも忘れないでお… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••もぐす | 高橋正朝 #130 この〘 もぐす 〙という北海道弁も、現在では博物館行の言葉のようだ。 ネットの記事のなかに、簡潔に表現したものがあったので、それを抜粋したのが以下の文章です。 「 もぐす 」は、「 漏(も)らす 」という意味の北海道の方言です。 標準語のもらすと違い、もぐすは排泄物(はいせ… 続きを読む
思い出ばなし 春日町の外水道|成田利夫 春日町は、外にある屋根だけの小屋にある水道から、水を引いていました。 たしか各家にはホースをつないで水を引いていて、台所に置いていた大きな甕に溜めていた記憶があります。 冬の寒い朝は、甕の水の表面に5mmくらいの厚さの氷が張り、それを柄杓で割って水を汲んでいました。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••補足•••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #129 この北海道弁〘 はっちゃきこく 〙は、前回、続・大夕張つれづれ # 128 で投稿しましたが、『 侮蔑的感情 』という表現に対し、腑に落ちないという人がいましたので、補足します。 北海道弁〘 はっちゃきこく 〙は、ネットで検索すると、一所懸命、夢中になって、頑張って、とかいうよ… 続きを読む
思い出ばなし 馬頭観音 |小林光志 便所場球場に近い大久保さんの向かいに、労働馬の慰霊碑がありました。 「大久保組」ご存知ですか? ここに多くの労働馬がいました。 私が大夕張にいた頃は、ちゃんと感謝をこめて祭っていました。 (追記) 大久保組の大久保家は、私の遠い親戚でもありましたので ちょくちょく行き来してました。… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #128 この北海道弁〘 はっちゃきこく 〙も、前回の〘 だはんこく 〙と同様、北海道内ですら死語になっているのではないだろうか •••••。 私が名前すら知らなかった江別市出身のタレントの大泉洋は、北海道弁を駆使し、それをウリにしてバラエティー番組などに出演しているらしいが、彼だったら… 続きを読む
思い出ばなし 闘犬のはなし| 泊川俊徳 子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。 4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。 闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。 一時的な流行でした。 当時、子供なが… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127 この北海道弁〘 だはんこく 〙は、もはや死語ではないだろうか••••••。 アパートのガラス戸は、今の時期( 12月初旬から1下旬ぐらい )は24時間開けっ放しにして網戸にしているのだが、早朝、見えないが、通りの向こう側から、幼児が、〘 だはんこいている 〙のが聞こえた。 … 続きを読む
思い出の記 冬の出来事 |Kawauchi Masami 私には忘れられない思い出が2つ有ります。 小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。 家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 万葉会館 | 高橋正朝 #126 『続・大夕張つれづれ #124 道玄坂の思い出 その2』 に、TAKASHI さんが、コメントを書き込み、万葉会館について言及していました。 当時あった万葉会館は、今は貸ビル業に転じているようで、ビルの大部分は、IKEA に貸しているようです。 『続・大夕張つれづれ #12… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その3|高橋正朝 #125 日本は、これから、最も寒い時期になる。 私は海外に出るまで、東京に14年間ほど住んでいたが、最初の冬は、北海道に比べて暖かいなァと感じたが、翌年の冬からは、えらく寒く感じるようになった。 特に、家の内の寒さには閉口した。 とはいうものの、大夕張に比べれば、気温は高いのだが ••••••。… 続きを読む
随想 最後の大晦日|斎藤敏幸 大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。 正確には、大晦日の前日の事なのですが。 1972年(昭和47年)12月30日。 この日、夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を、確か千歳町の婦人会館で開催しました。 もう記憶は定かではありませんが、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その2 | 高橋正朝 #124 前々回投稿した、大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 渋谷駅前のハチ公の銅像の住所というのは、実は道玄坂なんですョ。 それで、イラストに描かれていた景色の、中央からやや右側にあるビルを、私は渋谷駅前ビルと… 続きを読む
思い出ばなし 暮れの餅つき | ziny 毎年12月28日は代々木町の我が家の餅つきの日でした。 昭和30年代、この末広がりの日には、しめ飾りをつけるのと餅つきでしたね。 外はシンシンと雪が降っている。 玄関の障子(ある時期から飾りガラス戸)をはずし、隙間風よけに目張りをしたビニールの上に、新聞紙も所々貼ってあった。 … 続きを読む
思い出ばなし 本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン 1997年10月 週末に大夕張へ行ってきました。 ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。 地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。 秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連… 続きを読む
随想 寒くなると、聴こえる | タカママ 夕飯の支度をしながらラジオを聴いていると、懐かしい言葉が・・・。 「石狩・空知・後志地方の天気は・・・。」 「道道○○号線は、雪で通行止め・・・。」 我が家の古いアナログラジオは、この時期北海道の電波をキャッチしてくれます。 思わず手を止めて聞き入ってしまいます。 遥か遠くの雪… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その1| 高橋正朝 #123 前回投稿した、『続・大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙』に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 これは、私にとっては懐かしい風景です。 一部を誇張や省略したイラストで、私が海外に行く前の2年間働いていたビルが描かれている。 このイラスト… 続きを読む