大夕張掲示板
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思い出やエピソードなどは、『思い出貼』をはじめ、各写真や記事のページで残すのが良いと思います。
ここでは、それ以外の、連絡、メッセージ等、気軽にお使いください。また、このページの作成にかかわるMasaが、その時々テキトーにつぶやく場にも使っています。
画像その他資料を5MBまでアップロードできます。Attachment-「ファイルの選択」ボタンから送ることができます。ご要望があればそれ以上でも対処できますので、ご連絡ください。
サイト作成にご協力いただける方は、その旨ひとこといただけると嬉しいです。
コメントへの「返信」は各記事から、「新規投稿」は一番下からどうぞ。
尚、投稿の件数が、50件を超えると、新しいページが作成されます。
以前のページは、ページをスクロールしていくと表れるコメント欄の左上にある「以前のコメント」をクリックすることでみることができます。
はじめまして。母の故郷が大夕張です。母は6人兄弟でしたが皆他界しました。私は生まれも育ちも札幌ですが勝手に第二の故郷と思っております。こちらのサイトを懐かしく拝見させて頂いております。
黒ダイヤさん書き込みありがとうございます。
お母様の世代の自分にとって、お母様のふるさとを大切に、受け継いでいこうという気持ち、素晴らしいことだと思います。
心強く頼もしく思います。
これからもよろしくお願いします。
嶋崎靖広さん、こんにちは。
こちらの掲示板で返信させていただきます。
「夕張市ゆかりの会」はフェイスブックにある方々の会でしょうか。
今ではネットでもいろいろな集まりが盛んなんですね。
そんな中、こちらの住民登録のコーナーの方に登録ありがとございます。
もし連絡のためのメールアドレスを公開するのであれば、コメントの欄に書き込むと表示されるので必要であればご利用ください。
ためしに、私のメールアドレスを打ち込んでみます。
iida@mta.biglobe.ne.jp
こんな感じになります。
11月4日(土) 秋晴れの上野公園
全国から116名が上野精養軒に集まり、第56回東京大夕張会が開催されました
今年は閉山50年の節目の年です
鈴木直道北海道知事からメッセージをいただき、来賓の厚谷司夕張市長の挨拶がありました
人口は7千人を切り、高齢化率は全国トップとのこと 今時期はダムの水量は少なくなり、
昔の町の散策イベントも可能な話もありました
早稲田大学、東海大学の諸先生方々の大夕張研究会からのアンケートの中間報告や昔の写真の
紹介などもありました
大夕張の歌(シューパロ音頭)、校歌なども皆で合唱です 懐かしいですね……
大夕張会も高齢化ですが、同期生や知り合いとの再会などに活用されています
新しい参加は大歓迎です 同期仲間を誘っての参加が楽しいですよ
毎年11月の第1土曜日です 来年は2日(土)開催です
4年振りに開催された大夕張会……ふるさと大夕張2丁目3番地の皆さんへのご報告でした
ziny
4年ぶりの開催、おめでとうございます。
zinyさんをはじめ、
100名を超える参加とのことで、さながら一つの大夕張ムラが東京に出現したような感じだったのでしょうね。
一年に一度、この会を楽しみにまた明日からのエネルギーをもらっている方も多いのではないかと思います。
来年以降もずっと末永く続いていくことを祈念しています。
運営の方もご苦労様でした。
zinyさん、投稿・お知らせありがとうございます。
新規投稿の仕方が、今一わかりませんが、
東京大夕張会11月4日117名ほど参加予定
上野、精養軒
zinyさん、お知らせと書き込みありがとうございます。
コメント欄は、最初だけ、承認制になっていますが、一度書き込んで投稿が表示されている方はその後、承認なしで表示できるようになっているので、自由に使ってください。
4年振り?でしょうか。
コロナ禍で久しぶりの再開なのかな。
例年盛大な会が行なわれきているように聞きます。
これだけ続いている会、幹事さんの努力も大変なことと思います。
ご苦労さまです。
ギターを手にzinyさんが、『ふるさとの風』を披露されている姿もどこかでみたことがあります。
毎年いろんな出し物が予定されているのでしょうね。
元気で良かった。
1千万のカウント(?)おめでとうございます。2丁目3番地になってから3年半での偉業達成!
リニューアル前の1丁目1番地時代も数百万のカウントを重ねてお化けホームページと言われ、
メディアから取材を受けたりしたわけですが、
時代が異なるとは言え、今回は前回を遥かに上回るスピードで見たことのない数字に達しました。
これだけ多くの人がここを楽しみに訪れているわけで、この数字もただの通過点。巨大な通過点!
伊達さん、junさん掲示板への書き込みありがとうございます。
1000万という数字は、あまりにも大きく実感のない数字です。
「訪問者」とはなっていますが、本当のところ人の数・・・ではなくページが開かれた数。
おかけで三年半で、記事の数も2000ページ近くなってきました。
「ふるさと大夕張」(1丁目1番地)への投稿の蓄積という貴重な財産と、広大なネット空間の中で今も尚「2丁目3番地」に立ち寄ってくれるご近所さんたちのおかげだと感謝しています。
junさんが、「八百五十の歌詞など」のコメントで、
『各人がいろんな記憶を持ち寄って互いの記憶の隙間を埋めあっていると、ある日突然、真実が姿を現わすのです。
それがその人にとってかけがえのないものであれば、「いま現在」もまた豊かに照らし直されるのです。
これはきっと、生きる楽しみにも、生きる勇気にも、生きる感謝にも繋がる大切なものになるでしょう。』
と書いてくれました。
我が意を得たり、の心境でした。
記憶や過去の出来事の断片でも、つなげ合わせると何かみえてくるものがある。
そう信じています。
自分も思い出やコメントの中に、どれだけ生きてきた喜びや、勇気を見出し、新しい発見をしてきたか、はかりしれません。
PVの数は、何人の人が訪れたかではなく、「2丁目3番地」の中で『記憶の隙間を埋め』て行きながら、どれだけページを繰っていけるかということを意識させてくれる数字だと思っています。
そうして長い時間ここで過ごすことができれば、それは自分にとって居心地のいい、明日へのモチベーションに繋がる『ふるさと』になるから。
ご無沙汰しています。実は3年ほど前に同級生と連絡が取れたのですがその後PCがクラッシュしてしまい、連絡先が分からなくなってしまいました。
3年前に札幌の中学の同期会が予定されていてその時にお会いしましょうと約束していたのにコロナ禍で伸び伸びになってしまい、去年の暮れにやっと開催されましたが連絡先が分からずお会いすることもかないませんでした。
K君、もう一度連絡をくださらないでしょうか?
私は今は横浜在住ですが、札幌に行く機会は時々あります。その時に是非お会いしたいです。
里見さん、お久しぶりです。
あらためて里見さんがかつて投稿された「同級生との不思議な縁」の文章をよんでいました。
いまさら気がついたのですが、ひょっとして通っていた高校はT高校だったのでしょうか。
だとしたら、一学年下に弟もいたはずでした。
望むと望まざるとも大夕張を出、広い世界に飛び出したはずの道があちらこちらで交差していたこと。
あたらめて「不思議な縁」に驚きます。
お返事大変遅くなりました!
そうです!
札幌手稲高校でした!
今でも高校のクラスメートとの交流はあります。
でも私は理系クラスでしたので、こちらには男子しかいません。。
先日も清水までお寿司を食べに誘ってもらい堪能しました。
鹿島小学校時代仲良くしてくださって連絡をくださったKH君と再度連絡を取りたいのですが・・いまだメールはいただけていません。
コロナも明けて札幌に行く機会も増えたので是非お会いしたいです。
すいません画像添付前に送信されてしまったようなので
こちらに添付させて頂きます
すっかりご無沙汰して大変申し訳ありません
神奈川在住のリブこと今雅秋です
以前画像をお送りしてから公私共、忙しく
PCやHDDも故障し何台目か忘れましたが
当時のデータは残っていません
飯田さんにはお忙しい中、大夕張のHPを維持管理で
頭が下がる思いです
また、自分の事に関しての覚え書きもありがとうございます
残った父のアルバムは人物系が多く関心が持たれるか不明ですが
いつか共有できたらと思います。
自分も64歳になり今年で最後の会社勤めとなりそうです
2020年にはバイクで北海道にツーリングに行きました
その際、大夕張に寄りましたが湖の底でした
どこに投稿したら良いのか判らなかったので添付します
湖畔の画像、特に道路規制は無かったのですが
入って良かったのでしょうか?(笑)
大夕張を出て60年経ちますが、やっぱり自分の
生まれ故郷は此処でした。
飯田さんもご自愛下さい。
TOPページのメールアドレス使用されてないようなので
こちらに投稿させて頂きました
今さん、本当に、おひさしぶりです。
書き込みありがとうございます。
40代の頃、メールとデータのやり取りをして、今お互いに無事60代中盤に到達しました(笑)
快晴のラッセルの前のお写真、お元気そうでなによりです。
『公私共、忙しくPCやHDDも故障し何台目か忘れましたが当時のデータは残っていません』
40代からのその後・・・そうですよね。
自分も、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)のサーバーに今も残るデータと、そのときに資料用に保存してあったMDディスクの中にデータがあり、幸い20年前のMDドライブも生きていたので、退職して3年半経った2019年にHPを更新するようになりました。
特にメールアドレスやメールの記録なども保存しておくすべも分からず、機器の故障や更新のたびにわからなくなっていました。
『今さんの写真』について書いた時に、いつか連絡が取れて、その節の御礼ができるといいなと、思いながら書いていました。
お父様の写真は、貴重な時代、場所(特に桜ヶ丘)の写真で、自分が知らなかった大夕張のことを、知るきっかけを作ってくれました。
どれだけ心の中の故郷を広く豊かにしてくれたことか、はかりしれません。
この場を借りてあらためてありがとうございました。
見落としがなければ、今さんから今まで送っていただいた写真はすべて掲載できたかと思いっています。
お父様のお写真とまた共有できることを楽しみに待っています。
よろしくお願いします。
「ふるさと大夕張2丁目3番地」のトップページからtwitterの投稿を表示していたが、連携がうまく機能していないようで、少し前から
「通知はまだ届いていません」
という表示がおおきくされて、Twitterの投稿そのものの表示ができなくなっている。
これまでのTwitterの仕様変更等でしばしば上手く連携できなかったこともあるが、今回もまたそのようだ。
以前、フェイスブックもタイムラインが表示できるようになっていたが、今は上手く表示できないので、ページへのリンクに留めている。
時とともに仕様が変更なるのは仕方がないとはいえ、今までできていたことができなくなるというのは不便なものだ。
・・・
そういえば、最近買ったPS5にVRがつながらないと思ったら端子が変更になっていた。
ネットで調べたら「製品ナンバー」をソニーにメールで送ったらアダプターを無償で送ってくれた。
機械も仕様も時とともに古くなる。わかってはいるけれど、いつまで一緒に走っていけるか、だ。
本編にも書いたが、20数年ぶりに『ふるさと大夕張』に南部の貯木場の写真と思い出を寄稿してくださった『大阪の小林』さんからメールが届いた。
当時交流のあった人たちも、自分自身も齢を重ね、『ふるさと大夕張』を取り巻く環境も大きく変化した。
『大阪の小林』さんとも、連絡手段はなくなっていた。
そんな中、変わらぬ思いを伝えてくれる一通のメールは、本当に嬉しかった。
『大坂の小林』さんの写真と投稿には「タグ」を付けてあるが、あらためてリンクをここに貼っておきます。
https://ooyubari.com/tag/%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%81%ae%e5%b0%8f%e6%9e%97/
下は、昨年2022年8月22日に、貯木場のあった南部東町で撮影した写真
昔も今も大夕張でも見ていた黄色い夏の花が勢いよく咲いていた。
2023年、今年になって初めて散歩に出て歩いてきた。
ようやく歩道の雪もなくなり、靴も水に雪どけの水に濡れる心配がなくなった。
思えば、昨年の11月5日以来だから、4ヶ月ぶりの散歩となる。
気持ち良いついでに、足を伸ばして、手稲区の跨線橋から夕張岳を眺めてきた。
遠くその姿は、まだ真っ白に見えていた。(赤い看板のやや右上)
【4年目に入った独り言】
過去に作成したページを眺めていると、「やろうとしていたこと」に気づいたりする。
シリーズもののように、「やろうとしていた」ことがあり、いくつかは、同タイトルで「その1」とかついているものがそう。
しかし、「その1」で終わっているものがある。
一年以上前の投稿だ。
覚えていて作業がなかなか進まないのもあるが、すっかり忘れていたものもある。
なのに、また新しい「シリーズ」を考えている自分がいる。
無計画に、きまま、いきあたりばったりなのだ。
「ふるさと大夕張2丁目3番地」で、3年が経った。
まもなく4回目の春がくる。
「ふるさと大夕張」の引っ越しは、感覚的には概ねできてきたように思うが、このペースでは、まだ「ふるさと大夕張2丁目3番地」が終われないな・・・。
ところで、上に書いた「◯◯その1」「◯◯1」で終わっているタイトルにピンときた人はいるだろうか。
まあ、自分でも忘れているくらいだからいないとは思うけれど。
はじまして
私は大夕張には住んでいなかったのですが
母親の祖父母が千年町に住んでおり
夏休み冬休みには 遊びに行って 小さいながら
色んな思い出があります。
この度 ここにメッセージを残したのは
昨年 母が亡くなり 遺品整理していたら 夕張の写真が出てきて
ダムの下に沈む町を 色んなので見て 全然わからなくなった町になってるのが寂しくなっていて 少しでも 思い出せたらと
皆さんの写真とみくらべてました。
小さいながらもきり助は覚えてます
それが見えたら 祖父母の家が近いって 離れる時は
バイバイって言っていた記憶があります
皆さんの心には大夕張は残ってますが
薄れゆく記憶を残して欲しいです
まゆゆさん、こんにちは。
人の記憶も町の記憶も
親も 故郷も時の流れとともに、
思い出の中にしか存在しなくなるという
その思い出も時とともに薄くなる・・・
時間とは無情(無常)なものですね。
それでも、写真を見たり、みなさんの話を聞く(読む)と
千年町の入り口に立っていた鹿島支所やキリ助
明石町に近づくと見えた白銀橋
その時の思いとともに景色が残ります。
これからもよろしくお願いします。
『スキー』というタグを付けて、関係の記事をまとめてみました。
https://ooyubari.com/tag/%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%bc/
2022年12月8日に、住民登録のページの方に、
菊池俊秀さんから
登録をいただきました。
・・・と書くとなんだか胸の中がこそばゆくなる感じ。
僕の中ではいつもトシぼうです。
中学校にいってからは、(たしか3年A組!)キックで通っていたかな。
おじさん、おばさん、お兄さん、ご家族の顔は、当時のまま今でも思い出すことができます。
大夕張を出て、それこそ、「ふるさと大夕張」でも何回か連絡を取り合って、そしてまたここでこうして再々会できることを嬉しく思います。
どうぞよろしくね。
今日菅井宏史さんの『千年町の思い出』を「夢の街-回顧随想-随想」のカテゴリに収めましたが、これまでの菅井さんの投稿に、次のタグをつけました。
↓
hirosugai
↑
各ページからこちらのタグをクリックすると、これまでの菅井さんの写真や文章をご覧になれます。
下にもタグへのリンクを貼っておきます。
https://ooyubari.com/tag/hirosugai/
演劇の題材にも取り上げられているようです。
以下、劇団のページから大夕張部分を紹介。
_
そして夕張にはもう一つの街があった。現在の市内中心部から東へ20キロほど離れた夕張川の上流にあった三菱大夕張炭鉱を中心に形作られた街。
現在はダムの底、
シューパロ湖の湖底に沈んでいるその街にも、2万人ほどの人が住んでいた。
映画館、ダンスホール、沢山の飲食店があり、活気にあふれていた。
炭鉱夫たちの仕事は3交代制で、一番方が朝7時から午後3時まで。二番方は3時から夜の11時まで。三番方は夜11時から朝の7時まで。ヤマは24時間稼働を続け、男たちは時々噴出するメタンガスに怯えながら石炭を掘り続け、家族を養い、沢山の酒を飲み、日本の高度経済成長を支え続け、大夕張を終の棲家と決め、家を建てた。
しかしエネルギー政策の転換や、炭鉱事故、安い海外炭の普及により、夕張の炭鉱も次々と閉山に追いやられ、2014年、大夕張の街はダムの底に沈んだ。
その日、地底で働き続けた男たちが久しぶりに、ダム湖を見下ろす展望台に集まった。
劇団のページは次のリンク
_
http://www.h-paf.ne.jp/zoo/program-index/?program_id=2806
_
『大夕張駅上空』という写真がある。
大夕張駅を中心に俯瞰したけっこう好きな写真だ。
この写真AIでのカラー化だが、これに飽き足らず、自力でこれの色付け着色作業をしている。
といっても始めた当初、気が遠くなるように思えた作業で、進んだり、途中で止めたり。
一年以上経過した。
でもまあ、少しずつある程度来ると、けっこう最後までいけそうな気がしてくる。
作業中ですよ。ということで、一応途中経過をお知らせします。
2022年5月6日に
TAKASHIさん、
_
9月1日に
伊達邦彦さん
お二人の登録をいただきました。
_
おそくなりましたが、返信させていただきます。
『2丁目3番地』のページビュー(PV)のカウンターだけは、けっこう毎日回っているのですが、実際お名前やニックネ-ムを拝見させてもらうと正直嬉しい気持ちになります。
ありがとうございます。
_
TAKASHIさん、河内さんですが、7月の暑い日、私が住む西区方面を回った際、家に立ち寄ってくれました。
真っ黒に日焼けされていて長距離を本当にご苦労様といいたくなるほどの暑い天気でしたが、たまたま来ていた娘夫婦とも顔を合わせることもでき良かったです。
今年は活発に走られているようなので、またどこかで同郷のマリオと会えるかもですね。
伊達邦彦さん、私、今年3回、シューパロダムの湖畔を走りました。
ダム工事が始まり足が遠退いて十数年ぶりでした。
自分もあと何年・・・とは言えないトシになってきました。先を見ないで、自分のしたいことをして目先のことを追いかけている日々です。
だから唯我独尊「2丁目3番地」もそんな感じです。
それと、学生時代行った暗く心地よく「ひきこもれる」喫茶店の名前を思い出しました。笑。
これからもよろしくお願いします。
ふるさと大夕張の情報を紡いでくださり、ありがとうございます。
生まれは大夕張、小学校2年生まで錦町に住んでいました。昭和43年の錦町の住宅地図に私の家の名前を発見した時には大変感激しましたし、幼い頃の炭住での思い出の数々、鹿島東小学校の担任だった石野百合子先生、夕張岳、懐かしい写真がここにすべて収まっていました。現在、愛知県在住。60歳を過ぎ、年齢のせいか故郷への思いはさらに強くなるばかり。家族とも共有できない私だけの懐かしさがここにあります。「いつか戻ってみよう」と思いつつ、50年以上の月日が流れてしまいましたが、飛行機のチケットをチェックして一人旅を妄想する、ということを何度繰り返したか分かりません。「今年こそ」と、先日も飛行機のチェックやら宿探しやらで長いことインターネット空間をさまよった挙げ句、高齢の母のこと、冬が近いことを考えて機会を逃すというお決まりのパターンとなりました。私にとっての大夕張は若かりし父や母のいる平和で温かな家庭があり、幸せな子ども時代を過ごした場所。時にはどうしようもないぐらい切なく懐かしむ気持ちになる場所です。かつては10万ほどの人口が住んだ町。私のように夕張にはなかなか行くことができない方でも時々ここを訪れては胸を熱くしている方も大勢いらっしゃると思います。大変な作業かと存じますが、「ふるさと大夕張」を続けていてくださっていることに心からの感謝を申し上げ、厚かましいようではありますが、これからも続けてくださることを切に願っています。
西尾様 大変、丁寧な書き込みありがとうございます。
自分は、生れてから中学校卒業までの年月を過ごしました。
>私にとっての大夕張は若かりし父や母のいる平和で温かな家庭があり、幸せな子ども時代を過ごした場所。
>時にはどうしようもないぐらい切なく懐かしむ気持ちになる場所です。
まったく同じ思いで、読みながら「うん、うん」と頷いている自分がいました。
べつに、その後の自分の暮らしが暗くて不幸せだったと思っているわけではないですし、それなりにがんばって生きてきたとは思います。それでもなお、純粋に自分と環境が一つになって存在していた、そこに還りたいと思わせる時間と土地でした。
文章の終わりの言葉、ありがたいエールと受け止めさせていただきました。
「ふるさと大夕張」
いろんな思いで再開し、気ままに続けてきていますが、西尾様のような方がいてくださり、思いを共有できる部分が少しでもあるのであれば、と思いながら続けていくことができそうです。
ありがとうございました。
2022年8月22日 晩夏の夕張岳 虫の鳴き声入りです(笑)
今まで一日二回のペースを心がけて『ふるさと大夕張2丁目3番地』の更新を続けてきましたが、これから一日一回の更新を基本にしていきたいと思います。
理由としては、当初の目的だったふるさと大夕張の引っ越しという意味では、かなり進んだこと。
進むにつれ、「ふるさと大夕張」の掲示板の内容精査など、けっこう時間がかかようになってきました。
単純な再掲載ではなく、考えたり、あたらしく作る部分が多くなってきました。
旧来の「ふるさと大夕張」のページの今後と、現在の「2丁目3番地」のあり方等、少々落ち着いて考えていきたいとも思います。
5月に大夕張の眺望公園に行ったときのこと、
クルマを駐車場にいれようとすると何やら黒い物体が・・・。
なんだろうと思ってクルマを止めて、歩いてそばによっていくと、
眠そうなタヌキ。
警戒心もなく逃げもしない。
のんびりと風に吹かれて気持ち良さそうだった。
大夕張の住人だ。
5月7日(土)大夕張に行ってきた。神社山の辛夷と夕張岳の景観を見るため。妻も一緒。
11時頃に鹿島神社の登山口に着くと先客がいた。珍しい。相手の方から先に話しかけられた。
「参道の草が刈られていたので行ってみたけど、足下がじくじくしていて途中でやめた」。
鹿島小学校元教員の宍戸さんとのこと。昭和9年生まれだというが姿勢も身ごなしもテキパキ。
友人を後部座席に乗せ、私に手を振って颯爽と走り去った。
大夕張は長閑。今年も春の訪れは早い。夕張岳の稜線の雪もかなり融けて黒く見え、昔とは違う。
湖は満水位よりも低かったので、「大夕張の橋立」も盛り上がって見え、あまり橋立っぽくない。
校庭のイタヤカエデは相当弱っていたね。オオジシギさんは今年も来て元気に鳴いている・・
『やれやれ』
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久しぶりにPCがクラッシュして再インストールする羽目になった。
大夕張とはあまり関係ないが、PCに力を入れるようになったのは、『ふるさと大夕張』の更新を再開を機にだから、まったく関係ないとはいえない。
とはいえ、『ふるさと大夕張2丁目3番地』はノートPCで行なっているので、影響はない。
もう一台のゲーミングPCの方が、プロジェクターを含め4台のモニターの解像度をいじっているうちに、画面が点滅し始め、復元に失敗した。
ブルースクリーンが出て修復を試みても復活せず、もはやここまでとインストールディスクを使って初期化し、ドライバを入れ直すことでようやく復活した。
10数年前には、何度も初期化と再インストールをせざるを得ない状況になり、
『コンピュータの環境設定が趣味です!』
などと、周囲に吹聴していたものだが、年月重ね、もはや時間と労力をかけるのは苦痛でしかない。
それでも当時と比べて大きな違いは、再インストールしてもHDが無事で自分のデータが残っていたこと、クラウドのデータも無傷なので、初期化はしてもそのダメージは雲泥の差である。
タグ設定
↓
見送り
↓
https://ooyubari.com/tag/%e8%a6%8b%e9%80%81%e3%82%8a/
タグ設定
『学級写真』
↓
https://ooyubari.com/tag/%e5%ad%a6%e7%b4%9a%e5%86%99%e7%9c%9f/
佐々木洋子さんの写真、投稿のページに「yoko」というタグをつけました。
「yoko」のタグをクリックすると佐々木さんの投稿のみを表示、PVをまとめて見ることができます。
↓
https://ooyubari.com/tag/yoko/
久々湊真一さんの写真、投稿のページに「shin」というタグをつけました。
「shin」のタグをクリックすると久々湊さんの投稿のみを表示、PVをまとめて見ることができます。
↓
https://ooyubari.com/tag/shin/
高橋歌子さんの写真、投稿のページに「uta」というタグをつけました。
「uta」のタグをクリックすると高橋歌子さんの投稿のみを表示、PVをまとめて見ることができます。
↓
https://ooyubari.com/tag/uta/
『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の1998年~2000年までの住民登録のデータを転載しました。
現在までのデータはあまりにも大きすぎて一ページでは無理でした。
一部ですが、転載しました。
あくまで、当時の掲示板に書き込まれた過去のデータです。
今後、順次、転載していきたいと思います。
↓
斎藤さんの投稿に「toshi」というタグをつけました。
「toshi」のタグをクリックすると斎藤さんの投稿のみを表示、PVをまとめて見ることができます。
↓
https://ooyubari.com/tag/toshi/
内川さんの投稿に「jun」というタグをつけました。
「jun」のタグをクリックすると内川さんの投稿のみを表示、PVをまとめて見ることができます。
今後、それ以外の方も順次タグを設定していく予定です。
設定完了したらこちらでお知らせします。
↓
https://ooyubari.com/tag/jun/
『教室配置』『校舎配置図』というタグをつけたので、タグから鹿島5校の校舎の平面図を一覧で表示させることができるようになりました。
https://ooyubari.com/tag/%e6%a0%a1%e8%88%8e%e9%85%8d%e7%bd%ae%e5%9b%b3/
投稿の各ページに、イラストを添えていますが、自分でも少しずつボールペンと色鉛筆で絵を描き始めました。
自分のイメージに合うようなイラストを順次差し替えて、自分で作成したものにしていきたいと思っています。
もちろんすべてものについてとはいきませんが、出来た物から差し替えていきます。
下手なイラストですが、絵を描くのは好きなので、これも日々の楽しみの一つとして。
順次、ページ更新として、差し替えます。
イラストを発表しようという意図ではなく、あくまで自分の気持ちを添えるという思いで行なっていくものです
ご承知おきください。
メニュー「資料室」直下のカテゴリーに「絵葉書」の項目を設けました。
今後、戦前の絵葉書を中心に、大夕張炭鉱華やかなりしころの画像を紹介していきます。
北海道地域該当の皆様ご苦労です。
今日は、何回雪かきをしただろう。
こんな日もあった。
↓
https://ooyubari.com/tag/%e9%9b%aa%e3%81%8b%e3%81%8d/
↑
昨日から、今朝にかけて一日のカウンターの上がり方が、(36515)いつもの十倍ほどある。
???
どうしたんだろう。
住民登録のページ、コメント編集中です。
ある程度まとまった文章もいいですが、短いコトバの中にあらわれる心情はたまりません。
気持ちが揺さぶられます・・・。
以前お知らせしてからすでに数ヶ月経ちましたが、亀の歩みのスピードです。
もうしばらくかかりそうです。
【昭和14年】大夕張の街
_
祖父長谷川安造のスケッチ帖から昭和14年に描いたという炭砿住宅の絵をアップしたが、昭和14年というと大夕張はまだ鹿島という名前ではなく、『おおゆうばり』と呼ばれた。
昭和3年にできた千年町・官行、続いて富士見・栄、そして緑、代々木、少し遅れて弥生の順で街ができた。
そしてこの年、昭和14年に錦町と宝町ができたという。石炭の増産で町も人も集まり発展した年だったのだろう。
春日町、常盤町、明石町、開拓という地名ができるのは、そのあと戦後のこと。
もちろん町名はなくても土地があったわけだから、そのあたりは人は住まない畑や草木の茂る原野だったのだろう。
祖父が暮らし描いた昭和14年という年の大夕張の町を想像してみるのも興味深い。
↓
今回山吹とおるさんの『かしま周り唄』の動画を作るにあたって、久しぶりにパワーポイントを使った。
これまで、windows付属のビデオエディターで作成していた。
しかし、縦書き表示させたかったのと、画面切り替えの際のフェードイン・アウトをさせたかった(できるのかもしれないが、わからなかった)。
以前、この掲示板でも書いたが、パワーポイントから直接mpgファイルにエクスポートできるようになったということを知っていた。
『ふるさと大夕張1丁目1番地』を更新していた時代、職場でも何かというと使っていたパワーポイントだったので、なんとかなるだろうという気持ちだった。
で、結果なんとかなったのだが、今画像編集に使っているフォトショップにしてもそうだが、昔使ったことがあるとはいえ、使っていなかったということで、すっかり忘れていた。
結局、『勘』を駆使して思い出しながらやったのだが使っていないとまたすぐに忘れるだろう。
せっかく思い出せたので、忘れないようにネタの発掘に努めなければと思う笑。
そういう意味では、素材を提供してくださる方がいるのは、本当に有難く心強い。
カテゴリーの「思い出帖」ー「学び舎の思い出」の中に、「鹿島小学校閉校の時」のカテゴリーをつくりました。
1997年(平成9年)に閉校式をきっかけに何回か訪れた母校鹿島小学校の校舎の中の写真を掲載していきます。
下の写真は、鹿島小学校の裏手。このあたりに映画室があったっけ??
北方資料デジタルライブラリーの「夕張」の映像へのリンクが変更されていたので、修正しました。
シューパロ湖の映像もそうだが、貴重な夕張の映像が見られる。
まさに記憶の中の夕張が・・・・。
鹿島東小学校の先生の写真を新しくカラー化したことで、高橋正朝さんの『続大夕張つれづれ40 鹿島東小学校の先生の写真』の写真も更新しました。
_
検索窓をつかっていて、
「あれっ?あのことどのページだっけ」
と時々思って言葉を打ち込んでもヒットしないことがある。
原因の一つに、あたりまえだが、図にのっている言葉は、ヒットしない。
たとえば、商店名では、写真がヒットしない。少なくとも、『商店街』というようなことばで検索しないといけない。
だから、できるだけ場所や名称など、必要なものには、テキストで打ち込んで検索でヒットするようにしていきたい。
今日12月8日で、『ふるさと大夕張』の更新を再開してからちょうど2年です。
おそるおそるリンク切れのページを中心に更新し、同時進行でブログにその状況を綴っていきました。
_
_
正式に『2丁目3番地』に『引越し』を開始したのが、2月1日。
表面上、引越しは、8割方終わっていますが、『ふるさと大夕張』を支えた『心』の部分「掲示板」「住民登録」の文章の整理はまだ途上。
しばらくかかりそうです。
「引越し終了」と宣言できるのがいつになるのか。まだ見通せません。
終了したあかつきには、「ふるさと大夕張2丁目3番地」の隅々まで歩き回って、コメントを付けまくりたい。
そうして大夕張の記憶の中で埋れていたい、それが今の密かな目標です。
住民登録のページは、現在、『台帳』として、(1丁目1番地)にある住民登録のコーナーのページを編集中です。
編集終了後、住民登録のページにある、『台帳』にリンクをはろうと思います。
現在は、まだリンクがはられていません。
秋になって気温が低下してきた。札幌でも2日程前の朝、雪虫が飛んでいた。
大気の状態も透明度を増しているのか、久しぶりに散歩コースから夕張岳が見えた。
見にくいが、ケーズデンキの赤い看板のところ。
検索窓
検索窓の機能を改善しました。
検索語がハイライト表示されて検索結果が表示されます。
いままで欲しかった機能でした。
検索語の間にスペースを入れると複数の言葉も検索できます。
たとえば、「飯田 小学校」とうつと、飯田と小学校の言葉が含まれるページが表示され、検索語が強調表示されます。(各ページについたコメントも含まれます)
以上、うまく説明できず申し訳ありませんが、とりあえず試してみてもらえると嬉しいです。
検索窓については、記事の数が増えるにつれ、重要性が増すと思いますので、今後もできるだけ改善したいと思います。
あらためて、
「ふるさと大夕張」の更新について
の経緯
時々ふりかえる。
初心を大切に。
1丁目1番地から
https://ooyubari.com/?s=%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E5%A4%A7%E5%A4%95%E5%BC%B5%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%9B%B4%E6%96%B0%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6