夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

鹿島橋のエゾエンゴサク|高橋歌子 写真

鹿島橋のエゾエンゴサク|高橋歌子

2011年(平成23年) 5月 ※花言葉は、妖精たちの秘密の舞踏会 鹿島橋のたもとに咲いていた儚い可憐な花でした。 人里、山林、谷あいに生育する春植物。 ときに大群落をなす。 雪解けとともに芽を出し、春に鮮やかな青色の花を房状に咲かせる。 夏には地上部が枯れて、秋冬を地下で過ごす。 初夏の風を感じる…
道路横断の土管の出口に造った池 | 高橋正朝 #38 続・大夕張つれづれ

道路横断の土管の出口に造った池 | 高橋正朝 #38

対岸から見た明石町   昭和40年頃    明石沢の周辺 下の写真を拡大した部分 彩色したあたりが明石町番外地と明石沢のあたり。話の舞台になるところ。 昭和43年明石町住宅地図  我が家から見えた、鉄橋の架かった『 明石沢 』と思われる小川は、番外地の開拓寄りの沢を流れ、シューパロ湖ができる前までは…
荒川商店の思い出  | 小野美音子 思い出ばなし

荒川商店の思い出 | 小野美音子

 人懐っこい丸顔のおばさんは、いつも笑顔で店番をしていました。    マンボ、くじ、おもちゃの指輪、ジュース、駄菓子など子供には楽しいお店でした。  母と寄ると、くじをタダで引かせてくれ、それが最近不思議に、思い出され、母に聞くと、千年町あたりでおばさんが友人と会う時、仕事を終え、急ぎ支度で出て来て…
とらやのパンやの思い出 |Kawauchi Masami 思い出の記

とらやのパンやの思い出 |Kawauchi Masami

昭和45年以降.。白黒写真に着色した画像   荒川商店の棟の中に『とらやのパン』がありました。  コンクリートの台を上がって、お店に入って、給食用のパンを買って、学校へ行きました。    『日糧パン』は荒川商店さんの看板で、「とらや」は自分とこの「とらやのパン」しか置いていませんでした。     し…
大夕張の桜-千年町-|高橋歌子 写真

大夕張の桜-千年町-|高橋歌子

手前、願正寺のミズナラの木と、向こうに咲く桜の木。    千年町の願正寺前からバス道路  『大夕張神社 花見』で、楽しげな春の花見の様子を紹介しましたが、このあたり寺社街の桜は、大夕張の花見の場所としてとりわけ有名だったようです。  大聖寺の住職、萩野宗英氏が、『大夕張-鹿島で暮らした日々』の中で…
服部商店の横の溜池での消防訓練 | 高橋正朝 #37 続・大夕張つれづれ

服部商店の横の溜池での消防訓練 | 高橋正朝 #37

例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。     昭和43年明石町住宅地図 【 大根収穫 】  以前に書いたことでしたが、津留商店と描かれている場所が、服部商店でした。   服部さんが、私が、鹿島中学校1年生になったとき、すでに札幌に引っ越していたような気がするが、明確な記憶…
坑外作業の仕事 | Kawauchi Masami 思い出の記

坑外作業の仕事 | Kawauchi Masami

昭和45年頃の工場地帯   昭和33年の資料から大夕張礦業所事務所の奥、進発所の近くに工場が立ち並ぶ。赤い枠内が上の図の範囲  大夕張の坑外の仕事、機械の事、書いてみますか。  まず各工場には、坑内から上がってきた機械を、工場に入れる様に、線路が引いて有りました。  機械工場は、坑外機械の1番端で、…
鹿島橋とふきのとう 写真

鹿島橋とふきのとう

 2002年春 木立の間から、鹿島橋が見えた。  足下には、ふきのとうが顔を出す。夏に生い茂るイタドリはまだ伸びていない。  常盤町の鹿島中学校からの帰り道、この辺りは序の口だ。  橋を渡ると、鹿島東小学校、そして千年町の本通り。  まだまだ家は遠かった。   鹿島橋を常盤町側からみる…